5章-108.神聖魔法の真髄、奇跡の代償となった悲劇
静まり返った客間の廊下。
私と並んで扉の前に立ったグレンが、規則正しくノックの音を響かせた。
「キリアン卿、夜分遅くに申し訳ありません。グレンです。今、少々よろしいでしょうか?」
「はい、どうぞお入りください」
中から響いた穏やかな声に導かれるようにして、私たちはゆっくりと部屋の中へと入った。
案内された部屋を見渡すと、机という机の上に、これでもかと書類の山がうず高く積まれているのが目に飛び込んでくる。
「……お仕事の最中でしたか?」
グレンが申し訳なさそうに尋ねると、キリアン卿は困ったように肩をすくめた。
「いえいえ。どうしても押し付けきれずに残ってしまった書類を、少し処理していただけです。それよりも、こんな夜更けに一体いかがされましたか? 」
「神聖魔法について、少しお聞きしたく参りました。今の私には、どうしても一刻も早く、その能力を目覚めさせたい理由があるのです」
「……神聖魔法、ですか……。それはまた、随分と難しいことを聞かれますね」
キリアン卿はそれまで持っていた万年筆を机に置き、グレンの方へ向き直った。
その表情からは、いつもの優しげな雰囲気が消え、聖王国の最高幹部としての威厳ある色が覗く。
「まず前提として、神聖魔法は神が授ける奇跡とされています。その選定条件は聖王国でも分かっていませんが、一般的には高貴な魂と体に宿るとされているのです。そして神聖魔法には、表向きの力と、そのさらに先にある真髄となる深淵の力が存在します」
「その、真髄を見極める方法というのは、聖王国には伝わっていないのでしょうか?」
「残念ながら、明確な手段は伝わっていません。しかし、その真髄の力は、術者本人の気質や、魂の本質に深く関わっているとされています。例えばグレン殿、貴方の一番の『祈り』とは何ですか?」
「……私の祈りは……」
グレンは一瞬だけ言葉を区切った後、隣にいる私を見つめて迷いなく告げた。
「ルナリアを守ることです。彼女の身に何かあれば、私は生きてはいけない」
あまりにも熱い愛の告白を、グレンはキリアン卿の前で堂々と言い放った。
私は愛しさと恥ずかしさで熱くなる顔を、少しだけうつむいて隠す。
「それでは、その強い想いを軸に考えると良いでしょう。神はきっと、その至高の祈りに応えて力を貸してくれますよ」
「……ルナリアを……」
グレンは自分の手を見つめながら、その言葉を噛みしめるように呟いた。
「ただし、ひとつだけ。これは聖王国の枢機卿としての、私個人からの助言ですが……。もしその神聖魔法の真髄に至ることができたとしても、その力は秘密にしておくと良いでしょう。私自身の神聖魔法も詳細は他者に伏せています」
「……それは、なぜでしょうか?」
キリアン卿から告げられた予想外の忠告。
グレンは不可解そうに眉を寄せ、疑問の視線を投げかける。
「そうですね。これは聖女セフィラと関わるうえでも非常に大事なことですので、少し詳しくお話しをしましょうか」
「セフィラにも、ですか……?」
「ええ。聖女セフィラがこの国へ留学にやって来る条件の一つとして、『神聖魔法を行使してはいけない』という厳しい項目が設けられています。これは、彼女の持つあまりにも強大な神聖魔法を、周囲の者に悪用されないために必要なことなのです」
「……神聖魔法を悪用……?」
私とグレンは、お互いその言葉について思案するように顔を見合わせる。
「神聖魔法は、私達が思う以上にあまりにも強大です。世界の理を覆すほどの奇跡すら行使できますからね。それゆえに、今までの歴史の中で、さまざまな者がその甘美な奇跡にすがりつき、神聖魔法を行使する側の人間をひどく苦しめてきました」
キリアン卿はどこか遠い過去へと思いを馳せるように、降り積もった年月を辿るように語る。
