1章-17.(番外編)(グレン視点)グレンとアルのやんちゃな過去①
私には、アルという名の風変わりな従者がいた。
物心ついたときには、彼は当たり前のように私の影として側に控えていた。
そして、到底子どもとは思えないほどの底知れない知性と、落ち着きを身にまとっていた。
「アル。お前は何で、いつもそんなに大人びているんだ? 私と年齢は大して変わらないはずだろう」
ふとした折にそう尋ねても、アルはいつも薄く笑うだけだった。
「さあね。強いて言うなら、君とは潜ってきた『場数』が違うからじゃないかな、グレン」
「場数、か。お前がどんな場所を歩んできたのか、私にはさっぱり分からないな」
「内緒。影の過去を暴こうとするなんて、公爵家の令息としては減点だよ」
アルのことを探ろうとしても、いつもこうして煙に巻かれ、まともな返答が返ってきた試みはなかった。
けれども、私はそれでいいと思っていた。
「あ、そういえばさ、グレン。また同学年の女の子に告白されて、秒速で断ったらしいじゃん。学園の噂になってたよ。お試しで『友人から』とでも始めてみれば良かったのに。君、本当に容赦ないよね」
ある日の放課後、アルは色恋沙汰をからかい半分に放り込んできた。
「……異性として意識していない相手に、少しでも気を持たせてしまうのは、かえって不誠実で悪いだろう。最初から断るのが、私の誠意だ」
「相変わらず生真面目だねえ。……まあ、君がそれでいいならいいんだけどさ。いつか、君が周囲の目なんて全部忘れて、本気で心の底から想えるような、特別な女の子と出会えるといいね」
アルの言葉に、私は窓の外に広がる広大な公爵邸の庭園を眺めながら、小さく息を吐き出した。
「そんな相手、現れるはずがない。……私の婚約相手は、いずれ父上が決めるとおっしゃっていた」
「君は……本当にそれでいいの?」
覗き込んできたアルの青い瞳が、少しだけ真剣な色を帯びる。
「それは……貴族の家に生まれた以上、そういうものだ。しょうがないと割り切っている」
私の諦め混じりの言葉を聞いて、アルは肩をすくめると薄く微笑んだ。
「俺はそうは思わないね。グレンは絶対に、ちゃんと自分で、最高の相手を見つけ出すと思うよ」
「なぜ、そう言い切れるんだ?」
「君は馬鹿がつくほど真っ直ぐだからね。一度『これだ』と決めたら、公爵様が相手だろうが、全部力尽くで振り切って……グレンだけの道を、猛スピードで突き進んでいくさ」
アルはいつでも、私の本質を誰よりも理解し、私のことを考えてくれていた。
彼が私に向ける言葉は、ただの形式張った「従者と主人」のそれではない。
対等な「唯一無二の親友」のようで、私の心をいつも不思議と心地よく、温かくしてくれる。
「——おっと、それじゃあ俺はここで。公爵様に呼ばれているからさ」
アルは懐から懐中時計を取り出して時間を確認すると、すっと踵を返した。
「む……。また父上から仕事を頼まれているのか?」
「何でそんなに不機嫌そうな顔をするのさ。俺はフォーサイス公爵家に仕えている身なんだから、呼び出されるのなんて普通のことだよ。こき使われているだけ」
アルは困ったように笑うけれど、私はどうしても面白くなくい。
「私は……父上から直々に仕事を頼まれたことなんて、一度もない……」
アルはまだ私と同年代であるにもかかわらず、すでに大人顔負けの高度な魔法技術を持っていた。
そして、どんな不測の事態にも対応できる機転を兼ね備えている。
厳格な父上からもその実力を深く信頼され、二人きりで話し合っているようだった。
アルはすごい。
誰よりも優秀で、私の自慢の従者だ。
それは痛いほど分かっている。
分かっているけれど——どうしても、父上の信頼を一身に受ける彼に嫉妬を覚えてしまうのだ。
「それだけ『大切に守られている』証拠だよ。……グレンって本当、そういうところが子どもっぽいよね」
アルは私の焦燥感なんてすべて見透かしているように、ふっと呆れたような、けれど慈しむような微笑みを浮かべた。
「そ、そんなことはない! ……部屋へ戻る!」
子供っぽい、と言われたことが何より悔しかった。
アルのその、すべてを見透かしたような大人びた眼差しから逃げるように、私は彼に背を向け、その場を立ち去った。
——立ち去った、ふりをした。
アルの気配が遠ざかったのを見計らって、私は素早く足音を消し、今歩いてきた道を静かに引き返した。
足音を忍ばせ、父上の執務室の前へと戻った私は、重厚な木目の扉にそっと耳を寄せた。
隙間から漏れ聞こえてきたのは、父上の低い声と、それに淡々と応じるアルの声だった。
「——フォーサイス公爵家の周囲を嗅ぎ回っている不審な組織がある。おそらく、王都の犯罪グループだ。アル、お前にその組織の調査を頼みたい」
「はいはい、了解しました。公爵家への直接的な害が及ぶ前に、根城や組織員を洗い出しとくよ」
(調査……! 犯罪組織……!?)
