第三十七話 証人令嬢の初めての休日は、やはり書類整理です
「今日は休め」
アルドが珍しくそう言った。
「本当に?」
「本当だ。案件もない、証言の依頼も今日は来ていない。休め」
「……では刺繍を」
「それは休んでいるのか」
「本業ですので」
「今日は刺繍もいい。ただ、書類は開くな」
「書類の整理は刺繍と関係ありませんが」
「整理が癖になっているのは知っている。だから先に言う。書類を開くな」
「……では何をすればいいですか」
「何もしなくていい。座っていればいい」
「座っているだけ、ですか」
「そうだ。俺も今日は書類を開かない。二人で座っている日にする」
「……それは、休日の過ごし方として正しいですか」
「正しい」
「根拠は」
「俺が決めた」
「……わかりました」
調査局から少し離れた、静かな庭のある場所に出かけた。
市内の公園で、ベンチに並んで座った。
しばらく、何も言わずにいた。
「……やはり書類を整理したい気持ちがあります」
「知っていた」
「なぜ知っていたんですか」
「五分で言い出すと思っていた。三分待ったな」
「……観察が細かいですね」
「同じ部屋にいる時間が長かったから」
「なるほど」
池に水鳥がいた。のんびりと泳いでいた。
「あの水鳥、何も考えていなさそうですね」
「そうかもしれない」
「こういう生き方もあるんですね」
「……羨ましいか」
「少し。書類を整理しなくていい生き方は、想像しにくいですが」
「していなければいられないか」
「……癖になっているんだと思います。何かを整理していないと落ち着かない」
「前世からか」
「おそらく」
「……俺は、君が書類を整理しているところを見るのが好きだ」
突然言われた。
「え」
「集中しているときの顔が、落ち着いているから」
「……それは」
「見ていて、安心する」
「……そうですか」
「だから、整理したいなら整理していい」
「でも今日は書類を開くなとおっしゃっていましたよね」
「……矛盾していたな」
「はい」
「……では好きにしていい」
「ありがとうございます」
「ただ、整理している間も、隣に座っていていいか」
「もちろんです」
「なら、それが俺の休日だ」
私は少し止まった。
「……アルド様」
「なんだ」
「一つ言いたいことがあります」
「言ってくれ」
「今のは、とても嬉しかったです」
「……今度は素直に言えたな」
「はい」
「間も少し置いた」
「はい」
「……そうか」
アルドが前を向いた。
水鳥がゆっくりと泳いでいた。
「記録は全部君に任せる」
「え」
「証拠も証言書も、君が記録する。俺は別のものを記録する」
「別のもの、とは」
「……君だけを記録する。俺のやり方で」
「俺のやり方、というのは」
「見ていることだ」
「見ている、だけですか」
「そうだ。見ていれば、俺の中に残る」
私は少し、黙った。
「……それは記録、というのでしょうか」
「俺の中では記録だ」
「わかりました」
「わかったのか」
「はい。あなたが見ていてくれることで、私が記録される。それは私にとっても嬉しいです」
アルドが少し止まった。
「……それだけでいいのか」
「十分です」
「そうか」
「はい」
池の水が、ゆっくりと揺れていた。
日差しが暖かかった。
結局、私は鞄から小さな整理書を取り出して、簡単なメモを書き始めた。
アルドは何も言わなかった。
ただ、隣に座っていた。
「……休日に書いているのか」
「メモ程度です」
「そうか」
「怒りますか」
「……怒らない」
「ありがとうございます」
「ただ」
「はい」
「メモを書きながら、隣の水鳥も見ていてくれ」
「……はい」
「それが俺の希望だ」
「わかりました」
水鳥を見ながら、メモを書いた。
のんびりした時間が流れた。
(これが幸せというものか)
前世では、こういう時間を作る余裕がなかった。
今世では、ある。
隣にアルドがいる。水鳥がいる。暖かい日差しがある。
それだけで、十分だった。




