2章-20.吸血鬼戦争、語り継がれる英雄譚
「えー、それでは今日の歴史の授業は、教科書の百四十二ページ……『吸血鬼戦争』についてです」
黒板に向かってチョークを走らせる先生の声が、教室に淡々と響き渡る。
生徒たちが一斉に紙をめくる衣擦れの音が重なった。
「今から六百年前、この国は未曾有の危機に瀕していました。『真祖』と呼ばれる絶対的な存在の吸血鬼が、大勢の同族を率い、この国を力で支配しようと大規模な戦争を仕掛けてきたのです」
先生の声に合わせて、チョークがカタカタと音を立てる。
「吸血鬼とは、人間の生き血をすすることを本能とし、人知を超えた肉体と力を得た化け物。さらに、人間を吸血鬼へと変える能力も持っていました。その圧倒的な脅威に国は押され続け、当時の人口の、実に三分の一もの尊い命が失われたと言われています」
先生の語る凄惨な数字に、教室のそこかしこから小さな息を呑む音が聞こえた。
「しかし、光属性の上位属性にあたる『神聖』の魔力を持った当時の王女、アリア様が、公爵家ゆかりの騎士と共に前線に立ち、絶望的だった戦況は一変します」
アリア様。
その高潔な名が出た瞬間、授業の空気はどこか高揚感が漂う。
「アリア様はその強大な神聖力を振るい、ついに全ての吸血鬼を、そして元凶である真祖をも討ち倒します。……しかし、敵の真祖と相打ちになる形で、アリア様もまた若くして命を落とす結果となってしまいました」
先生はそこで一度言葉を切り、教室全体を見渡すようにゆっくりと視線を巡らせた。
「現在、私達が享受しているこの豊かな繁栄は、アリア様の尊い犠牲のうえに成り立っているのです。私たちは、救国の英雄の存在を忘れることなく、これからの平和を維持するための一助としていきましょう」
(吸血鬼戦争、か……。中等部に入ってから、授業の内容も少しずつ専門的で難しくなってきた気がする……)
授業の終わりを告げる鐘の音が、タイミングよく廊下に鳴り響いた。
私は小さく息を吐き出しながら、歴史の教科書を静かに閉じた。
子爵家から救い出されて、フォーサイス公爵家で暮らし始めてから、それなりの時間が経っていた。
私は初等部を卒業し、中等部へと進学。
こうして何不自由なく学園に通えている現状に改めて感謝しつつも、私は机の上のノートを片付け始める。
「ルナリア、今日の放課後も訓練場に行くかい?」
後片付けをしていた私に、聞き馴染んだ爽やかな声が降ってきた。
振り返ると、そこには見事な赤髪を揺らし、端正な顔立ちに笑みを浮かべたグレンが立っていた。
「グレン……」
中等部へと進学してからのグレンは、少しでも時間があれば私の側にいようとした。
いつでも私を最優先にしてくれる彼の優しさは、純粋に嬉しくて、同時に少しだけ胃が痛くなるものでもある。
(……やっぱり、視線が痛いなぁ……)
教室を出ていく他の生徒たちが、私たちの様子をチラチラと盗み見ては、ひそひそと囁き合っている。
『なぜ、あのしがない下級貴族のペンバートン子爵令嬢が?』
『最高位のフォーサイス公爵令息といつも一緒にいるんだ?』
そんな、純粋な疑問と嫉妬、そして値踏みするような視線。
私は中等部に上がってから、ずっと背中に浴び続けている。
当の本人は、そんな周囲の雑音なんて気にしていない様子だが。
「ええっと……そのつもりよ。今日はアルがいないけれど、少しでもこの『闇』の魔力をコントロールする特訓をしておきたくて」
私が自分の胸元にそっと手を当てながら答える。
グレンは一瞬、顔をひどく心配そうに歪めた。
「アル、か……。あいつ、最近どうにも体調が悪いと言って、学園を休みがちだからな……」
グレンの碧玉の瞳に、幼馴染を心から案じる陰りが宿る。
「グレン、きっとすぐ良くなるわ。アルのことだもの、私たちが心配しすぎるのを一番嫌がるんじゃないかしら。今度、二人でお見舞いにいきましょう?」
「そうだな。ルナリアの言う通りだ。あいつの部屋に果物でも持っていこうか」
私の提案に、グレンは張り詰めていた表情を少しだけ緩め、いつもの穏やかな微笑みを取り戻してくれた。
「私はこの後、少し先生から呼び出されて話す予定があるんだ。だからルナリア、先に一人で訓練場に行っていてくれないか? 私も用事が終わり次第、すぐに追いかけるから」
「わかったわ。じゃあ、先に行っているわね。また後で」
「ああ。あまり無茶な魔力の使い方はしちゃダメだよ」
過保護な注意を笑顔で受け流しながら、私は教室を後にした。




