「ハウエル」-4
ロゼッタははじめこそ目をぱちくりさせて、部屋の奥を眺めていたが、ハウエルが促すと、言われた通りに布地を選び始めた。
最初は淡い花を思わせる桃色の布を手に取り、その後は春霞の空の色。
初夏緑にはっきりとした黄色。そして、淡い雪山を連想させる銀沢のもの。
ロゼッタは、布に触れる前に、仕立て屋にお伺いを立ててから、さらに壊れ物にでも触れるかのようにして、一枚一枚を丁寧に両手で広げては、ふわりと笑う。
――しかし、その笑顔には気づいていないのだろうな……。
嬉しそうなロゼッタを遠くから眺めているだけのハウエルは、そんな風に思って、壁にもたれかかっていた。布一枚をあんなに丁寧に扱う貴婦人は、ハウエルの知り合いの中において、他にいない。
しかし、同時に彼女が触れるものすべてに目を光らせる何かが、いつも傍にあったという証明でもあるのだ。そして、そのロゼッタが、恐る恐るという空気を纏いながら、ハウエルに尋ねる。
「ハウエル様……このお色はいかがでしょう?」
自分で選ぶということに慣れていないロゼッタの声はやはり緊張を帯びており、どこか不安気にハウエルの耳に響いて届く。
しかし、ハウエルはその色を見て、ロゼッタらしいと思った。
黄唐茶色をしたシルクのジョーゼット。
ロジェの色合いによく似た、黄味がかった茶色。
落ち着いた黄金色とも言われる色だった。
「いいですね」
ハウエルも笑う。
「では、王都で仕立てさせましょう。奥さまはドレスの形にご希望はありますか?」
ロゼッタは、ふわりと揺れるスカートを持つドレスが好きなのだとは、ハウエルも知っている。だが、仕立て屋に任せるばかりではなく、聞いておきたいと思ったのだ。
ロゼッタの自由を約束するためのドレスだ。
ロゼッタはハウエルの質問に困ったように首を傾げ、その答えを出した。
「ハウエル様にお任せします。私、何が似合うのかあんまり分かりませんから」
そして、もちろんロゼッタは知らない。
その答えがハウエルの心拍を僅かに早め、どこか特別を感じさせることを。
「責任重大ですね。わかりました。任されましょう」
彼が冷静にそんな言葉を選び取る度に、実は心の奥がじわり疼くように痛みをもたらしていくことも。ほんとうは、どうしようもなく、冷静でいようとしているだけだということも。
――ほんとうは、奥さまではなく、"ロゼッタ"と呼びたいと、卑しくも思ってしまうことも。
だから、ハウエルは幼い子どもにするように、穏やかに微笑む。
「では、行きましょうか。転ばないためのダンスの練習に」
ハウエルの意地悪にも、ロゼッタが真面目に取り組もうと頷く姿が可愛くて、つい吐いてしまった嘘。
ハウエルはそのまま彼女を廊下へ連れ出し、ふたたび鳥の刷り込みのように付いてくる彼女を想い、すべてを否定するための肯定をする。
ダンスの練習なんて嘘だ。
それを口実にロジェとのお別れの時間を取ろうと思っての。
だけど、このまま……。
だが、無自覚のロゼッタが、彼の中にあるだろう“ハウエル”を思い出させるのだ。
――自分自身は、彼女の見張りであり、セドリックの犬だと。
ハウエルはやはり自分の無力さに目を瞑り、仕事をするしかない。
セドリックに出した条件は、『協力する代わりにもうロゼッタに関わるな』というものだ。
上手くいけば、彼女は本当に自由になれる。
いや、自身が失敗してしまったとしても、今よりは自由を、と願う。
そのために、ロドウェルの身辺を洗ってきているのだ。顔を覚えさせてきたのだ。
だから、それまで、やっと芽生えてきた自分を失わせないようにはしたい、そんな風に思うのだ。
自分で選べる人生を、……。それが、今まで見て見ぬふりをしてきた自分にできる最低限の償いのような気がして。
萎んでいく気持ちを感じながら、「奥さま、お疲れにはなっていませんか?」と、背後を見遣ると、何とも申し訳なさそうなロゼッタが、ハウエルの視界に映る。
いつもどこか何かに怯えて、自分自身の存在を否定しようとする彼女。
だからか、声も小さい。
「ハウエル様、あの……私、そんなにすぐにうまくならないと思います」
そんな彼女にハウエルはやっぱり微笑み、耳打ちした。
「あれは嘘です」と。
やはり目をぱちくりさせるロゼッタに、ハウエルは本当を述べる。
「ほんとうは私が不得手なんですよ。奥さまの心配などしておりません」
ただ、あれ以上ロドウェルに彼女を貶されたくなかった。それだけなのだ。
「時間が余りましたね。ロジェとのお別れにも時間がたくさんとれそうです」
「……はい」
どこか寂しそうな彼女を眺めていると、ロジェを放たなくても良いのではないかと思えてくるほどに、ハウエルは、彼女の笑顔を守りたいと思い始めているのだ。
そう、失敗すればロジェのいないこの屋敷に今までと変わらず彼女を縛ることになってしまう。
だけど、これも彼女が望んだことのひとつ。
彼女を庭へ連れて行く。
そっと手を取り、彼女が転ばないように。
だけど、この手はいつか離れていくもの。
ロジェはまだ彼女が持つ器の中にあって。
その器の外を知らない。
「ロジェ、幸せになってね」
そんな声を聞いて。
そう、……幸せに。
しばらく彼女のまわりを飛び回っていたロジェが、別のアオジの声に誘われて、進路を変える。
「さようなら……」
ロジェをずっと見送っている彼女の横顔を、ただ見つめていた。
さようなら……。
「ハウエル様、ありがとうございました」
彼女の声でふとぼんやりしていた自分に気づく。
「奥さま、もう少し待っていてくださいね」
ただそれだけを伝え、もうロジェのいない青空に視線を向けた。
空は無限に青く、どこまでも自由に見えた。
※作中にある『銀沢』という言葉は、銀色の光沢をもつさらりとした……という意味を持つ色として使っている造語です。実際にはない言葉です。
第二章《了》
第三章は6月から始めます。














