1章-12.グレンの怒り、そして父の断罪
「グレン、な、んで……」
「大丈夫だ。もう大丈夫だから……。よく、頑張った」
彼の手が、私の震える背中を優しく、ぎゅっと抱きしめ直す。
その手のひらの温もりに触れた瞬間、私の張り詰めていた心は一気に解け、視界が涙で滲んでいくのだった。
「——おい! どこから入り込んできた、このクソガキ……! さっさと出ていけ!」
私たちの頭上から、我に返った父の汚い怒声が降ってきた。
よく見れば、今のグレンは正装ではなかった。
上質な生地で仕立てられてはいるものの、装飾は一切なく、まるでアルのような「従者」を思わせる、動きやすさを重視したような簡易的な服装だ。
(そっか……お父様は、グレンの顔を知らないんだわ)
こんな目立たない軽装の少年が、まさ大貴族の子息だとは、微塵も思い至らないのだろう。
父はグレンをただの不法侵入した無礼者だと決めつけ、顔を真っ赤にして睨みつけている。
「……ペンバートン子爵」
グレンが、ゆっくりと父の方を振り返った。
「——ッ!?」
その瞬間、部屋の空気が一気に凍りついた。
振り返ったグレンの顔は、私がこれまで見たどの表情とも違っていた。
いつも私に向けてくれていたあの温かな微笑みは消え、その瞳には怒りの炎が燃え盛っている。
その凄まじい気迫は、大人の、それも一家の主であるはずの父を遥かに凌駕していた。
「私の目の前で……彼女にこんな真似をして、ただで済むと思っているのか」
子どもとは思えない、冷え切った声音。
グレンの一言一言が、まるで鋭い刃となって父の喉元へ突きつけられていく。
「今、あなたはこの国の法に触れた。……子爵家……いや、あなたの人生は、これで終わりだ」
「な、何を……何を馬鹿なことを言っている……!」
相手はたかが子供だと自分に言い聞かせるように、父は声を荒らげた。
けれど、その身体は本能的な恐怖に抗えず、ガタガタと目に見えてたじろぎ、後退りしていた。
「な、何を言うか! わ、私が暴力を振るったという証拠などどこにもない! たまたま、娘が足元を滑らせて勝手に倒れただけだ! 子ども風情が、我が家を貶める気か!」
部屋には私たちしかいない。
その事実だけを心の拠り所に、自分の優位を保とうと必死に虚勢を張っている。
しかし、その見苦しい足掻きは、開け放たれたバルコニーのカーテンの向こうから響いた声によって一瞬で叩き潰された。
「——私がこの目でしかと見た。それが、何よりの証拠だ」
聴く者すべてを平伏させるような、絶対的な威厳。
バルコニーの影から、ゆっくりと室内に向かって歩みを進めてくる人影があった。
現れたのは、グレンと全く同じ、燃えるような鮮やかな赤髪。
オールバックに結い上げた、体格の良い壮年の男性だった。
高貴な刺繍が施された衣服を着こなし、ただそこに存在するだけで部屋の空気を完全に支配してしまうほどの覇気を放っている。
そして、その男性の背後に付き従うようにして、一人の黒髪の少年がひょっこりと顔を出した。
「アル……!」
「ごめんね、ルナリア嬢。俺達の計画の都合上、どうしても『確実な現行犯の現場』を押さえる必要があってさ……。痛い思いをさせちゃったね」
アルは、心からの申し訳なさそうに、そして私を気遣うような優しい色を滲ませて微笑んだ。
「あ、あ、あなたは……っ! なぜ、ここに…!?」
父の顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
目の前に現れた壮年の男性の顔を、父はよく知っていたようだ。
いや、この国に生きる貴族のなかで、その容姿を知らない者など存在しない。
「ペンバートン子爵。直に挨拶をするのは、これが初めてだな」
男性は凍りつくような視線を父へと据えると、低く咎めるような声を轟かせる。
「私はフォーサイス公爵家当主、フィン・フォーサイスだ。実の娘に対する、弁明の余地なき凄惨な暴力の現場——この国の政務を預かる公爵として、そして一人の人間として、私がしかと目に焼き付けた」
「こ、公爵、閣下……! これは、その、誤解でございます! 私はただ、親としての教育を——」
「黙れ。見苦しいぞ」
グレイソン公爵の一喝。
それだけで、父は声を失い、ぶるぶると恐怖に身を震わせた。
「我が愚息から話を聞いた時は耳を疑ったが……まさか、これほど厚顔無恥な輩が我が国の貴族に紛れ込んでいようとはな。——ペンバートン子爵。今後お前には然るべき厳罰と処分が下ること、今のうちに覚悟しておくがいい」
それは、ただの脅しなどではない。
この国の権力の頂点に立つ男からの、絶対的な破滅の宣告だった。
ご愛読ありがとうございます。
ページ下部の「ブックマーク」・「★評価」など頂けると、投稿の励みになります!




