5章-123.(セフィラ・ヴィル視点)真祖の参戦、因縁の終止符(□)
「——今度は当たったね」
音が響いた直後、ふわりと戦場に舞い降りたのは、真紅の双眸を不敵に煌めかせる漆黒の影だった。
吸血の真祖であるアルが、その圧倒的な存在感を放ちながら、暗い路地裏へと降り立つ。
先ほどの一撃をまともに受けたキリアンは、わずかによろめきながら、口元に浮かんだ血を細い指先でぬぐった。
「おかしいですね。認識を狂わせる隠蔽の術を辺り一帯にかけておいたのですが……」
「そう何度も同じ手が俺に通用すると思うなよ。血の匂いさえあれば、俺なら知ってる術式の隙間くらいかいくぐれるさ」
アルは囚われていたヴィルの方へと手をかざす。
刹那、彼の四肢を縛り付けていた神聖の鎖が、強力な空間圧縮の負荷に耐えかねて一斉に砕け散った。
「ずいぶんと手ひどいやられ方をしたね。まあ、その身を挺して血を流したおかげで、この場所の特定に至ったんだけどさ」
「……助かった、アル」
「へえ、ヴィルにしては素直じゃん。明日は槍でも降るのかな?」
アルはさらにその後方で、禍々しい鎖に捕らわれたままのセフィラへと視線を向ける。
「さすがにその黒と白の混ざった鎖を同時にぶっ飛ばそうとすると……空間ごとセフィラを砕いちゃいそうだね。申し訳ないけれど、少しの間だけ我慢していてもらえる?」
身体を苛む苦悶に表情を歪めながらも、セフィラはかすれた声を振り絞って叫んだ。
「私のことは気にしないで! キリアン先生……ううん、その外道を今すぐ叩きのめして!」
「だってさ、ヴィル。まだ立てるなら、ちょっと手伝ってよ」
脇腹の傷を抱え、よろめきながらも力強く立ち上がり、ヴィルは銀の剣を構えて切っ先を揺らめかせる。
「当たり前だ。あいつだけは絶対に……俺の手で葬り去る」
体勢を速やかに整え直したキリアンは、アルの真紅の瞳をじっと見つめ返した。
「やはりあの港町で殺しておくべきでしたかね。あなたはもっと、後々まで遊べそうだと思ったのですが……」
「なにそれ。気持ち悪いことを言わないでほしいんだけど」
アルが、嫌悪を滲ませながら眉をひそめた。
キリアンは、まるで慈愛に満ちた聖職者のように、穏やかな笑みをその顔に湛えたまま、静かに口を開く。
「六百年前の吸血鬼戦争のきっかけを私が作ったときから、あなたにはとても楽しませてもらっていましたからね。真祖アル、あの時のアリア王女の血は……さぞ美味だったでしょう?」
キリアンが放った最悪の告白に、アルの眉根がぴくりと揺れた。
アリアという名を聞いた時、彼のまとう空気が一瞬凍りつく。
「ふうん……なるほどね。そんな昔から、お前が裏で関わっていたわけか。これはなおさら、跡形もなくぶっ飛ばさないと気がすまなくなったよ」
「……アル、そいつの挑発に乗るなよ」
「わかってるって。どこかの狂犬と違って、俺は冷静沈着を基本に生きてるからね。こんな分かりやすいお誘いはスルーだよ」
「……ならいい」
憮然とした表情を見せながらも、ヴィルは銀の剣を強く握り締め、キリアンに向かって勢いよく駆け出す。
それと同時にアルが右手をかざし、目に見えぬ空間圧縮の衝撃をキリアンに向けて放った。
キリアンは押し寄せる空間圧縮を不気味な闇の魔力で霧散させるが、即座にその胸元へとヴィルの銀閃が肉薄する。
しかし、それを虚空から現れた純白の鎖が阻み、刃が届くのを妨害した。
「吸血鬼と暗殺者が揃うとなると、いくら私でも苦戦しますね」
キリアンは、困ったように微笑む。
その態度には、未だ底知れない余裕が感じられた。
「ヴィル、短期決戦で行こう。君の巻き込みを気にせず全力を出すから……何とかしてキリアン卿にたどり着いてね」
「……わかった」
アルの言葉に応じ、ヴィルが後退したキリアンへ、一気に間合いを詰める。
「いくよ。キリアン卿を中心とした空間を、圧壊させる——!」
アルが両手を強く握り合わせた瞬間。
空気そのものが悲鳴を上げるように、キリアン周辺の空間が激しく歪み始める。
「おっと、さすがにこの力は強大ですね」
しかしキリアンが黒い魔力を振るうと、風がふいたかのようにその周辺だけ空間の歪みがピタリと止まった。
その隙を縫うように、ヴィルの猛攻が迫る。
ナイフと銀閃が激しく交錯し、夜闇に鋭い火花が散った。
「残念ですね、ヴィル。あなたの刃は届きませんよ」
穏やかな声とは裏腹に、純白の鎖がヴィルの全身へ向けて一斉に迫りくる。
「……見誤ったな、キリアン卿。俺の本気は——これだけじゃない」
アルがパチンと指を鳴らした瞬間、空間に無数の微細な亀裂が走った。
次の瞬間、ヴィルの姿がふっと掻き消える。
「……!」
キリアンが僅かに目を見開いた、その一瞬。
その背後に音もなく出現したヴィルの刃が、黒い閃光とともにキリアンの背中を袈裟斬りにした。
「がは……っ! 空間転移……? それは、あの竜人しか使えないはずの古代魔法……!」
背後から深々と切り裂かれたキリアンは、激しく血を散らしながら、生まれて初めて見せるような驚愕の表情でアルの方を振り返った。
「空間制御と転移は、性質がよく似ていたからね。エリオスにコツを聞いて、ちょっとだけ練習していたんだよ。人を転移させたのはこれが初めてだったけれど……大仕事の舞台でうまくいって良かった」
アルはいつものように肩をすくめ、何でもないことのように笑ってみせる。
血を流し、膝をつくキリアンの目の前へと、ヴィルがゆっくりと歩み寄り、銀閃を揺らしながら立ちはだかった。
ヴィルは一度だけ、アルの方へと視線を送る。
アルは困ったように微笑みながらも、彼の覚悟を肯定するように首を縦に振った。
「俺の人生を都合のいい玩具のように弄んだお前を、絶対に許すことはできない。この世界に、お前という存在はいないほうがいい」
「……私の最期が、まさかあなたのような、どこまでも平凡な人間によってもたらされることになるとは。ですが……それもまた、一つの美しい人生の幕引きと言えるのかもしれませんね」
その歪んだ最期の言葉をすべて聞き届けるようにして、ヴィルは一切の躊躇なく、銀閃の刃を頭上から一気に振り下ろした。
ヴィルの過酷な人生を作り上げた育ての親であり、六百年前の吸血鬼戦争の引き金。
これまでの歴史の裏で、あらゆる災厄の種を蒔き、暗躍し続けていた絶対的な黒幕。
数多の命を弄んできたその怪物の生涯が、今、あっけなくもすべて終わった。




