第三十一話 私がいなくなっても、君は一人でやっていけるだろう
称号授与から数日後、調査局でアルドに会ったとき、彼の様子がいつもと違った。
書類に向かっているのに、手が動いていなかった。
窓の外を見ていた。
「アルド調査官殿」
「……ああ」
「今日はいつもより遅いですね、作業が」
「少し考えていた」
「何かありましたか」
「……昨日、五年前の件の関係者に会った」
五年前。
「守れなかった方の件ですか」
「ああ」
アルドが書類を閉じた。
「当時、怪我をした証言者。完全に回復していた。今は別の街で普通に暮らしている」
「良かったです」
「そうだ」
「……でも、まだ何かあるんですね」
「その人に会ったとき、言われた」
「何と」
「『あのとき私が護衛を断った、あなたのせいではない』と」
私は少し止まった。
「それは。」
「分かっている。理屈では、分かっている」
「でも」
「でも。」
アルドが視線を窓の外に向けた。
「あの日から、俺は何かを守れるかどうかを、ずっと確認し続けてきた」
「はい」
「今回の事件で、君を守れた。君が証言を完成させるところを、俺は傍で見ていた」
「はい」
「……それなのに、なぜまだ、不安が消えないんだろうと思っていた」
静かな言葉だった。
「私がいなくなっても、君は一人でやっていけるだろう」
「……突然どういう意味ですか」
「俺がいなくても、君は証言を続けられる。それは分かった」
「はい」
「だとすれば、俺が君を守ることへの執着は。業務上の理由では説明できない」
「……」
「それに気づいてから、何を考えていたかというと」
彼が振り返った。
「……自分が何を求めているのか、分からなくなっていた」
私はしばらく、アルドを見た。
「少し聞いてもいいですか」
「なんだ」
「前世で、依頼人を守れなかった事件の後、私も同じことを考えました」
「……どういうことを」
「もしあのとき私が別の選択をしていたら、もっと良い証拠を積んでいたら、という仮定を何度も繰り返した。その繰り返しが止まらなかった」
「……止まらなかった」
「はい。でも気づいたことがあります」
「何が」
「守れなかったことへの後悔は、その人を大切に思っていたからだと」
「……」
「大切ではなければ、後悔しない。だから後悔は、消えなくていいのかもしれない、と思いました」
「消えなくていい」
「ただ、後悔を持ちながら、次の人を守ることはできる。両方、できます」
アルドが少し止まった。
「……君は、そうやって前世を終わらせたのか」
「終わらせた、というより。続けた、という方が近いです。後悔を持ちながら、証言を続けた」
「そうか」
「あなたも、続けてきたと思います」
「……そうかもしれない」
「だから今もここにいる」
アルドが、少し長い間を置いてから、言った。
「……ありがとう」
「いいえ」
「前世の話を、こうして聞かせてくれるのは、君だけだ」
「あなたが聞いてくれるからです」
「……そうか」
また沈黙があった。
今回の沈黙は、重くなかった。
空気が少し、柔らかくなっていた。
「一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「自分が何を求めているのか分からなくなった、とおっしゃっていましたね」
「ああ」
「今は分かりますか」
アルドが少し、私を見た。
「……少し」
「そうですか」
「全部は言えないが」
「言える範囲で」
「……それはまた、別の機会に」
「わかりました」
「急かさないのか」
「急かしても出てこないと思いますので」
「……そうだな」
アルドが、初めて今日、少し笑った。
「本当に、君は不思議な令嬢だ」
「よく言われます」
「それも俺が言っているのか」
「主に。あと部下の皆さんも」
「……そうか」
「はい」
アルドが書類を開いた。
「今日の作業を始めよう」
「はい」
私も整理書を開いた。
横に並んで、作業を続けた。
今日の話が、何かの始まりになっているような気がした。
まだ言葉になっていない何かが、少しずつ近づいてきていた。




