「砂糖菓子が広げる魔法」③
お客様としてのハウエル様はよくお喋りをされていた。
丸テーブルを囲むように配置されている椅子にロドウェル卿を囲むようにして座っている。
それも居心地が悪いのだけど。
そう、今日のハウエル様は、いつもと違う。
にこやかに紳士。
いつもも紳士なのだけど。お衣装がきちんとされているからかしら。
いいえ、お衣装もいつもきちんとされているのだけれど。
そう、今日は“おめかし”をされているの。
落ち着いた深い緑の上着には暗い金糸の刺繍が綺麗にされてあって、袖から見える白い刺繍入りシャツも、細い黒の飾りベルトも上着とお揃いの半ズボンも白い長靴下も清潔で、とてもお似合いになっているもの。
小さな丸テーブルを囲むと、私の視界にずっとそんなハウエル様が入ってくる。それが、一番落ち着かない。
だから、私はというと、まるで自分へ話されているという自覚はなく、ただハウエル様から頂いたアマンブールというお菓子を眺めていた。
たまごの色をほんの少し焦がしたような四角い焼き菓子。
アーモンド粉と小麦粉とバターとお砂糖とを練って焼いているのだそう。
どんな味がするのだろう……。
香ばしい匂いが、ふわりと漂ってくるのだけれど、旦那さまとハウエル様がおしゃべりをしている間は、まだ食べられない。
そんなことをするのは、みっともないことだから、ただ見つめて、お味の想像だけにする。
このお菓子を持ってきてくれたハウエル様は、王の命でやってきているから、今日は彼自身にも護衛が付いているそう。
兵隊さんに兵隊さんが付いていると思うと、少し可笑しな気持ちになってくる。
そして、あの酷い王様がみんなの王様になったことを、みんなにちゃんと知らせるための儀式をするから……、という内容を、今お話しになっているのだ。
私にはあんまり関係のないことのように思っていた。
そう、いくらお姫さまみたいになったからって、王様と一緒の空間に私がいるはずがない、と他人事のように。
おそらく、私はお留守番で、その時にはもうロジェもいなくて……。ミモザの夫人も出てきてくれないし……。
だから、アマンブールとお茶の色を眺めながら、どんなお味がするのだろう……という考えに戻っていた。
そうしていると、たとえ食べられなくても、あんなことがあった後のロドウェル卿がすぐそばにいても、なんとか気持ちが落ち着いてくるように思うのだ。
それなのに、ハウエル様が急に私に水を向けた。
「奥さまは、ダンスがお得意と伺いました。その玉座就任式でも社交を深めるために、舞踏会が開かれます」
「えっ?」
思わず声を上げてしまった私に、ハウエル様は柔らかく微笑んでくれたが、ロドウェル卿は、いやらしく笑いながら私を語り始める。
だけど、それは、真実で……。
「いいえ、ハウエル殿。妻はダンスでよく転ぶのですよ。いくら練習させても上手くなりませんで、困ったものです」
「おや、そうだったのですか……奥さま、もしや今日もお転びになられましたか?」
でも、ハウエル様はロドウェル卿の言葉など真に受けなかったようにして、何度か鼻で息を吸った。
あ……どうしましょう。
そして、私は気づいてしまったのだ。
あの湿布の匂いが取れていないということに。
どうしましょう……。
顔がほてってしまうのを感じ、思わず俯いてしまった。
どうしましょう、で私の頭はいっぱいだった。
「清涼感のあるこの匂いは、ダンスの練習でお転びになった結果というところですか?」
でも、私を庇ってくれたはずのその言葉には棘があるように思えて、わずかに視線を上にする。
ハウエル様は笑っていらっしゃるけれど……。その瞳には氷のような光が差し込んでいて、その瞳で、ロドウェル卿を突き刺していた。
私の胸が冷たく鼓動し始める。
どうして……そんなお顔をされるの?
