5章-103.聖女の留学、特例だらけの滞在
あの華やかな晩餐会から、数日後のこと。
「ママ! 来たよ!」
私の部屋の椅子に座ってのんびりとくつろいでいたエリオスが、並外れた聴覚で何かを察知したように、ぴょんと床へ飛び降りた。
「もう着いたのね。行きましょう、エリオス」
私が声をかけると、エリオスは嬉しそうにうなずく。
二人で一緒に公爵邸の正門へと向かうと、ちょうどタイミングを合わせたかのように、見事な馬車列が敷地内へと滑り込んできた。
先頭を進むひときわ豪華な馬車の車体には、聖王国の格式高い紋章が美しく刻まれている。
馬車が静かに停車すると、気品ある群青色の髪をした男性に優しく導かれながら、白い高貴なヴェールを頭からかぶった女性がゆっくりとステップを降りてきた。
「ルナリア! 会いたかった!」
彼女は地面に降り立つと同時に、まるで待ちきれないとばかりに白いヴェールを脱ぎ捨て、私へと勢いよく抱きついてきた。
「セフィラ……本当に留学が実現するなんて驚いたわ」
「ふふふ、すべてはキリアン先生のおかげよ!」
セフィラは私を抱きしめたまま、後ろに控えていた群青の枢機卿を誇らしげな、尊敬に満ちた瞳で見つめた。
「聖女セフィラ……。本当に……本当に、ここまで話をこぎつけるのに、どれほどの苦労があったと思っているのですか。どうかこの留学を、これからの貴女の糧にしてくださいね」
後ろからついてきたキリアン卿は、すっかり疲れ果ててしまったような、けれど愛すべき子を見るような複雑な苦笑いを浮かべながら見つめていた。
「もちろん! 先生、色々と裏で根回しをしてくれて本当にありがとうございます!」
自身の白い頬を綺麗な桃色に染めながら、セフィラはうっとりとキリアン卿を見上げる。
その眼差しには、先日夜の部屋で打ち明けてくれた通りの、一途な恋心が隠しきれずにこぼれていた。
「聖女セフィラ様、この度はフォーサイス公爵邸にお越しくださり、心より歓迎いたします。これからの留学の期間を無事に終えられるまで、我が公爵家が責任を持って貴女をお守りいたしましょう」
私とともに正門で彼女たちを出迎えたのは、グレンの父親であり、この家の当主であるフィン公爵だった。
威厳に満ちたその挨拶に、セフィラも背筋を伸ばして礼儀正しく一礼する。
「まさか公爵家へ滞在することになるなんて……。よく、聖王国のご許可が降りましたね……?」
私が感心と疑問の混ざった声をそっと投げかけると、キリアン卿はため息をもらした。
「それはもう……上層部の頑固な頭をひっくり返すために、途方もない説得と、各方面へ気が遠くなるほどの根回しが必要だったのですよ……」
当時の過酷な交渉を思い返しているのだろう。
キリアン卿はどこか遠くを見るような目で、ぼんやりと空を見つめているのだった。
「キリアン先生のおかげで、とっても楽しい留学になりそうです!」
セフィラは無邪気に声を弾ませ、これからの日々に深く胸を躍らせている。
そんな彼女の様子に、フィン公爵はふっと表情を和らげながら、隣に立つキリアン卿へと視線を向けた。
「護衛のため、聖王国でも指折りの実力を持つ枢機卿もご滞在されると伺っております。お部屋は聖女セフィラ様と隣室にいたしましたが、何か問題はございませんでしたか? 」
「ええ。私のことはどうぞお気にかけずに。何よりも聖女セフィラの安全と快適さを第一にお考えいただければと思います」
キリアン卿はどこまでも爽やかに、流麗な仕草で一礼して応じる。
(聖王国の最高幹部である枢機卿が、護衛として直々に公爵家に滞在……?)
いくら聖女を守るためとはいえ、国の要人が他国の貴族邸に長期間泊まり込むなど、通常では考えられない特例中の特例だ。
驚きを隠せない私の視線に気づいたのか、キリアン卿は悪戯っぽく目元を和ませて見せた。
「これも根回しの一つですよ。私はこれでも、神聖魔法を扱う神の使徒ですからね。彼女を守るための最高戦力として同行する、という大義名分を掲げまして……。そのために溜まっていた山のような公務を……まあ、色々なところに上手く押し付けて、今こうしてここにいるわけです」
「な、なるほど……」
困ったような、けれどどこか楽しげな笑みを浮かべるキリアン卿の言葉に、私はただ圧倒されて相槌を打つことしかできなかった。
表向きはどこまでも柔らかな物腰をしているけれど、ここへやってくるあたり彼もまた高い実力と手腕の持ち主なのだろう。
「それでは聖女セフィラ様、枢機卿閣下。長旅でお疲れのことでしょう。お部屋へご案内いたします」
フィン公爵の凛とした先導により、私たちは歓迎の意を込めながら、並んで公爵邸の中へと入っていった。




