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そう、だから君を奪うことにした  作者: 瑞月風花
第一章『生贄のような花嫁』

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「ハウエル」2-1


 ロジェの声が、部屋に響いていた。

 ロジェが目覚めてしまったのかもしれない。

 そして、ロゼッタを呼んでいる。いや、心配しているのだろうか?

 今、叫ぶべきか? それとも、……。


「こんなものを部屋に連れ込んでいたのか?」

 ハウエルの一瞬の逡巡の後、ロドウェルの低い声、すぐさまロゼッタの叫び声が聞こえてきた。

「やめてっ! ロジェはまだ赤ちゃんなのっ。すぐに泣きやますから。お願いします……どうか」

「そうか……反抗的な態度の原因はこれか? 心はここということか……?」

 ロドウェルの人を軽んじ蔑む様子がハウエルの目に見えるようだった。


 しかし、彼は窓の下でまだ様子を窺っていた。もしかしたら、ロゼッタに最後まで言わせてやるべきなのか、そんな迷いがハウエルの中で渦巻いたのだ。

 そして、この判断が間違っていたのかもしれない。

 だが、ロゼッタが初めて『旦那』に『否』を唱えたのだ。ハウエルは半身を起こしたまま、その驚きと迷いに固まってしまったのだ。


「どうして分からない? お前のすべては儂のものだということが」

「お願いします……やめて、ください」

「お前の置かれている立場が、まだ分からぬというのだな……」

「返し……ロジェっ!」

 その悲鳴と同時に、窓から木切れが飛び出してきた。


 いや、これはロジェのかご。そして、遅れて興奮状態で鳴き続けているロジェが、ハウエルの足元に羽ばたきながらも落ちてくる。


 ――無事だった。


 ハウエルはそんなロジェを掴み、上着のポケットにそっと入れる。安堵も束の間、ロドウェルの罵声がふたたび、窓の外へと遠慮なく漏れてきた。

「分かったか…………まだ分からぬかっ、分からぬのならっ!」

 もう聞きたくない。

 だから、ハウエルは叫んだ。遅れた。そんなことを後悔しながら。

「誰だっ! おい、待て。おいっ!」

 その叫びの後、大きな音が響いた。大きな何かが何かにぶつかる音。そして、叫びを抑えたようなロゼッタの声。

 ロジェを隠したままのハウエルが、窓の影に大きく映り、それをロドウェルが見つける。


「何事だ……お前……なぜ、ここにいる?」

 この時間にいるはずのないハウエルだ。普段、夜は自室にいるのだ。

 だが、言い訳は用意している。一度くらいなら切り抜けられるだろう、すかすかの言い訳。

「勝手を申し訳ありませんでした。旦那様方はご無事ですか? 今しがたあちらに怪しい女の影がありまして。最近、よく見かけると聞き及んでおりました故に、散歩がてらに見回っておりました」


 そう、誰にとっても大した理由ではなかったはずだ。ただ、怪しい人影を見たという。この一瞬を止められれば……。そんな。それなのに、ロドウェルの表情が固まった。

 まるで焦燥に狩られるような。いや、算段違いに怒り狂うような。しかもそれがハウエルに向けられるものではなく、確実にその『女』に向けられたような……。


「怪しい女だと?」

 怪しい女などいない。ただ、あの物乞いの女に託けただけで。結局、ハウエルが見ることもなかった、物乞いに、ただ、託けただけで。

 もしかしたら、ロドウェルには、特別に何かあるのかもしれない。

 しかし、今はロゼッタだ。


「旦那さま、その……奥さまはどうなされたのでしょう? もしや暴漢が? 怒鳴り声も聞こえて参りましたが……」

 その言葉が気に喰わないロドウェルが、その脂肪の垂れた目でハウエルを睨み付けていた。

「あれは放っておけばいい」

「しかし、……奥さまは陛下の姪御さまであって」


 ロゼッタは髪を乱し、チェストのすぐそばで蹲り、泣いているのだろうか、体が痛むのだろうか、小さな体をずっと震わせていた。だから、今度はハウエルがロドウェルに追い縋ったのだ。もし、王に密告でもされては、と思わせるように。

