第十三話 調査の合間のお茶は、なぜこんなに美味しいのか
バルセン子爵への接触が終わり、一時的に書類の波が引いた。
その日の午後、アルドから「今日はここまで」と言われた。
珍しいことだった。いつもは夕方ぎりぎりまで作業が続くのに。
「今日は早いですね」
「書類が整った。焦って動いても仕方ない」
「そうですか」
「茶でも飲むか」
また珍しいことだった。
「……いただきます」
局内の小さな給仕室で、ラインが茶を入れてくれた。ベルトは外の見回りに出ていた。
アルドと二人で、小さなテーブルの向かいに座った。
窓から庭が見えた。夏の終わりに差しかかった庭に、白い花が咲いていた。
しばらく、二人で黙って茶を飲んだ。
(仕事以外の時間に、アルドと二人でいるのは初めてかもしれない)
市場に行ったときは「通りがかり」だったし、食事の時間も仕事の話が続いていた。
こういう、ただの静かな時間は、初めてだ。
「疲れていないか」
アルドが唐突に聞いた。
「……どういう意味ですか」
「最近、仕事が続いていた。慣れていない作業も多かった」
「慣れていない、というほどでもないです。書類整理は前世でも日常でしたので」
「そうか」
また沈黙。
「調査官殿は疲れていませんか」
私が聞くと、彼は少し止まった。
「……俺は慣れている」
「慣れていても、疲れることはあります」
「そうかもしれない」
彼が窓の外を見た。
その横顔を、私はそっと観察した。いつもの「何も読めない顔」ではなかった。少し、遠くを見ている目だった。
「外の花が咲いていますね」
「そうだな」
「調査局の庭に、こんな花があったんですね。気づかなかったです」
「俺も知らなかった。管理係の者が植えたらしい」
「白くてきれいです」
「……そうだな」
二人でしばらく窓の外の花を見た。特に何かを話しているわけではない。ただ、同じものを見ていた。
珍しいこともあるものだ、と思った。
前世でも、忙しい仕事の合間にこういう時間があることがあった。同僚と事務所の屋上でコーヒーを飲みながら、空を見ていた時間がある。何も話さなくてもよかった。ただ、同じ場所にいるだけでいい時間だった。
「一つ聞いてもいいですか」
「なんだ」
「調査官殿が調査局に入ったのは、どういう理由があったのですか」
「なぜ聞く」
「仕事ぶりを見ていて、適性があると思ったので。でも、それだけではなさそうだと感じたので」
彼が少し間を置いた。
「昔、この仕事をすべきだと思ったことがあった」
「どういうことがあったのですか」
「……長い話になる」
「聞く時間はあります」
「今は話さない」
「そうですか」
「いつか、話すかもしれない」
「では、そのときに」
それ以上は聞かなかった。彼が話したくないことを無理に引き出すのは、私のやり方ではない。
茶が冷めてきた頃、アルドが立ち上がった。
「今日は帰っていい」
「はい。ありがとうございました、お茶」
「……礼を言うことでもない」
「いえ、美味しかったです。こういう時間は久しぶりだったので」
彼が少し、私を見た。
何かを言いかけて、やめた。
「……気をつけて帰れ」
「はい」
馬車に乗り込んでから、今日の時間を思い返した。
仕事の話をしたわけではない。特別なことが起きたわけでもない。
ただ、白い花を見ながらお茶を飲んだだけだ。
それなのに、なぜこんなに穏やかな気持ちがするのだろう。
(珍しいこともあるものです)
心の中でそう思って、それから少し、窓の外の景色を眺めた。




