5章-102.揺れる馬車、約束の口づけ(★★)
華やかな夜会の余韻と熱気をかすかに残したまま、私達の乗った馬車は会場を後にした。
ドレスの重みと、ほんのりとした疲労感に身を任せながら、私はふかふかとした馬車の座席に沈むように腰掛けた。
「ルナリア、疲れただろう?」
私の向かい側に座るグレンが、優しく声をかけてくる。
彼は夜会での長時間の対応による疲れを見せることなく、ただ私を優しく労わるように、柔らかく微笑んでくれた。
「大丈夫よ。今日は素敵なエスコートをしてくれて、本当にありがとう、グレン」
「婚約者として君をエスコートできるのは、私にとってこの上ない光栄なことだよ。むしろ私のほうこそ、今日ずっと隣にいてくれてありがとう。ルナリアが隣にいてくれれば、どんなに場であっても私は最高に幸福なんだ」
「……私も、グレンの隣なら、これから先どんなことがあってもきっと幸せだわ……」
互いにじっと見つめ合っていると、車内にどこかこそばゆい、甘やかな空気がじわりと流れ始める。
「……ルナリア、君の隣に移動しても?」
「あ、ええ……もちろん……」
私が小さく頷くと、グレンは正面の席から私のすぐ隣へと移動してきた。
肩と肩が触れ合うほど、近い距離に彼がいる。
「……港町での約束を、覚えているだろうか」
グレンは私の横顔を、真摯な眼差しで見つめながら、少しだけ声を潜めて尋ねてきた。
「港町……あ……っ」
かつて潮風が吹く桟橋で交わした、あの秘密の約束。
婚約の返事をした後の特別な誓い。
「……ルナリア」
グレンの大きな手が私の頬へと伸び、愛おしむようにその唇をそっと指先でなぞった。
彼の指の体温が直に伝わってきて、胸がどうしようもなく熱くなる。
「目を……閉じてほしい」
「……っ、はい……」
自分の心臓の音が、彼に伝わってしまいそうなほど、大きく聞こえてくる。
私は彼の方へと体をわずかに向け、意を決してゆっくりと目を閉じた。
彼の顔が、すぐ近くまで近づいてくる気配が伝わってくる。
あまりの緊張に呼吸が浅くなっていくのを感じながら、私はただ、彼がもたらしてくれるその瞬間を待った。
やがて、私たちの唇が、優しく重なった。
まるで世界の時間が止まってしまったかのように、どこまでも長く感じるひととき。
お互いの唇から伝わってくる熱。
胸が甘く苦しくなるほどの、途方もない幸福感。
そして、彼は名残惜しさを隠しきれない様子で、ゆっくりと唇を離した。
「グレン……」
「ルナリア……っ」
唇を離した刹那、グレンは私の首筋へと顔を寄せ、抑えきれない熱で私の体を強く抱きしめた。
「幸せにする……必ず、この世界の何からも君を守ってみせる……! 愛している、ルナリア……!」
切なさを感じるほどに、あふれ落ちる彼の声。
耳元で震えるその響きから、彼がどれほど真剣に私を想ってくれているのかが伝わってきて、目頭が熱くなる。
「私も……大好きよ……グレン……」
このまま、二人の時間が止まってしまえばいいのに。
心からそう願わずにはいられなかった。
いつか訪れるかもしれない過酷な運命も、今この瞬間だけはすべてを忘れて、ただ彼の存在だけで自分の心を満たしていく。
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