グランバル(王による王のための大舞踏会)②
お城の廊下と階段の絨毯は、緑。新緑よりも深い色。冬の常緑樹の深い色。
――それは、踏みつけるためにあるものだ……。
そんな言葉が蘇った。
麻袋の中にあった時、あの酷い王様の言葉が耳に入ってきたのを思い出したのだ。
私の瞳は父と同じ緑色。
だから、踏みつけられる……。
忘れていたわけではないけれど、『だから』と思ったことは、忘れていたのかもしれない。
「奥さま、とてもお綺麗ですわ」
私の着付けを終わらせたモナの声で、ふと着せられているドレスを眺めた。
あの酷い王様の兵隊さんが連れてきた部屋にあったのは、私が選んだ生地で仕立てられた豪華なドレスで、これは、あの酷い王様からの贈り物なのだそうだ。
そう言えば……。
そんなことをずっと言われていた気がする。
そう思って、ハウエル様を思い浮かべていた。
だけど、ドレスの形は、彼が指示してくれたのだろうか?
あの酷い王様が、作ってくれたとは思えないのだ。
鳥の羽ばたきのように広がる七分丈の袖口にはたくさんのレースが、そして、袖には合わせが入れられていて、そこから覗く白い生地が手を動かすたびに、ちらちら見える。ふわりと広がるスカートの部分は二段になっていて、その裾にも同じく白い模様が刺繍されていた。
刺繍の模様は、葉っぱと草の実、花の中に小鳥が隠れていて、チョンと首を傾げている。
うねうねの虫がいたら、ぜったいにロジェのことだと思えるのだけど……。
虫はいないから、よく分からない。
そして、お尻の上には羽のように大きなリボンが載せられている。
手袋と踵の低い靴は黒色。
光沢の押さえられたそれらは、黄唐茶色のドレスの生地にもよく似合っていて、私の肌の露出を避けてくれるものと、転ばないように配慮されている、そんな靴。
このドレスは私を踏みつけるためにあるものとは思えないのだ。
だから、迷っていたひとつをモナに伝えた。
「モナ……やっぱり」
結い上げてもらったばかりの、髪に飾られているものは真珠の並んだ櫛飾り。
これもそうなのかもしれないけれど、あの琥珀にまとめられた蒲公英色の髪留めを……ハウエル様のあの髪留めを、付けたい。
「あの髪留めに、したいと思います」
「分かりました」
モナはにっこり笑って、
「真珠の櫛も使いつつ、髪留めを飾らせていただきますね」
と、私の髪を解き始めた。
王様が準備してくれていたものでもなくて、せっかく結い上げてくれた髪だったけれど……。
ハウエル様と一緒にいたい。
そんなわがままを、モナは許してくれた。
だけど、赤いあの石が私の胸元に垂れたまま、そこにある。
私は、ロドウェル卿のもの……なのだ。
扉が再度叩かれたのは、その後少ししてから。
あの兵隊さんがふたたびやって来て、頬を緩めた。
「ご準備も整われたようで。どうぞいらしてください。旦那さまがお待ちです」
その言葉の柔らかさに、ふと思った。
この兵隊さんも、ハウエル様のように怖い人じゃないのかしらと。だから、声を出して尋ねてしまったのかもしれない。
「モナ……は?」
「モナはここでお待ちしております。どうぞ楽しんできてくださいませ」
モナはついて来ない。だけど、私が勝手にしゃべったことを、この兵隊さんも怒らない。
「こちらへ」
それだけ言って、歩き出す。
いつもと違う、それが胸の奥に冷たい風を吹かすような、怖いような。だけど、少し気になるような。
私とその兵隊さんの靴音が緑の絨毯に吸い込まれていて、天井のシャンデリアは大きくて、大きく金色の扉が近づいてくると、人が増えてきて。
ご夫婦でいらっしゃる方や、私のように兵隊さんに連れられてくるご夫人や。
扉が開かれると、その中から明るい光が飛び出してきて、人が吸い込まれて行って……。
賑やかな声が……。
怖い……。
あの声は、何?
歩みを止めてしまった私に、ここまで一緒に来てくれていた兵隊さんが「どうされました?」と尋ねてくれるが、この声は違うの。
同じ言葉だけれど、違うの。
「ご気分でも?」
違うの。大丈夫。大丈夫、これはいつものことだから。
歩かなくちゃ……。歩かなくちゃ、ぶたれてしまう。
私は慌てて頭を振って、微笑んだんだと思う。
「いいえ、ちょっと驚いただけです」
教え込まれてきた言葉はすぐに出てくるけれど、気持ちが追いつかない。
どうしましょう……。
どうしたらいいの?
俯いた私の目に飛び込んできたものは、スカートの裾の小鳥。
ロジェ……
一緒にいてくれるのね。
あ、……。
頭に手を遣ると、髪留めがある。
そう……。
私、この色を選んだ時、ハウエル様の瞳の色を思い浮かべていたの。
だから、今もハウエル様は一緒にいるのよ。
ロジェもいるしハウエル様もいる。
大丈夫、守ってくださっているわ。
息を大きく吸い込んでゆっくりと吐き出す。教わってきた言葉を話す。
「申し訳ありませんでした。参りましょう」
その言葉の後に、もう一度微笑み、その兵隊さんに連れられて、その大きな扉をくぐった。
すると、扉をくぐってすぐ左の壁際に立つ老紳士、孔雀の羽帽子を頭に載せた不機嫌な旦那さま――お召し替えをなさったロドウェル卿が目に飛び込んできた。
真っ赤な宝石で止められたクラバット、深い蒼に金糸の刺繍の上着に金ボタンは、今にもはち切れそうなお腹を一生懸命に守っていて、黒いゆったりとした半ズボンを、金のリングをいくつも付けたベルトで止めており、白色の長靴下が、彼の足を細く見せようと助けていた。
そして、すべての視線がいくように磨かれた踵の高い革靴がてろりと光る。
その革靴の艶めかしい光が、私の鼓動を深く沈めてしまうのだ。
「ロゼッタ。遅かったじゃないか」
普段よりも柔らかな口調を装い、私を窘めた後、兵隊さんへ胸に手を当てるという簡易の礼をし、兵隊さんから私を受け取った。
孔雀の羽が付いている、その豪華な帽子は取らないまま。
私も連れてきてくれた兵隊さんにお辞儀をしようと振り返ると、私の腕に力が加わって、それは叶わなかった。
「行くぞ」
ふいに引っ張られた手はすぐに彼の腕に捕まらされて、私はそのまま会場への奥へと連れて行かれたのだ。














