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そう、だから君を奪うことにした  作者: 瑞月風花
第三章『自由な空へ』

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グランバル(王による王のための大舞踏会)⑤

 

 舞踏会が始まる一刻前より陛下が玉座に御就きになった。

 新王となって、初のお目見えであり、その彼がハウエル本来の主。そして、ハウエルは彼に付き従うことが、当然の業務なのだ。

 ハウエルは何度も、それを確かめながら、彼の傍らに立っていた。


 次々に夫人付きで挨拶に来る貴族たちは、どれも同じように祝辞を述べて、その奥方を紹介する。

 セドリックはそのどれにも興味を示さず「うむ。励むと良い」と、どれにも同じように答える。

 しかし、セドリックは適当に流しているのではなく、見定めているのだ。

 使える者かそうでない者なのかを。


 幼い頃からずっと彼のそばにいるハウエルはそんなふうに思いながら、セドリックの傍らに立ち続けた。そして、おそらく、セドリックはハウエルをも道具としてここに置いているのだろう。


 来賓の者たちが、ハウエルにどんな視線を向けているのか。

 近衛兵でもなく、側近でもない。

 かといって、民草でもない存在。

 ハウエルの立場はとても奇妙だ。


 密偵のようで、密偵ではなく、傍仕えのようでそうでもない。強いて言うなら、小間使いである。

 小間使いがこの場で、王の傍らにいるのだ。実際セドリックは小間使いのようにハウエルを使い、そして、ハウエルにこう申し付けている。


『私の傍にいる時は、皆に(へりくだ)るな。お前は単なる私の手足であり、私の動ける手足なのだからな』と。

 だから、ハウエルに一礼する者に対しても、頷くだけ。


 そして、ほとんどの貴族たちが挨拶を終えた後、大きなおなかを突き出したまま、尊大に歩くロドウェルが、陛下の前で遜るようにして、その羽帽子を大仰に脱いだ。

「この度はこのようなお招きに預かりまことに光栄至極にございます」

 そして、あれだけ無表情だったセドリックが初めて彼に対して動いたのだ。それは他の貴族から見ても、おそらく特別を醸し出す行為だ。もちろん、ロドウェルも心得たように、にんまり笑う。


「その(ほう)には多大な助力をもらった。大変に感謝しているぞ。どうだ、貴様への待遇には満足しているか?」

「お言葉まことに嬉しく。陛下の御心遣いと姪御様をいただけた幸せは、例えようがありませぬぞ」

 ロドウェルは、セドリックのほんとうの意味にも気づかずに、声を皆に轟かせた。

 愚かな行為だとは、気づかずに。


 さも自慢気に。


 それに対してセドリックの声色は、波打つことのない静かなものだった。そして、静かなまま視線をロゼッタへと流す。

「そうか。それは何よりだ。ロゼッタも良き主人に仕えられ、満足しておるのだろう?」

 誰が見ても彼女は満足どころか、名を呼ばれ、恐怖に怯えているとしか見えない。


 強張った表情、それは、まるで狼の前の兎。

 いや、兎でさえも逃げ出す機会を窺うだろう。

 だが、彼女は決して逃げはしないのだ。

 なぜなら、彼女は生贄の子羊だから。逃げ出す術すら与えられず、その自由すら許されていない。首に縄を付けられて、逃げればその縄が彼女の首を締めあげるのだから。


 だから、彼女は震える声で「はい」としか答えられない存在であり、与えられている返事は『応』のみなのだ。


 そう仕込んだのは、目の前で皮肉な笑いをその面に貼り付け続ける王、セドリックだ。そして、その王が満足そうに笑う姿は、ロゼッタにとってさも悪魔なのだろう。

 そして、その悪魔にあげへつらう化け物ロドウェル。化け物はその子羊の肩に手を回し、自分の所有を顕にする。


「ロゼッタもこう申しております。なぁ、ロゼッタ、陛下には感謝しかなかろう」

 ロゼッタが捧げられた相手は化け物なのか、悪魔なのか。

 それも、逃げ場のない彼女にとってはどうでも良いことなのかもしれない。

「……はい」

 そして、その返事を聞いたセドリックが、何を思ったのかは分からない。しかし、顔を伏せたままのロゼッタに向かって行ったのは確かで。

 ハウエルは、ただ、息を呑んでその様子を見つめ、自身を顧みていた。


 自分はおそらく失敗などしていない。

 だから、彼女は大丈夫だ。そう信じこもうとしているのだ。


 セドリックは、平気で嘘はつくが、二言のない男ではある。結果を出せば、必ず応える主でもある。

 それなのに、心臓を悪魔に握られたようなそんな震えを抱えている。

 セドリックが悪魔であることに変わりがないこともまた、ハウエルは知っているのだ。


 僅かに屈んだセドリックがロゼッタの顎を持ち上げ、その顔を見下ろす。そして、興に講じるための言葉を発した。

「ロゼッタよ、お前が舞踏に励んでいるとハウエルから聞き及んでいるぞ」

 見下ろされた形を取られたロゼッタの震えは、遠くにいるハウエルにまで届くようだった。

 その瞳は恐怖に震えている。暴力をふるわれているわけでもない。過去に震えているだけなのだ。


 だから……。


 ハウエルは唇を噛み締めてその結果を見守ろうと、努力する。

 彼の中にあるものは、もし……へ対する警戒と洞察のみ。

 どう動くのかは、決まっている。


 もちろん、ご満悦のロドウェルは、その出来事に何が起きているのかすら分かっていない。だから、奴は、ニヤニヤと笑いながらロゼッタの肩にあった手を滑らせて、その二の腕を揉み始めたのだ。

