1章-12.ニ回目の訓練と、アルの弱点 .
放課後の訓練場。
中央に立つアルが、パンと小気味よく両手を叩いた。
「それじゃ、約束通り訓練二回目を始めようか」
グレンは一歩引いた位置で、いつでも動けるよう待機している。
全身に微かな光の魔力をまとわせながら、神妙な面持ちでこちらを凝視していた。
「ルナリア嬢。……やっぱり、まだ少し怖い?」
アルが眼鏡の奥の青い瞳を少しだけ細め、私の顔を覗き込んできた。
昨日、意識を呑み込まれかけた恐怖が消えたわけじゃない。
けれど、私は小さく息を吸い込み、しっかりと首を振った。
「怖いけれど……大丈夫。グレンとアルがいるから。二人を心から信頼しているから、私は逃げない」
「そっか。いい返事だ。——それじゃ、いくよ」
アルは昨日のように私の手をそっと取ると、再び自身の魔力を流し込んできた。
身体の芯がひんやりとする感覚。
けれど、昨日の暴力的などす黒い気配は、不思議と襲ってこなかった。
(冷たい……。けれど、今回は溺れない……!)
確かに異質な力が体内を巡っているのを感じる。
けれどそれは、私の血液のなかに溶け込み、ゆっくりと、しかし確実に私の意志に従って流れていく心地よい感覚だった。
「そうそう、良い調子。その魔力を、自分の身体中に巡らせるイメージを持って。……はい、その感覚をそのままキープして」
「う、うん……っ」
深く、深く呼吸を繰り返しながら、異質なエネルギーを自分の肉体へと馴染ませていく。
拒絶するのではなく、受け入れる。
そう意識すると、暴れ馬のようだった闇の魔力が、私という器に浸透していくのが分かった。
「上手いね。それじゃ……いったん手を離すよ。大丈夫、落ち着いて」
アルが、私の指先からゆっくりと自分の手を離した。
一瞬、支えを失ったような不安が胸をよぎったけれど、彼の魔力が道標として体内に残ってくれている。
そのおかげで、私は一人でも闇の魔力を完全に制御下に置き続けることができていた。
「で、できてる……? 私、自分の力で抑え込めてる?」
「完璧だよ。想像以上の適応力だ。……それじゃあさ、せっかく上手くいったんだし、もう一段階上のステップにいっちゃおうか」
アルはにっこりと不敵な笑みを浮かべると、親指でトントンと自身の胸を指差した。
「その体内に巡らせている君の魔力をさ、俺に向けて思いきり解き放ってみて」
「えっ……!? ア、アルに向けて!?」
「アル!? 正気か! それだとお前が……!」
後ろに控えていたグレンが、弾かれたように声を荒げて詰め寄ってくる。
声の慌てようから、本気でアルの身を案じて焦っているのが分かった。
しかし、当のアルは、主君の猛抗議を受け流し、眼鏡の位置を指先で直してみせた。
「いいからいいから。——大丈夫、絶対に平気だからさ。ルナリア嬢、ちょっとやってみてよ」
アルの、どこまでも不遜で、けれどこれ以上ないほど頼もしい挑発。
「わ、わかった……!」
押し寄せる強烈な魔力。
それを外に出すイメージを作り上げようとした。
「あ……っ、しまっ……!」
しかし、私の意志を置き去りにして具現化したのは、小さな火花などではない。
漆黒の不吉な魔力が、文字通り禍々しい『旋風』の塊となって、もの凄い速度でアルの細い身体へと牙を剥いた。
「アル……!」
直撃すれば、ただでは済まない。
しかし、標的であるはずのアルは、まるで心地よい凪でも受けるかのように、薄く微笑んだままでいた。
「うん、まあ……こんなものかな」
彼は、ただ静かに右手を振り上げ。
そして、目の前の空間を撫でるように、ふわりと手のひらを落とした。
——その瞬間。
アルを呑み込もうとしていた私の闇の魔力。
まるで最初から存在していなかったかのように、空中で一点に圧縮され、綺麗に消え去った。
「え……っ、あ……!?」
何が起きたのか、理解が追いつかなかった。
魔法を発動する際の特有の気配すら、アルからは一切感じられなかったのだ。