 そんな風に。

 ハウエルは、彼女のほんとうの背景を知らぬようにして。


「失礼をいたしました。しかし、その女に連れがいたのかと……ご無事ならいいのです」

「……お前、その女はどこへ向かった? 捕らえねばならぬ」

 意外な言葉だった。もちろん、ロドウェルがいなくなることは、とても好都合でもあるが、ハウエルはその女の逃走を追いかけることを申し出た。


「……私がその女を追いかけましょう。……お一人で向かわれるなど危険です」

「お前は信用できぬ。その女が何者か知っていて儂を試しているのだろう? 違うか」

「そんなこと、知る由も……」 


 無知を装うそのハウエルは、もちろんロドウェルにも見抜かれているが、それは彼にとって予想外の言葉だった。ハウエル自身、ロドウェルが追いかけることを願って煽ってみた言葉でもあるのに……。

 ロドウェルは、なぜかその“女”に引っかかった。


 もちろんいない誰かが、何者かなどそんなこと、ハウエルが知るわけがない。

 ただ、ロゼッタは、陛下の姪であり、その身はとても大切だと。

 本当は、そんなこと誰も思っていないということは、知っている。

 そう思えば、ハウエルの胸が押し潰されそうになっていく。

 やっと影を見せ始めてきた小さなロゼッタが消えてしまいそうで。


 どこか、何かに縋っていたのだ。おそらく、こんな男でも。

 ハウエルは、彼女が置かれた環境の中にでも、幸せがあると信じていたかったのだ。

「……そうか……あぁ、分かったぞ。そういうことか? 知っているぞ。お前のことも。だから、さっさと女の居場所を教えろ。教えれば、今夜はロゼッタをお前に任せてやろう」


 ――ロゼッタを好きにしたいのだろう?

 そんな意味を持たせた言葉だと、ハウエルは悟ってしまう。


 そして、その言葉に、ハウエルの何かが切れてしまった。

 まるで、糸がぷつんと切れるような。

 やっと繋いでいた糸が切れて、凧が空へと吸い込まれていくような。

 そんなにも必要のない『妻』なのならば……。

 信用の置けない男に預けられるような者ならば……。

 大切にしようとする気が一切ないのであれば……。

 だからだろう。苛立ちまぎれにも同類だと言われたハウエルは、ロドウェルに冷酷な響きを返した。


「分かりました……では、私の好きにさせていただきましょう」

 ロドウェルはハウエルにいやらしくにたりと笑うと、そのまま足早に部屋を後にした。

 まだ蹲るロゼッタに、声をかけるどころか見向きもせずに……ただ、暗闇がハウエルの瞳に映し出されていた。


 しかし、奴が完全にいなくなった。それを見届けたハウエルは、窓の外からロゼッタを呼んだ。

「奥さま……」

 返事はなかった。わずかに体を震わせてはいるが、ロゼッタは蹲ったままチェストの前で、動かない。

「奥さま……ロジェは無事です」

 ポケットから取り出されたのは、ロジェと言われるアオジの幼鳥。

 まだ飛ぶことが叶わず、ハウエルの元に落ちてきたもの。


 ぴ、ぴぴ……。


 一度、暗く狭い場所に入れ込んだせいか、ロジェは少し落ち着いたようだ。

 その声にロゼッタが顔を上げる。

「……ロジェ?……」

 ハウエルの声も姿も彼女に全く届いていないのだろう。彼女はただ、そのままゆっくりと体を起こすと、ロジェを探すようにして「ロジェ……ロジェ? ロジェっ」と、虚ろな光を映す瞳を彷徨わせた。


「動けますか? そちらへ行きますので」

 ロゼッタはやはり答えなかった。


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