扉の向こうで交わされる会話のスケールの大きさに、私は思わず息を呑んだ。
父上がアルに任せていたのは、雑用などでは断じてなかった。
危険な任務を、従者であるアルにだけ一任している。
(アルがいつもどんな世界を歩いているのか、これを機会にすべて暴いてみせる。そして、私だってあいつの隣に立てるくらい、戦えるということを証明してみせる……!)
子供扱いされた悔しさと、何より大切な友人であるアルが自分の知らないところで命を懸けていること。
その焦りが、私を無鉄砲な決意へと突き動かした。
父上が配置した公爵邸の鉄壁の警備網――見張りの騎士たちの巡回ルートは、すでに完璧に頭の中に叩き込んであった。
(……今だ!)
公爵家の誇る一流の騎士たちにすら一切気づかれることのない、完璧な脱走劇。
無事に邸の敷地外へと抜け出し、私は小さく拳を握りしめた。
我ながら見事な手際に、胸の奥で小さな高揚感がふつふつと湧き上がる。
自然と口元が緩んだ。
——しかし、敷地を一歩出た瞬間に、早くも大問題が発生した。
「……! い、ない……」
大通りの喧騒に紛れ込み、周囲を見渡す。
だが、右を見ても、左を見ても、アルの姿は影も形もなかった。
完全に見失ってしまったのだ。
あまりのあっけなさに、
その場に茫然と立ち尽くしてしまった。
(いや、まだ公爵邸を出てからそこまで時間は経っていない。遠くには行っていないはずだ。とにかく、周囲を探してみよう)
公爵家の外を、護衛も従者も連れずに一人で出歩くのは、短い人生の中でこれが初めての経験だった。
街を行き交う平民たちの活気に圧倒されそうになるが、家を出る前に一番簡素な服を着ていたおかげか、幸いにもそこまで周囲の目を引くことはなかった。
(犯罪組織の調査なのだから、こんな開けた表通りを堂々と歩くはずがない。だとしたら……裏路地か?)
私は意を決して、大通りから外れた、昼間だというのに闇が差し込んでいる細い路地へと足を踏み入れた。
一歩入っただけで、外界の賑やかな声が嘘のように遠ざかっていく。
そこはまるで、世界から切り離されたかのような静けさに満ちていた。
(不気味だ……。アルはいつも、こんな場所に一人で平気な顔をして来ているのか? 怖いとは……思わないのだろうか)
普段、自分がどれほど安全で眩しい世界に守られていたかを痛感する。
恐怖感に足がすくみそうになる。
けれど、アルに負けたくないという意地だけが、私の震える足を辛うじて前へと進めさせていた。
はやくアルの姿を見つけたい。
その焦りから、私の意識は前方にばかり向いていた。
背後から忍び寄る、微かな足音に気づけないほどに。
——突如、視界が反転した。
「——ぐ!?」
背後から伸びてきた太い腕。
それが強引に私の身体を締め上げ、自由を奪われる。
同時に、鼻と口を目の粗い布で塞がれた。
「……んぐっ、う……!?」
抵抗しようと必死に手足をバタつかせるが、大人の圧倒的な筋力を前にして、子どもの身体は簡単に宙に浮かされてしまう。
「おい、見ろよこの燃えるような赤髪……地味な服で隠してやがったが、間違いない。まさか、本当にフォーサイス公爵家の子どもが、護衛もつけずに一人で外に出てくるとはな」
「へへ、運が向いてきたぜ。いい土産になりそうだ。アジトに連れていって、最高の人質として使ってやるよ」
薄れゆく意識のなかで交わされる、男たちの卑俗な会話。
その言葉を拾い集めた瞬間、私の脳裏に冷たい戦慄が走った。
(こいつらが……父上とアルが警戒していた、公爵家を嗅ぎ回っているという犯罪組織か!)
手足を動かそうと必死に魔力を練ろうとするが、巨躯の大人たちに完全に抑え込まれ、まともな術式すら構築できない。
私はなすすべもなく、男たちの思うがままに薄暗い裏路地の奥へと連れ去られていった。