ただ、彼がゆっくりと手を動かしただけで、凶悪な闇があっさりと無に帰されてしまった。
「うん。暴走しかけたのはご愛嬌だけど、初めての出力としては上出来だね。……ほら、言っただろう? 絶対に大丈夫だって」
アルは眼鏡の奥で、いうものように軽い笑みを浮かべてみせた。
やっぱり、彼は私の想像を遥かに超える本物の魔法使いなのだ。
そう安堵しかけた、その時。
「ふう……っ」
アルは小さく、けれど隠しきれない重い息を吐き出す。
同時に、ガクリと肩を落として、そのまま自身の両膝に手を突いた。
「アル……ッ! だから言っただろう、無茶をするなと!」
衣服を激しくなびかせ、背後に控えていたグレンが弾かれたように駆け寄ってきた。
彼はすぐさまアルの肩を抱きかかえるようにして、その身体を支える。
「あー……。大丈夫だよ、グレン。これくらいで、フォーサイス公爵家の従者が倒れないよ。ただ、ちょっと……思ったよりルナリア嬢の魔力が『重かった』だけだよ」
グレンに支えられながら、アルは強がるように唇の端を吊り上げて見せた。
「まあ、でも……今日のところは、このくらいにしとこうか」
アルは自嘲気味に笑うと、グレンの肩を叩いて身を起こした。
「というわけで、今日も管理室への鍵の返却よろしく頼むよ。……ルナリア嬢もお疲れ様。また明日ね」
アルはいつもの飄々とした足取りで、訓練場を後にしていった。
残されたのは、私と、アルを心配そうに見送っていたグレンの二人だけ。
私の心の中には、アルにそこまでの無理をさせてしまった罪悪感。
そして、彼が私の可能性を認めてくれたことへの、複雑な感情が胸の奥で渦巻いていた。
「……ルナリア、そんなに責任を感じなくても平気だ。アルがああなってしまったのは、君の魔力のせいじゃないんだ」
「え……」
「あいつはね……ああ見えて、病弱なんだよ」
「そうなの!?」
驚きのあまり、私は弾かれたように顔を上げた。
いつも不遜で、自信に満ちあふれていて、軽薄な態度を崩さないアル。
およそ彼のイメージからは程遠い言葉に、私は目を丸くするしかなかった。
「ああ。さっきのように強力な魔法を行使すると、まるで重度の貧血を起こしたように、その場に倒れることがあるんだ」
グレンは、アルが去っていった扉の先を、どこか切なげに見つめながら言葉を重ねた。
「……幼い頃、私が誘拐犯に攫われたことがあってね。あの時、アルは一人でアジトに乗り込んできて、その凄まじい力で私を助け出してくれたんだ。……けれど、その代償として、彼はその後、丸一週間も寝込んでしまった」
グレンの碧玉の瞳に、当時の申し訳なさともどかしさが苦く滲む。
「アルは学園でも平然とした顔をしているけれど……本当は療養が必要で、授業を休むことがある」
「そう、だったの……」
グレンの口から語られた真実に、私は言葉を失い、ただただ胸が締め付けられるような痛みを覚えていた。
てっきり、退屈な授業を気まぐれにサボっているだけなのだと思い込んでいた。
けれど、それは大きな間違いだったのだ。
彼はそんな身体でありながら、私の闇を飼い慣らすために、自らを削ってまで力を貸してくれた。
(サボり魔だなんて思っていて、ごめんなさい……っ)
彼らの優しさを知るたびに、胸の奥の罪悪感はどんどん形を変えていく。
どうしても、彼らを助けたいという思いが増していくのだった。
「アルは無茶ばかりする。……けれどルナリア、あいつが他人のためにここまで身体を張るなんて、私を助けた時以来なんだよ」
グレンは私に向き直ると、その傷だらけの手で、私の冷えた手をそっと包み込んだ。
「あいつは、口は悪いけれど本気で君の可能性を信じているんだろう。だから……アルの無茶を無駄にしないためにも、一緒に前を向こう」
「……うん。がんばるわ、グレン」
グレンの手の温もりに支えられながら、私はアルの隠された事実を胸に刻む。
明日からの特訓へ向けて、より一層強く、静かに闘志を燃やすのだった。




