1章-11.「やんちゃ」なグレンの過去 .
「——なるほど、この術式の展開はそう考えるのね。学園の先生の授業より、何倍も分かりやすい……」
「でしょ? 学校の先生って型にはまった教え方しかしないからね。要点さえ掴めば、座学なんていくらでもショートカットできるんだよ」
またしても午後の授業を堂々と抜け出したアルは、私の家庭教師をしてくれていた。
彼の解説は驚くほど明瞭だ。
私がずっと引っかかっていた難所を、まるでパズルを解くようにスラスラと導いてくれる。
(やっぱりこの人は、圧倒的な天才なのね……)
そう改めて感心していた、まさにその時。
「……そういえばさ、ルナリア嬢。君ってぶっちゃけ、グレンのことどう思ってるの?」
何でもない世間話のトーンで唐突に爆弾を放り込んできた。
「へ、……えっ!?」
あまりに予想外の角度からの質問に、裏返った声が出てしまった。
持っていたペンをノートの上に落としそうになり、慌てて持ち直す。
「ど、どうって……。とても、その、優しくて紳士的な方だな、と……」
「あー、そういう模範解答じゃなくてね。俺が聞いてるのは、もっとこう……恋愛的な意味での話」
からかうように身を乗り出してきたアルの顔を見る。
眼鏡の奥にある、綺麗な青い瞳。
そこには、面白いおもちゃを品定めして楽しんでいるかのような、実に意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「そ、そんな、滅相もないわ! フォーサイス公爵家のご子息に対して、私のような下級貴族がそんな不敬な想いを抱くなんて、恐れ多いにも程が……!」
「じゃあさ、仮に彼が公爵家じゃなくて、君と同じくらいの身分の少年だったら? ちょっとは男として気になったりしない?」
「アル……っ! もう、からかわないで!」
真っ赤になって怒る私を見て、アルは声を上げて愉快そうに笑った。
「あはは、まあまだ出会ったばかりだしね。いいよ、俺は二人がこれからどういう関係になろうと、温かく応援してあげるからさ」
ペンを回しながら、こちらの反応を観察して楽しむアル。
その余裕たっぷりな態度。
それを前にして、私は昨日グレンが「悔しい」とこぼしていた理由が、身に染みて分かったような気がした。
この人と話していると、手のひらで転がされているような気分になる。
(なんだかちょっと、私も悔しい……)
私は少しでも話題を逸らそうと、アルに問い返した。
「……そういうアルこそ、グレンのことどう思っているの? いつも一緒にいるけれど……」
「ん? 俺?」
アルは回していたペンを止め、意外そうに目を瞬かせた。
それから、少し考えるように天井を仰ぎ見て、そっと目をつむる。
しばらくの沈黙の後、薄っすらと青い目を開いた彼は、深いため息を吐き出した。
「頑固で、猪突猛進で、全然人の言うことを聞かない、子どもの中の子ども、かな」
「……ええ!?」
あまりに容赦のない酷評に、今度は別の意味で声を上げてしまった。
「まあ、君らから見るとさ、グレンはいつも完璧で、優しくて大人っぽい『公爵家の神童』に見えるんだろうけどね。従者の俺からすると、本当に色々、文字通り命懸けの苦労があるんだよ……」
「……例えば?」
私は勉学を止め、少しだけ好奇心に負けて、グレンの隠された一面を聞きたくなった。
アルは盛大なため息をもう一つ重ねると、頭を抱えるようにして黒髪をくしゃりと歪ませた。
「ある日のことなんだけどね、フォーサイス公爵様から、俺個人にちょっとした仕事を頼まれたんだ。そしたらグレンが不機嫌になっちゃって」
「グレンが……?」
「あいつ、昔から俺に仕事頼まれるのが、とにかく気に入らないんだよ。まあその時は何とかなだめて、仕事をこなすために俺一人で屋敷を外出したんだけど……」
アルの青い瞳が、遠い目で過去を振り返るように揺らぐ。
「いつの間にか屋敷の警備をすり抜けて脱走したグレンが、必死に俺を追いかけてきてさ。さらに最悪なことに……誘拐犯のグループに目をつけられて、グレンがさらわれちゃったんだよね」
「そ、そんなことが……っ!?」
あの真面目で気高いグレンが。
まさか、屋敷を脱走した挙げ句に誘拐されていたなんて。
あまりにも普段の彼からは想像できないやんちゃなエピソードに、私は絶句するしかなかった。
「あの時は本当に大変だった。……まあ、あの事件を機に、自身の無力さを思い知ったみたいで、少しは大人しくなったんだけど」
やれやれ、と肩をすくめるアル。
けれど、彼のその愚痴の裏には、二人の強い信頼関係が透けて見えた。
それと同時に、私は気づく。
昨日グレンが言っていた渇望は、この幼い日の誘拐事件が原点だったのかもしれない、と。
「そんなことがあったのね……。少しだけ、グレンが身近に思えた気がする……」
「でしょ? だから、あんまりグレンを美化しすぎないこと。……さて、無駄話はここまで。勉強の続き、やるよ」
アルはまたパッといつもの不敵な笑みに戻ると、ノートを指先で叩いた。
グレンの意外な過去。
それを知ったことで、私は彼をより近くに感じられたような気がして、胸の奥がほんのり温かくなった。




