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1章-16.実家からの迎え、動き出す歯車 .

 運命の、次の日の放課後。

 学園前には、迎えの馬車が、ぽつんと佇んでいた。


「それじゃ、またね……。二人とも、一週間本当にありがとう」


 私は距離感を保ちながら、見送りに来てくれたグレンとアルに、小さく一礼して背を向けた。

 これ以上、彼らの顔を見てはいけない。

 未練があふれて、全部台無しになってしまうから。


 冷たい馬車のステップに足をかけ、乗り込もうとした、その時だった。


「ルナリア……っ!」


 足音と共に、背後から私の名前を呼ぶ声が響いた。

 振り返るよりも早く、駆け寄ってきたグレンの大きな手が、私の手を強く握りしめた。


「グレン……っ、もう行かないと。御者が待っているわ」


 慌てて手を引こうとするけれど、グレンは頑なにその手を離そうとはしなかった。

 見上げる彼の碧玉の瞳は、痛々しいほどに激しく揺れている。


「ルナリア……。……君が何も言わなくても、私は、必ず……っ」


「グレン」


 グレンの言葉を遮るように、一歩後ろに控えていたアルがそっと彼の肩に手を置いた。

 彼はグレンをなだめるように、けれど私に対しては、どこか含みを持たせた不敵な笑みを浮かべてみせる。


「そんなに強く握ったら、ルナリア嬢が困っちゃうよ。ほら、手を離して。……大丈夫だよ。また、すぐに会えるんだからさ」


「アル……。ああ、そう、だな……。すまない」


 アルに促され、グレンはゆっくりと私の手から力を抜いていった。


(また、すぐに会える……。うん、そうね。教室に戻れば、また遠くからあなたたちの姿を見られるもの)


 アルの言葉を、単なる優しい気休めだと受け取っていた。


「……さようなら……」


 それが、私の口からこぼれ落ちた、精一杯の別れの言葉だった。


 私は逃げるように、馬車の薄暗い車内へと滑り込んだ。

 バタン、と重苦しい音を立てて木製の扉が閉まり、外の夕暮れ光が遮断される。


 胸を切り裂くような寂しさに身を震わせながら、私は暗闇のなかで、一筋だけ、涙を落とした。



 学園から送り出された馬車が、ペンバートン子爵邸の古びた門に到着する。

 世界はすっかり深い夜の帳に包まれていた。


 見慣れたはずの薄暗い屋敷が、まるで怪物のように見える。

 馬車を降り、一歩ずつ玄関の扉へと近づくにつれて、私の足取りは重くなっていった。


(一週間も無断で外泊したんだもの……。どれだけ完璧な根回しをしてくれたとしても、お父様が怒り狂っているのは間違いないわ)


 最悪の事態を想像し、胃の奥がキリキリと痛む。

 恐怖に震える指先で、私は覚悟を決めて子爵家の重い木製の扉を押し開けた。


「ただいま戻りまし——」


「おお、ルナリア! 待ち兼ねたぞ、遅かったではないか!」


「え……っ?」


 玄関ホールに足を踏み入れた途端、飛び込んできたのは私の予想を覆す光景だった。

 そこに立っていた父は、激怒するどころか、満面の笑みで私を出迎えてくれたのだ。

 あの冷酷な父が、こんなにも上機嫌な様子を見せるなんて、いつ以来のことだろう。

 あまりの異常事態に、私は硬直してしまった。


「あの……お父様。事前の相談もなく外泊を続けてしまい、本当に申し訳ございま……」


「フン、そんな些細なことはもうどうでもいい! それよりお前、すぐに自室に戻って明日の身支度と準備をしろ!」


「え? 明日、ですか……? 一体、何があるのですか」


 戸惑う私に、父は手にした一通の高級な羊皮紙の書状を、自慢げにひらひらと見せつけてきた。


「レミントン伯爵家から、直々に令息の誕生日パーティーの招待状が届いたのだ! なんでも、主役である令息と同い年くらいの子供たちを集めて、華やかに祝いたいとのことで……。どういう風の吹き回しか、お前のような役立たずにもお呼びがかかったのだ!」


「え、レミントン伯爵家から、私に……っ!?」


 私は驚きのあまり息を呑んだ。

 レミントン伯爵家といえば、広大な領地経営で成功しているだけでなく、事業を次々と成功させている、今最も勢いのある大物貴族だ。

 私達ペンバートン子爵家など、普段なら雲の上の存在である。


「いいか、ルナリア。天下のレミントン伯爵家のパーティーだ。王都中の有力な貴族たちがこぞって集まるに違いない。そこで、我が家に利益をもたらしてくれるような、地位の高い婚約者を何が何でも見つけてくるんだ!」


 父は欲望に塗れた目で私を見下ろすと、その醜い唇の端を歪めて冷酷に言い放った。


「面汚しのお前が役に立てることなど、その見た目で高貴な男をたぶらかすことくらいだ。愛嬌を振りまいて、死に物狂いで縁談をもってこい!」


「……っ。……はい、お父様」


 私を人間ではなく、家を潤すためだけの都合の良い道具としてしか見ていない。

 グレンやアルがこの一週間。

 私という存在そのものを認め、私の重ねてきた努力をあんなにも尊んでくれた記憶。

 それが、父の罵倒によって無惨に汚されていく。


(……でも、よかった。今日は、お父様に殴られずにすみそう……)


 今夜の暴力を免れただけで、私は心のどこかでホッと安堵してしまっていたのだ。

 そんな自分の、痛みに麻痺してしまった歪んだ思考が、ひどく惨めで、また涙がこぼれそうになる。


 実家の冷たい現実に引き戻され、私はただ、明日の華やかな地獄へ向けて、心を閉ざすことしかできなかった。


挿絵(By みてみん)

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