 ロゼッタの肩が別の恐怖に跳ね上がる。


「もちろんです。ですが、ロゼッタは、ダンスはあまり得意ではありませんよ、陛下。ですが、それも一興かもしれませんな」


 ロドウェルのロゼッタへの蔑みが、唯一彼女を庇うことになるとは、皮肉なものだ。

 しかし、セドリックがそれを許すわけもなく、その言葉を振り落とす。

「貴様には聞いておらぬ。ロゼッタ、お前が答えろ。お前は踊れるのか?」

 震える口がやっと開くのを見て、ハウエルは、初めて彼女に願った。『はい』と言ってくれと。

 そして、刹那の時が止まった後に、彼女の口から、「はい」の声が聞こえてきた。


 そのロゼッタは、セドリックを見つめていた。

 そう、すくっと、彼を見つめていたのだ。


「そうか。では、ロドウェル卿、自慢の奥方を借りるぞ」

 そして、ロゼッタから離れたセドリックが、言葉を轟かせた。

「挨拶は終わりだ。余興に移ろう。……そうだな」


 ――まずは、メヌエットでも披露しようか。


 ※※※


 私はずっと震えていた。

 まるで吹雪の中にいるようで、体のすべてが何も感じなくなるくらい、ずっと寒かった。

 あの酷い王様――セドリック陛下が、私の瞳を覗き込んだ時から、ずっと。

 あの刹那、父が殺された時が脳裏に蘇ったからだ。


 鮮やかに。

 色を帯びて。


 あの時は分からなかったけれど、父の最期の恐怖を追随するようで。母の失った者が分かったような気がして。

 セドリック陛下は、あの日、怖くて動けなかった私を、母から奪い、連れ去った。

 私にとっての陛下はとても酷い王様だった。

 でも、視界の端に映るハウエル様は、動こうとしない。

 ハウエル様は、私を助けてくれる方。

 いつも、そう、私をぶつことなく、怒鳴ることなく、……。お優しいお顔で、ロジェのかごをくれ、新しいクッションをくれ、砂糖菓子をくれ、髪留めをくださった。

 いつも私に優しいお方。だから……。


 ……ということは、今は私を助ける必要はないということなのかもしれない。


 そうよ……セドリック陛下は、あの時仰っていたわ。

 ――王家に役立たずは容赦しない……と。

 だから、私はきっと、それを試されているの。


 役に立つのか、立たないのか。


 陛下は、私に踊れるか?

 とお尋ねになった。

 踊れるかどうか……。

 考えていると、ロドウェル卿が「踊れない」と仰った。


 だけど……。


 あの日、ハウエル様は私のダンスの心配はしていないと仰っていた。陛下は私に問うていると、確認された。

 だから、私は「はい」と答えた。ダンスのお相手をご所望ということは、陛下は今それを私にお求めになっているということなのだろう。


 メヌエットは、四分の三拍子の古くて格式の高いダンスのひとつ。

 石のお部屋でステップの運びはたくさん教わったもの。

 ゆっくりのダンスだし、きっと大丈夫。


 それに踵の低い靴と、締め付けないドレス。

 ロジェも付いているし、……。


 セドリック陛下が、一度背を向けハウエル様と何かおしゃべりになっている。

 そして、バイオリンが音を会場に広げる。

 ト長調の始まり。重なり始める管楽器と、それを支えるチェロの音。

 これは、ヌー作曲の小品集の中にあるメヌエット『格式高き者達へ捧ぐステップの練習曲・第三番』だ。

 ロゼッタが何度も踏んだことのあるひとつ。


 第一番のゆったり優雅な方ではなくて、第二番の足がもつれるようなものでもなくて、少し軽やかな方。

 ――王族ならばまして、貴き血を持つのならば、踊れて当たり前の舞曲。

 そう言われて、何度も転んで何度も練習させられたんだもの。

 石のお部屋の記憶が巡り出す。だけど、だから、大丈夫。私は、覚えているもの。

 陛下は、ダンスの相手として私を見ているだけだもの。


 差し出されたセドリックの手に緊張で冷たくなってしまった手を載せると、私はさも当たり前のようにして会場中央へと誘われた。

 不思議とその手はとても丁寧で、だけど有無を言わさぬ力強さがあって、やっぱり怖いと思ってしまう。


 そして、この舞踏会を支配する王は、皆へ一礼をする。王族としての気品と優雅さを持つ、そんな一礼だった。そして、それを合図に、まるでその一礼に応えるようにしてバイオリンが改めて前奏を奏ではじめる。それが特徴のメヌエットでもある。

 皆の返礼を返された後、相手へ一礼。私も陛下に合わせてドレスを広げて頭を低く下げる。

 最初のステップは、伸びからはじまる。


 メヌエットのステップのはじまりは、次のバイオリンの響きが合図。その音に合わせ、陛下の呼吸に合わせ、ステップを踏めばいい。


 大丈夫。

 知っているもの。

 伸びとともに、私は大きく息をした。



 再度のバイオリンが合図で、ロゼッタはステップを踏み始めた。




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