「ハウエル」2-2
ハウエルはまず自室へ向かい、ロジェに必要な“家”を探した。
箱があれば……と思い、まず木机に目を遣る。整頓されている机の上には黒塗りの小さな箱があり、手紙のやりとりに使っている。これはさすがに使えない。
そして、中央には削ったばかりの羽ペンとインク壺、羊皮紙。木のコップに水差し、手元用のランプ。
ロゼッタの部屋と同じ月明りが差し込む窓辺には、埃くらいしかないだろう。
一応、遠出のための鞄や衣服などが入っているチェストの中も覗いてみるが、これというものはなさそうだ。
ハウエルの持ち物は少ない。
まさか鳥かごごと投げつけるとは思っていなかったので、スペアなどもない。ハウエルの物だと主張できれば、弁償して欲しいくらいだった。
それでも苛立ちが治まるわけでもないのだが……。
肩を落として、ポケットのロジェを確かめると、つぶらな瞳がハウエルを見上げて、首を傾げる。
「お前も怖かったな」
このロジェも運よく鳥かごが壊れて窓から飛び出せたから良かったものの、窓に叩きつけられていたら、ロドウェルに掴まれていたら、殺されていたかもしれない命だ。
だが、どうすれば良かったのか、それはハウエルにも分からなかった。
しかし、ひとつ、ロドウェルの弱みは握ったのかもしれない、そうは思った。
ロドウェルは何かを恐れているのだ。玄関ですれ違った奴は、下男を一人連れ、ハンティング用の銃を持って出て行ったのだから。
しかし、あの様相は、人のものではなかった。
まるで、何かにとりつかれたような、餓鬼のような。
そうまでして求めるものは、いや排除したいものはなんなのだろうか。
もう少し、探れば良かったか?
そして、ハウエルの探しものは最初の目的に戻る。
とりあえず、箱だな……と見回しても他に良いものは見つからない。
ロゼッタの部屋の方が、箱らしいものがあるかもしれない……。
女性はたくさん箱を持っていることが多いから……。
と、母親や伯母たちを思い浮かべ、結局何も収穫なしで、自室を出ることになった。ただ、あのままロゼッタの部屋に向かっていたら、ハウエルは冷静さなど失ってしまっていたかもしれない。ただ、過去を振り返り、絶望の中を歩いていただけだったかもしれない。
ロゼッタの部屋には、外鍵が付いている。
この時点でもかなりおかしな部屋なのだが、ロゼッタはそれも気づいていない。
あの石の塔でもそうだったのだ。
そして、ハウエルがその扉の前にいた。
そして、門兵のように、彼女を見張っていた。
その扉をノックする。
コツコツコツ、コツ。
四回は、ハウエルの印。
それを決めたのはハウエル自身。あの男と間違うことなく、安心して、扉を開いて欲しいから。
「入ります」
返事はない。しかし、実際あの頃と違うのは、ハウエルの立場だけなのだ。
あの頃は、断りなど入れずに扉を開き、使用人を入れ、使用人を出していた。そして、小さな鉄格子の窓から、ハウエルを眺めて「兵隊さんはずっとここにいるの?」と尋ねていた少女が、なにもしゃべらなくなった日々を思い出していた。
ハウエルは、彼女になにも答えなかった。
答える必要もなかったし、答える気もなかった。だけど、鞭打つ音が酷くなり、あの窓から彼女が覗き込むことがなくなって、部屋の中ですすり泣く声すら聞こえなくなって、食事の後に餌付くようになって。
一度だけ声をかけた。
「食べられないんなら、パンくらいは隠しておけるだろう? 無理に食べるからそうなるんだ」
と。
たったそれだけで、希望に満ちたような瞳をハウエルに向けて、こくんと頷いた。
それを見て、本当に馬鹿なのだろうと、そう思っていた。だから、こんな目に遭っていることにも、気づかないんだと、本気でそう思っていた。
彼女に逃げる道などなかったことに、気づこうともせず。
そう、ここに共に寄こされるようになった時でさえも、「兵隊さんは付いて来てくれるの?」と言う彼女の言葉にも、寄り添おうともせずに。
無視をしていた。
無視しかできなかった。
ハウエルが押し開いた扉の部屋の中は嵐が去った後のような、そんな絶望的な静けさがあった。
そして、その静けさの中、ロゼッタが窓辺にただぽつねんとして、立っていた。
何を見ているのだろう、いや、それよりもロゼッタは衣服と髪を整えたのか?
ショールを羽織り、乱れていた髪を整え、月の光を浴びていた。この後、人が入ってくる、そう思えば当たり前の行動ではある。しかし、それが異常に思えた。
ロゼッタは、……。
「奥さま、お怪我などはありませんか?」
その答えはなかった。
一歩部屋の奥へと進む。
チェストは、抽斗が半開きのものもある。ショールを引き出した跡のものなのか、それとも、あの時におそらく投げつけられただろうロゼッタの衝撃の跡なのだろうか。
そんなことも分からない。
ただ、薔薇の香は先ほどよりも薄れている、そんな風には思うだけで。
そして、ハウエルの入室に気づいたのか、遅まきながら振り返ったロゼッタが、肩に掛けたショールを胸の前で握りしめていた。
「兵隊さん、こんばんは」
静かに冷たい声は、ハウエルに絶望すら感じさせた。
「こんばんは」
「ロジェを助けていただきありがとうございました」
ロゼッタがそう言ってショールを持つ手に力を込めたことが、ハウエルにも分かった。
「いえ」
そう答えたハウエルは、ポケットの中にあるロジェを掌に移し、彼女に渡そうと差し出した。あんなに求めていたものなのに、ロゼッタが視線をその掌に移しながら、悲しそうにロジェを見つめる。
そして、気づいてしまったのだ。
ロゼッタが、自身に起きているすべてを“理解”したことを。
「ロジェをあなたに預けるべきでした」
「ですが、……あれは不慮の事故かと」
ロゼッタにしてみれば、あれは事故だ。ただ、未来の予想を立てることができたハウエルにとっては、賭けに負けたことになる。
賭け……だったのだろうか。賭けだと思った瞬間に、それが別のものだったのではないか、と腹の居心地の悪さを感じてしまう。
あれは、賭けというよりも、願いに近い。
ハウエルの逡巡とロゼッタが思考する時間は同じだった。
「いいえ。私といると、きっとその子も殺される。だから、その子だけでも、ロジェだけでも自由に空を……。兵隊さんにお願いしたいの」
ハウエルの中に静かな衝撃が生まれた。まるで雷に打たれることを知っていながら、雷に打たれ、まさかと思うような、痛みと驚きのような衝撃が、胸の底から湧き出てくる。
ハウエルは子どものように頭を振ってしまっていた。
ハウエルが求めた答えは、願いの結果はこれではない。
やっとそんなことに気付いたかのように。
これは、違う。
そう叫びたいように。
「お願いできますか?」
そんなこと……できない。
ロジェは、あなた自身の手で解放すべきだ。そんなことを。
そして、全ての考えが巡り辿り着いた答えは、ハウエルがずっと目を背けていたものだった。
そう、今のままの、陛下の飼い犬のままのハウエルには絶対に不可能なこと。
「共に、……共に逃げませんか?」
ハウエルのその言葉に、ロゼッタの瞳が丸く見開かれた。
第一章【了】
明日より朝10:00頃に投稿します。GW中は毎日投稿を続けますが、時間は少し前後するかもしれません。その後は3日に一度くらいのペースになると思います。
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第二章もよろしくお願いします。














