「ハウエル」‐5
やっと取り戻した我が家。
そんな感慨深い思いに取り憑かれながら、セドリックは、たった今、王城の門を潜った黒塗りの馬車を眺めていた。その手には、先ほどメイドが淹れたお茶があり、薄暗闇に赤くある。
そして、その黒塗りが近づくに連れて、セドリックの片頬が釣り上がっていくのだ。それが歓喜にも近いどす黒い感情であることも、セドリックはよく知っていたが、止めることはできなかった。
……自分に手を差し伸べた気になっていた者が墜落する。
――知っているぞ。
どうせ甘い汁を吸いたいだけの裏切り者だ。セドリックが堕ちれば掌を返して、対抗勢力へ寝返るような。
黒塗りの馬車から、孔雀の羽帽子を被った老紳士と黒い衣装を着たその夫人が下りてきた。
その夫人は、男を狂わせる家系の女の娘だ。呪いの娘とも、兄の一件からは『魔女』の系譜だとも言われている。
だが、なるほど、言われてみればあれは希代の魔女だったか……と、身近なふたりを思い出し、セドリックはくつくつと込み上げてくる笑いを堪えながら、それでも声が漏れ出てしまった。
しかし、ほんとうにあれが魔女というものなのか? とも思え、同時に滑稽になってくるのだ。
――あんな痩せぎすの、ただ口を開けて餌を待つような、鳥の雛のようなものが?
あれを魔女と言うのであれば、魔女など大したモノではないようだ。
そう思い、彼は自身の過去を振り返る。
確かに魔女は、セドリックの足元を揺るがした。
常に比べられていた緑眼の兄を惑わせ、王家の信頼を揺るがし、同じく緑眼を持つ叔父が謀反を企み始めた。
王家にあった“貴き血”は、すべてにおいて、セドリックを破滅へと向かわせようとした。
しかし、権威の象徴と亡霊の夢を奴に与えた紅い髪と貴き瞳を持つ娘。
玩具のように壊し作り直せる、あれはそのように簡単に扱えるようなものだった。
ひとりは余計だったが、確かに魔女としての務めは果たしたのだろう。
――そうだな、褒美を取らせねばなるまい。
そして、カップの中で艶めかしく光を映す紅い液体に、セドリックは視線を落とした。
――さて、行くとするか。
本来、私が座るべき場所だったあの座へ。
思考に終止符を置いたセドリックは、温くなってしまった紅茶を飲み干して、不敵な微笑みを称えた。
そして、その彼らを出迎えに、内に立っていた近衛に扉を開けさせた。
※※※
自室から退出してきたセドリックを最敬礼でお迎えする。
そして、付き従う。
それがハウエルの本業である。
何を気に入られているのか、それは分からない。
しかし、七つの頃に親戚から第二王子の小姓として働かないかという紹介を受け、十九になっていたセドリックに付き始めた。
この頃のセドリックは、王太子の駆け落ちから五年ほど経っていたので、落ち着いていて、幼少のハウエルには、ただの使いを頼んでいるだけだった。
さすがに、子ども相手に……と思い、思い直した。
いや、幸運だっただけだろう。
ロゼッタの過去を思い出し、ハウエルは肝に銘じる。
自分が仕える主は、誰かに気持ちを許すことなどない、と。
その頃、ハウエルがセドリックに頼まれるお使いは、他愛のないものが多かった。
たとえば、町で流行の美味しいものだとか、流行の書物。
お題のように与えられる『民の好むものを持て』という使いに始まり、『お前が好むもの』『私が欲するもの』を買ってこいとも言われることもあった。
なぜか、一番に喜ばれることは、ハウエルが好むものを馬鹿にするように笑うことだったが、命が危ぶまれるようなことはなかった。
ほんとうに幸運だったのだろう。
だからか、私書を携えてどこぞの高い身分の貴族に会いに行くこともあり、全ては子どもの使いとして扱われながらも、王の使いとして、ハウエルが持つ有力貴族とのパイプは太い。
しかし、当時のハウエルはそれらのすべてを、内容も知らずにただ頼まれ、ただ熟すだけだった。
それが変わったのは、やはり、ロゼッタが連れてこられたあの日からだろう。
十五になっていたハウエルは従士という名に身分を変えて、ロゼッタの出自なども知るようになった。変わったことはそれだけで、やはり言われたことをただ熟すだけの日々だ。
しかし、今思えば、セドリックはこの日を想像し、ハウエルをロドウェル卿宅へ忍ばせるために、ロゼッタを使ったのではないかとすら思えてしまう。
ロドウェルはかつてより、王家を裏で牛耳る節があった者だ。
王が統べるはずの貴族たちと裏でやりとりをし、政治を自身の利権のために使うような。
――今、自分の前を颯爽と歩き続けるこのお方は、いつからこれを計画されていたのだろうか。
ハウエルは自分の主人に対して自然とそんな思いに駆られてしまう。
そして、彼が向かう先を心配してしまう。
もちろん、ずっと未来を視ているのだろう。しかし、その行き先の道中にはロゼッタの運命が深く関わっているのだ。
約束はさせている。
だが、その約束をいとも容易く反故に出来る相手なのだ。そして、その力は、ハウエルにはどうしようもできないくらいに大きく、その可能性は大きい、としか思えない。
ふと、セドリックの足が止まった。
「どうかなされましたか、陛下?」
いつものように彼を気遣い、頭を下げてその言葉を待つ。何を考えているのか、ハウエルは、その沈黙が長いと感じた。何を仰るのだろう。
ハウエルを取り巻くなにかがあるのであれば、『不安』だ。
気が変わった……などと伝えられるのだろうか。
しかし、短い笑いの後、セドリックは何も言わなかった。そして、その床を眺め続けていたハウエルの視界にあったセドリックの足先がふたたび前を向いたことが分かり、その背中が伝える。
「ふっ、お前は本当に分かりやすくて良い」
分かりやすくて良い……それが誉め言葉として使われているのであれば、陛下のまわりはいかに分かりにくいのか、ハウエルには想像もつかない。
しかし、今のハウエルにできることは、……。
「ありがたく存じます」
そう、何か言葉をいただく。
それだけで感謝する、そんな世界でしかない。
そして、それだけが自分の身を守ることになるのだ。
だから、ハウエルはそのままその足音を静かに追いかけた。
第三章は三日おきに21:00投稿をします。この章で完結です。
最後は6月26日(金曜日)の夜で章終わり、6月27日(土曜日朝10:00)でエピローグで完結とします。














