第二話 法廷には立ったことがありません、でも証言台には立てます
召喚状が届いた翌朝、私はまず机に向かった。
証言台に立つ前に、やるべきことがある。
前世では弁護士として二十年、依頼人の証言を準備する側の人間だった。証言台に立つのは常に依頼人であり、私ではなかった。だから「証言者として呼ばれる」という経験は、今世においても前世においても、初めてのことだった。
だが、準備の方法は知っている。
(まず、自分が知っていることと、知らないことを整理する)
頭の中で前世の自分の声が響いた。証言者を準備するとき、何度も繰り返してきた言葉だ。
白紙に向かい、筆を走らせた。
記録スキルが保持する情報は、映像として頭の中にある。だがそれを言語化し、他者に伝わる形に整理するには、手で書き出す作業が必要だった。書くことで、整理できる。前世でも今世でも、それは変わらない。
十日前の夜会での記録。
ヴィオネ嬢の位置。私が確認できた時間帯。談笑していた相手の顔。退出せずにホールにいた時間帯。そして、私の視界に入らなかった死角の範囲。
一つひとつ書き出しながら、客観的に眺めた。
(私が記録できているのは、あくまで私の視界の範囲だ。ホール全体ではない)
これが弱点だ、と冷静に認識した。
「記録・論証」スキルは見たものを正確に保存する。だが見ていない場所で何が起きたかは分からない。証言としての価値はあるが、万能ではない。
それでも、あの夜の状況と「機密書類を渡した」という証言とのあいだには、明確な矛盾がある。その矛盾を正確に指摘することはできる。
書き終えた紙は、二枚になっていた。
証言する内容、証言できない内容、矛盾として指摘できる点、私の証言の限界。すべてを整理すると、今日自分が言えることと言えないことが明確になった。
弁護士として証言者を準備するとき、いつもこうしていた。証言は事実の確認であり、推測ではない。言えることだけを言い、言えないことは言えないと述べる。それが証言者として誠実な姿勢だ。
写しを一部作って、書類を鞄に入れた。
「大丈夫か」
玄関で父が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫です。ご心配なく」
嘘ではなかった。緊張はある。だが、準備はできている。
馬車を呼び、王城の別棟へ向かった。
王国証拠調査局の建物は、王宮の主棟とは打って変わって地味だった。
石造りの外壁、装飾のない門。廊下には豪奢な燭台ではなく実用的な照明石が等間隔に並び、絨毯のない床は磨かれているが飾り気がない。香水の匂いも、貴族の社交の気配もない。ここは働く場所だ、と一目でわかった。
(なんとなく、前世の事務所に似ている)
そう思ったら、少しだけ気持ちが落ち着いた。
案内された先は、会議室だった。長いテーブルが中央に置かれ、壁際に書類棚が並んでいる。窓から差し込む午前の光が、積まれた書類の白さを照らしていた。
しばらく待つと、ドアが開いた。
入ってきた男は、私の予想より若かった。
二十代後半か、三十代の入り口か。濃い焦げ茶色の髪を後ろで一つに結んでおり、灰色がかった青の目が涼やかだった。身なりは整っているが、装飾品は一切ない。調査官の制服を、きちんと着ていた。
表情には、何もなかった。
怒っているでも愛想がいいでも警戒しているでもない。ただ、何も読めない顔だった。
男は私を見て、一瞬だけ止まった。
「君が、クレイン伯爵令嬢か」
問いというより、確認だった。声は低く、落ち着いている。
「はい」
「アルド・カストだ。王国証拠調査局の調査官を務めている」
短い自己紹介だった。余計なことを一切言わない。前世で何人も見てきた「仕事ができる人間」の匂いがした。
彼は椅子を引いて座り、書類をテーブルに置いた。
「十日前の夜会に出席していたと記録にある。ヴィオネ・アルデン侯爵令嬢の件について、話を聞かせてもらいたい」
「承知しました」
私は鞄から紙を取り出した。
調査官の目が、かすかに動いた。
「それは?」
「証言の前に内容を整理しておきました。私が証言できることと、できないことに分けてあります。調査の効率のためにお役に立てればと思いまして」
返答がなかった。
三秒ほど、彼は私を見ていた。その目に何かが映った気がしたが、表情からは読み取れなかった。
「……話してもらおうか」
私は整理書に沿って証言した。
十日前の夜会でのヴィオネ嬢の動向。確認できた時間帯と位置。スキルによる記録の性質と範囲。そして、私の視界の外に生じた可能性のある死角についても。隠さず、正直に述べた。
調査官は一言も遮らなかった。メモを取りながら、静かに聞いていた。
話し終えると、彼はしばらく書いたものを見ていた。
「確認したい。君のスキルは王国魔法省の鑑定を受けているか」
「はい。転生付与スキルとして認定登録されています」
「記録の改ざんは可能か」
「不可能です。スキルの特性上、映像そのものは変質しません。私が主観的な解釈を加えることは可能ですが、それを区別する手段も存在します」
「確認する方法は」
「魔法省の鑑定士に立ち会っていただければ、スキルの記録を外部から閲覧する術があるかと存じます。私の側でその術は使えませんが」
アルドが短くメモした。
また沈黙があった。
「この整理書を局で預かっていいか」
「どうぞ。写しがありますので」
今度こそ、彼の目が変わった。
微かな。ほんの微かな変化だったが、私にはわかった。前世で何年も人の顔を読んできた目がある。あの目は「予想外だ」と言っていた。
「写しまで用意してきた証言者は、初めてだ」
それだけ言って、彼は書類を手に立ち上がった。ドアへ向かいながら、一度だけ振り返った。
「ありがとう。参考になった」
扉が閉まった。
私は静かに息を吐いた。できることをした。あとは調査局が判断する。
そう思いながら席を立ち、廊下を歩いて建物の外へ出た。
春の光が目に痛いほど明るかった。
(参考になった、か)
アルド調査官の言葉を、もう一度心の中で繰り返した。
「参考になった」と言ったときの彼の目と、「写しまで用意してきた証言者は初めてだ」と言ったときの目とは、少し違っていた。
前者はただの感謝の言葉だったかもしれない。だが後者は。何かを見極めようとしている目だった、と思う。
前世で何度も見てきた目だ。
依頼人が初めて証言台に立つ前夜、私が「証言できることとできないことを全部整理してきた」と言ったとき、裁判官がそういう目をすることがあった。
「この人物は、ただの証言者ではない」という目だ。
(今さら、そんなことを)
馬車を待ちながら、苦笑いが出た。
ただ証言をしに来ただけだ。前世の習慣で、整理書を作ってきただけにすぎない。
なのに、どうしてあの目がこんなに頭に残るのだろう。
馬車に乗り込みながら、私はまだその目のことを考えていた。




