5章-119.黒幕にとっての暇つぶし、燃え上がる怒り
私はあまりの驚愕に、言葉さえ発することができなかった。
「キリアン……先生……!?」
鎖で細い喉を締め上げられながら、セフィラも震える声で彼の名前を口にした。
彼女の瞳が、信じられないものを見るかのように揺らいでいる。
「先にセフィラから片付けようと思っていましたが……。やはり、あなたを先にしましょうか」
ローブを夜風にたなびかせながら、私の方へとキリアン卿がゆっくりと迫ってくる。
その顔には、いつも通りの優しい笑みがあった。
しかし、そこから放たれる圧倒的な気配は、残酷な頭領そのもの。
その壮絶な落差に、私の身体は否応なしにすくみ上がる。
「な、ぜ……どうしてこんなことを……! いつから私達を欺いていたんですか……!」
私は精一杯に声を張り上げ、近づいてくるキリアン卿をにらみつける。
これまで過ごした短い時間の中で、彼はとても優しく、年長者として適切なアドバイスもしてくれた。
そんな彼が、こんな非道な行いをする理由がどうしても見当たらない。
「いつからですか、と聞かれれば……そうですね。カリス……私の人生の楽しみは、彼の絶望から始まりました」
「な!?」
蘇生の神聖魔法を操るという、伝説の使い手カリス。
しかし、それは遥か昔に起きた悲劇的な出来事だったはずだ。
「自身の力に絶望したカリス。そして彼を守ろうとした結果、その手で彼の息の根を止めることになった隣人達の慟哭……あれを見た瞬間から、私は人類を裏切り始めたのかもしれませんね」
「どういうことですか……!」
問い返した声が、自分でも気づかないほど震えていた。
しかし目の前の人物は、こちらの動揺などまるで意に介さないように静かに言葉を口にしていく。
「……ああ、でも。それはあなたの人生には直接関係のない話でしたね。それでしたら、あなたが生まれて間もなくの頃からでしょうか。裏から手を回し、あなたの家庭環境を悪化させたあたりです。あなたを闇の絶望に落とすためにね」
「え……!?」
耳に届いた言葉が、意味を成すまでに数秒かかった。
それほどまでに、目の前の男の言葉は理解を超えていた。
「しかし、あなたは私が与えた逆境を乗り越えた。周囲との絆とともに……。私は胸を焦がされましたよ。これほど美しく積み重なったものが一瞬で絶望に落ちるとき、一体どんな顔をしてくれるのだろうかと」
私はあまりの衝撃に、完全に声を失う。
そんなにも前から、私が生まれてすぐの幼い頃から、この男は私を監視し、弄んでいたというのか。
「あなたは希少な闇属性の持ち主ですからね。闇の魔力は人を狂わせ、絶望を撒き散らす。今までも闇属性持ちを見つけたら、すぐにその人生を私好みに彩っていてあげたのですよ」
笑みを浮かべたまま紡がれるその言葉。
穏やかでありながら、深く冷たい刃のように胸に突き刺さった。
「じゃあ、これまでの騒動も全部……」
「あなたに絆を深めるための適切な試練を与えつつ、少し遊んでいただけですよ。六百年も国の平和を守り続けた吸血鬼や、数千年の歴史を変えようとする竜人……彼らの崇高な生き様を傍らで見届けるのも、なかなか楽しかったですね。実に良い暇つぶしになりました」
その身勝手極まりない言葉を聞いた瞬間、私の中で激しい怒りの炎が燃え上がる。
グレンも、アルも。
エリオスも、ヴィルも。
彼らが命をかけて紡いできた大切な人生のすべてを、まるで片手間の玩具のように弄んでいたという事実。
到底許せるはずがなかった。
「あなたは……人の命を……一体何だと思っているの……!」
私の怒りを真正面から受けながら、彼はなお穏やかな足取りで歩み寄ってきた。
「人の命、そしてその人生は実に美しいものですよ」
そして、まるで子どもをあやすように、視線を合わせるようにその場に膝をついた。
「希望が絶望に落ちる時、人生をかけて積み重ねたものが一瞬で崩れ去る時……それを見ると、本来なら無である私の中にも、狂おしいほどの感情が花開くのです。喜び、慈しみ、楽しさ……私はそれらを心から愛しているだけですよ」
彼の口元に浮かぶ柔和な表情のまま、耳を疑うようなおぞましい言葉の数々が淡々と吐き出される。
キリアン卿は、もはや人間の心を持った存在などではない。
こちらの常識も、まっとうな言葉も一切通じない、人の形をした怪物そのものだった。




