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証人令嬢エレノアは証言をやめません ~前世が弁護士なので、この状況はむしろ好都合ですわ~  作者:


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第一話 婚約破棄の現場に居合わせた、それだけのつもりだった

 「ヴィオネ嬢、貴女とは本日かぎりで婚約を解消する」


 その声が大広間に響いた瞬間、私はオードブルの小皿を持ったまま、動きを止めた。


 春の王宮夜会。百を超える蝋燭が灯り、香水と花の甘い匂いが漂う華やかな社交の場のはずだった。それがほんの一言で、全員の動きが止まった。


 宣言したのは王太子殿下クラウス・ファルド。二十四歳、次期国王。整った顔立ちに涼しい目をした、いかにも王族らしい青年だ。彼が腕を伸ばし、指先を向けているのは白いドレスを纏った令嬢、ヴィオネ・アルデン侯爵令嬢だった。


 ヴィオネ嬢は石になったように立ち尽くしている。胸に手を当てたまま、震えているのか、それとも息を止めているのか、微動だにしない。


 会場に詰めかけた数百の貴族たちが、全員この一点を見つめていた。


 私、エルナ・クレインは伯爵令嬢、今年で二十歳になる。


 ひっそりと柱の陰へ移動しながら、状況を整理した。


(これは案件だ)


 前世の記憶が、こういうときにかぎって饒舌になる。転生してから十八年が経つというのに、弁護士だった頃の職業本能は衰えていない。いや、むしろ転生後に授かった魔法スキルのせいで、余計に鋭くなっている気がした。


 「記録・論証」。


 目にしたものを克明に記録し、論理の矛盾を感知するスキルだ。普段は意識せず使っているが、今この瞬間、私の目は会場の全貌を丁寧に刻み込もうとしていた。スキルが勝手に起動している。止めようとしても止まらない。前世で鍛えた本能と今世のスキルが、互いに呼応するように働き始めていた。


(やめてくれ。私には関係のない話だ)


 そう思った。本当にそう思った。


 ところが、スキルは止まらなかった。


 王太子が続けた。


 「ヴィオネ嬢は先日の夜会において、侯爵家の機密書類を第三者に渡したとの証言を得た。王家に連なる者の婚約者としては、ふさわしくない行為だ」


 ざわめきが広がった。ヴィオネ嬢は小さく口を開いたが、声が出ないようだった。


(証言、か。誰の証言を?)


 前世の職業病が出た。「証言を得た」という言葉に、即座に引っかかってしまう。誰が、いつ、どこで、何を、どのような状況で証言したのか。それが明示されないまま断定することは、法的には脆弱な根拠だ。


 もちろん、ここは法廷ではない。


 ヴィオネ嬢がほんとうに機密を漏らしたのかもしれない。王太子の言葉が正しい可能性も十分にある。私には判断できない。


 けれど、ある違和感が消えなかった。


 「先日の夜会」それは十日前、同じくこの王宮で開かれた夜会だ。


 私はその席に出席していた。今日と同じように、会場の端でオードブルを口にしながら、華やかな社交の場を静かに観察していた。記録スキルが、あの夜も無意識に起動していた。


(あの夜、ヴィオネ嬢は……)


 記憶の映像が鮮明に浮かぶ。


 あの夜のヴィオネ嬢は、会場の中央あたりで同年代の令嬢たちと談笑していた。書類のような紙片を手にした場面は、私の記録にない。会場を抜け出した形跡もない——少なくとも、私の視界が届く範囲では、彼女はずっとホールにいた。


 機密書類を渡す場面を、私は見ていない。


(でも、見ていないことは証明にならない。私の視界の外でことが起きた可能性はある)


 弁護士の本能が冷静に反論した。そうだ。見ていないことと、なかったこととは別だ。


 ヴィオネ嬢の声が小さく届いた。


 「……私は、そのようなことはしておりません」


 王太子の返答は一秒も間を置かなかった。


 「証言者がいる」


 「では、その方にお聞きしたい。私はあの夜、機密書類など手にしておりません」


 「証言者が嘘をつく理由はない。君は否定するだけで、証拠を示せないだろう」


 詰問ではなく、宣告だった。


 反論の余地を塞いで、幕を引こうとしている。


 私の中の何かが、かちりと音を立てた。


 かちり、と。


 弁護士の、スイッチが入る音だった。


 けれど私はそれを無視して、静かに踵を返した。


 関係ない、と繰り返した。証言者がいるのなら、私の記憶など何の意味もない。出すぎた真似をすれば伯爵家の父に迷惑がかかる。第一、私のスキルが法的に有効かどうかも分からない。


 夜会を出た。馬車に乗り、自宅に戻り、あの場面をそっと胸の奥にしまった。


 三日が過ぎた。


 そして四日目の朝、玄関に封書が届いた。


 王家の紋章が、蝋で押してある。


 「エルナ・クレイン伯爵令嬢殿へ、王国証拠調査局よりの召喚状」


 手紙を持つ手が、微かに震えた。


 驚いたからではない。どこかで予感していた自分に気づいて、その正直さに呆れたからだ。


 封を切った。


 簡潔な文面だった。十日前の夜会に出席した者たちへの聴取を行っている。エルナ・クレイン伯爵令嬢の名が出席者名簿にあった。話を聞かせてほしい、とあった。


 それだけだった。


 私は手紙を畳み、窓の外を見た。春の光が庭の木々に降り注いでいる。穏やかな午後だった。今日という日は、まだ穏やかだった。


(明日からは、きっとそうはいかないだろう)


 前世でも今世でも、召喚状を無視したことは一度もない。


 行かなければならない。それだけは、迷いなく決まった。


(私が記録したあの夜の映像には、食い違いがある。言うべきか言わないべきかは、まだわからない。でも、とにかく一度、話を聞かれなければ始まらない)


 エルナは立ち上がり、返信の便箋を取り出した。


 参ります、とだけ書いた。


 私のスキルは正直だ。あの夜見たものを、一字一句変えずに覚えている。それが何かの役に立つかどうか、あるいは何も変えないかどうか、それは調査局の人間が判断することだ。


 私はただ、証言するだけでいい。


 そのはずだった。


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