「最たる例としてあげるのなら……聖王国の建国にも深く携わったとされる、カリスという人物の神聖魔法でしょうね。彼の真髄たる神聖魔法は、『死者の蘇生』でした」
「死んだ人を……生き返らせる……!?」
あまりにも規格外な、奇跡としか言えない言葉に、私は全身に鳥肌が立つのを感じた。
「……カリスは周囲から求められるがまま、請われる通りにその神聖魔法を使い続けました。しかし、神聖魔法は起こした奇跡の大きさに比例して、莫大すぎる魔力を消費します。度重なる蘇生の対償として、カリスの身体は内から削り取られ、その命の灯火はみるみるうちにすり減っていきました」
そこまで語って、彼は一度言葉を切った。
まるで遠い過去の光景を今この場に映し出しているかのような、どこか悲しそうな目をして。
「そして、そんなカリスを心から愛する者達は、彼自身の命を守るために、ついに蘇生対象の『選別』を始めざるを得なくなったのです。彼を奥深くへと幽閉し、誰とも勝手に会えないように隔離してね」
「そんな……。いくら彼の身体を心配してのこととはいえ、それはあまりにも極端すぎるのでは……」
グレンが眉をひそめて、痛ましそうに声を漏らす。
「グレン殿、これは例えばの話なのですが……。もし万が一、ルナリア殿が不慮の事故で突然亡くなってしまったとします。その時、目の前にカリスという死者蘇生を行える存在がいたとしたら……。あなたは、彼の身体を案じてその奇跡にすがらない、などという選択ができますか?」
「……それは……」
グレンは一瞬だけ迷うように言葉を失い、その手に力を込めた。
「……私には、絶対にできないと思います」
「そうですね。それが愛する者を想う人間として、ごく自然なことです。……そして同時に、『あなたの想い人は蘇生の選別から外れました』と非情に告げられてしまったとしたら、何も言わずに引き下がることもできないでしょう?」
「……おっしゃる通りです」
「当時のカリスへと向けられた、奇跡の選別から零れ落ちた者たちの怨嗟は、それは恐ろしいほどに壮絶なものだったそうです。閉ざされた幽閉先でその絶望の声を浴び続け、身近な隣人たちに他人の命を選別されながら神聖魔法を行使していた彼は……ある日、ついに心が壊れてしまった」
キリアン卿は首を振り、ゆっくりと目を伏せた。
「彼は自らの死者蘇生の力を暴走させて、無数のアンデッドの軍隊を作り上げ、聖王国を滅ぼそうとしたのです」
「え……!?」
「これと類似するような悲劇は、聖王国の長い歴史の中で何度も繰り返されてきました。だからこそ私達は、あまりに突出した神聖魔法の真髄の能力は、公にはせず徹底的に隠すことを決めたのです」
「そういえば、セフィラは自身の神聖魔法については何も口にしていません……そういった理由があったのですね」
「彼女の神聖魔法はあまりにも強大で、優しく、そして尊い。政治的にも軍事的にも利用価値が高すぎるのです。だから聖王国は、彼女に様々な不自由を強いてまでも、その身と心をを守り続けてきました」
キリアン卿は穏やかに視線を動かし、グレンの方をじっと見つめた。
「これは私の個人的な憶測ですが、女神の槍の真髄も……これらと同様の理由、つまりあまりに強大すぎる力を他人に悪用されないために、あえて伝承が途絶えるように仕向けられたのかもしれませんね」
「なるほど……。そう考えれば、すべての辻褄が合います」
グレンはキリアン卿の言葉を頭の中で整理するように、静かに頷いた。
「大きな力があることを知れば、善悪に関係なく、人はどうしてもそれに頼りたくなる弱い生き物です。グレン殿も、どうかその力に呑まれないようお気をつけください」
「わかりました。決してこの力に負けることのないように、自身の中で適切に向き合っていきます」
グレンは自身の大きな拳をじっと見つめながら、その言葉を刻み込むように瞳を揺らした。