いつにないそのお顔が、私に初めて『ハウエル様が怖い』と感じさせてしまったのだ。私に向けてのお顔じゃないけれど、そんなお顔は見たくない……そんなふうな。
「足など挫いたりはされていませんか?」
私に尋ねるその言葉は、とても優しい響きを持っていた。でも、ロドウェル卿の頬が引きつっている。だから、慌てて頭を振って否定した。
「お気に留めていただくようなことは……ありません。少し……ぶつけてしまっただけですから」
言葉を選びながら、今度はロドウェル卿のお顔を窺う。ロドウェル卿のお顔はまだ、不機嫌だ。だけど、私の返事の後に響いたハウエル様のお声は、さっきの棘は無くなって、私に柔らかな視線を向けていた。
「この後、その舞踏会用のドレスのお色を選んでいただこうと思っていたのです。ご主人には伝えていたのですが、その就任式の後の舞踏会には、ぜひ奥さまにもご出席いただくようにと、陛下が申しておりまして」
私が……踊るの?
頬がほてっていたことも忘れて、そんな無茶なことをいうハウエル様を、思わず何もないのに、眺めてしまった。
「卿、もしよろしければ、ドレスの色選びの後、少しだけ奥さまをお借りできませんか?」
「ハウエル、それは、どういう意味だね?」
怒鳴り声ではない。だけど、威嚇であることは、私にでも分かった。ロドウェル卿の顔が、獣の形相になっていた。胸の奥が静かに冷え込み鼓動を高める。それは、体が強張って動かなくなってしまう、あの化け物の顔だ。
心配になってハウエル様を見つめるが、彼は物ともせずに、ロドウェル卿に立ち向かっていった。
「いいえ、そんなにお転びになられるのであれば、少しダンスの練習をと思いまして。こう見えて、ダンスが得意なのです。なに、大丈夫ですよ。頑張り屋の奥さまならきっとお上手になられます。その方が、卿も安心して当日をお迎えになられますでしょう?」
やっぱり、兵隊さんだったハウエル様は、強いのだ……だけど、もう彼が怖いとは思えない。
そんなことを思った。
そんな強いハウエル様に連れられて、ロドウェル卿を残した部屋を出ると、モナが一礼した。ずっと待っていてくれたのだろうか。
「ご苦労様。あぁ、奥さまの焼き菓子は包んでおいてくれないか? 勢いあまって食べる時間も作れず、連れ出してしまったから」
「かしこまりました」
ふたりはとても素敵に賢い会話をして、そのままいつもと反対の廊下――玄関広間へ続く通路を歩き、さらに二階への階段を昇っていった。
二階へ行くことはあまりない。幅の広い階段には、玄関と同じ色の赤い絨毯が敷かれていて、下男やモナ以外のメイド達が綺麗にしてくれている。
二階は、ロドウェル卿の仕事場なのだ。おそらく、あと数日もすれば、数字を扱うお仕事仲間がたくさんやって来て、この階段を上り下りするはず。
その頃の私のお仕事は、お辞儀をすることが大半で、ロドウェル卿に呼ばれればすぐに部屋に向かわなければならないこともお仕事で。
……高い踵の靴で階段を上がると、躓きそうで。
……ロドウェル卿の部屋に入ると、たくさん身体を撫でまわされて。あの生臭い息をかけられた。
思わず、頭を大きく振っていた。思い出したくない。そんな拒絶だ。
そんな記憶しかない階段を上る。
ハウエル様は一歩前。
私は一歩後ろ。
迷子にならないように、その背中を追いかけた。
そして、二階の廊下に着いた時、ハウエル様が急に謝ったのだ。
「申し訳ありませんでした。その……お怪我をさせてしまいました」
「えっ?」
ハウエル様が私を突き飛ばしたわけでもないのに、どうして謝るのだろう。
私は目をぱちくりさせて、彼を眺める。
なにか言わなくちゃ……。
なにか……と考えていたら、やるせないような表情を浮かべたハウエル様が、二階の広間の扉を開いた。
「どうぞお入りください」
そこには、にこやかな商人風情の男性がふたりと、ふくよかな女性が私たちを出迎えていて、「お待ちしておりましたよ、奥さま」と、私に声をかけた。
なんだかよく分からなくなってきて、「ハウエル様?」と呼びかけてしまう。
すると、今度はいつもの優しいお顔のハウエル様がにこりと笑った。
「王都から連れてきました仕立て屋です。どうぞお好きなお色の布をお選びください」
そんな言葉に、彼ら仕立て屋の後ろを見ると、色とりどりの布が並べられていた。
作中のアマンブールというお菓子は、現実に存在しません。アーモンドの香りをより強くしたフィナンシェによく似たお菓子と思ってくださればと思います。














