第十六話 信用してもいいと思い始めたのは、あの夜からです
護衛がついて三日が経った。
ラインは仕事がやりやすい同行者だった。余計な口出しをせず、かつ必要なときは素早く動く。私の行動を妨げることなく、自然に傍にいる。
慣れてきた頃、それは起きた。
その夜、調査局での作業を終えて、クレイン邸へ帰る途中のことだった。
馬車が路地を抜けようとしたとき、ラインが急に馬を止めた。
「少し待ってください」
低い声だった。
「何かありましたか」
「後ろに馬車が一台、ずっとついてきています」
馬車の窓から外を見た。夜の路地は暗く、後ろの馬車の姿はぼんやりとしか見えない。
「どのくらい前から」
「調査局を出たところから」
「……連絡は」
「すでに局に送りました」
素早い判断だった。
「私はどうすればいいですか」
「馬車の中に。動かないでください」
「わかりました」
ラインが馬を路地の脇に寄せた。
しばらくして、後ろの馬車が追いついてきた。男が二人、降りてきた。
「お前か、調査局の証人は」
荒い声だった。
私は馬車の中から状況を観察した。記録スキルを起動させた。映像として記録する。顔、体格、服の特徴。
(記録している。落ち着け)
ラインが前に立った。
「クレイン伯爵令嬢に何か御用でしょうか」
「用があるから来た。一緒に来い、という話だ」
「それはできません」
「ならお前を先に。」
馬の蹄の音が響いた。
路地の反対側から、馬が一頭駆けてきた。
アルドだった。
暗い中でも分かった。あの背筋の伸びた乗り方は、他の誰でもない。
「その者たちを止めろ」
短い命令だった。彼の声は平静だったが、どこか低く張り詰めていた。
男二人が一瞬動揺した。その隙に、ラインが動いた。
前世で何度かこういう場面に出くわしたことがある。とは言い難いが、映像で記録しながら、私は不思議と冷静だった。
あっという間だった。
男二人は取り押さえられ、局の衛兵が到着した。
馬車のドアが開いた。
アルドが立っていた。
「怪我はないか」
「はい」
「怖かったか」
少し、問いかけが短かった。いつもより言葉が少なかった。
「……少し。でも記録を取っていましたので」
「この状況で記録を取っていたのか」
「スキルが自動的に、というのもありましたが。顔と体格と服の特徴を記録しました。お役に立てれば」
アルドが私を見た。長い時間、見ていた。
「……本当に、君という人は」
何か言いかけて、続けなかった。
衛兵たちが男二人を連行していく。ラインが状況を報告している。
私は馬車から降りて、地面に立った。
夜の空気が冷たかった。
「ありがとうございました」
アルドに向かって、素直にそう言った。
今日は、いつもと違う感謝だった。
「仕事だ」
「それでも」
「……」
アルドが少し黙った。
「護衛をつけると言ったとき、素直に受け入れてくれてよかった」
「あなたが理由を話してくれたからです」
「そうか」
「来てくれると思っていましたか」
「何が」
「連絡を受けて、ここに来ること」
「当然だ」
「私のために」
「業務だ」
「……はい」
私は小さく笑った。
「業務として、助けていただいてありがとうございました」
アルドが少し、視線を動かした。
「帰れ。送る」
「はい」
馬車に乗り込む前に、もう一度振り返った。
「信用していいですか」
アルドが動きを止めた。
「何を」
「あなたを、信用していいですか。これからも」
間が、あった。
短くなかった。長くもなかった。
「……ああ」
たった一言だった。
だが、その言葉がとても重かった。
馬車に乗り込んでから、夜の街を眺めた。
(信用してもいいと思い始めたのは、あの夜からだ)
後になって、何度もそう思った。
あの夜を境に、何かが変わった。
それが何なのか、その夜の私にはまだわからなかった。
翌朝。
朝食を終えたところで、アルドから書状が届いた。
「第三の案件が動き出した。来てほしい」
それだけだった。
私は立ち上がり、支度をした。
これが、本当の敵の始まりだと気づいたのは、もう少し後のことだった。




