「呪われの子」②
化け物の家は、王都よりもずっと東のトウモロコシ畑がたくさんある土地にあり、私がこの化け物に嫁いだのは私が十七になった秋の頃だった。だけど、十二になるまでは、ここよりもずっと遙か南にある、干からびた片田舎の村にいた。そこは、豆くらいしか育たない、そんな場所だった。
父は小さな畑を持っていて、そこで豆とニワトリを育てていた。母は少し離れた町での野菜洗いの仕事をしていて、母の手にはいつもあかぎれがぱっくりと開いていた。
母はその手を見ながらいつも言っていた。
「あいつのせいよ、どうしてなのよ……」
私の母の記憶はあかぎれと父への暴言で、それでも機嫌の良い時は、私に可愛いリボンを付けて「いつかあんたはお姫様になるのよ。とっても可愛いわロジェ。可愛い私のお姫様よ」と嬉しそうに笑う人。
父の記憶は罵声に混じるアルコールと、覇気のない緑の瞳と白い顔。いつもどこか猫背気味に俯いていた。だけどたった一度、ニワトリを絞める時、とても怖いお顔をしながらも「ひっ」と悲鳴を呑み込む私を見ると、呆れたように笑った人。
「今日はお前が七年を数える日なんだから喜べよな。全く普段はおしゃべりなくせに」
両親はそんな人たちだった。
私はヒヨコを追いかけたり、卵を拾ったり、豆をちぎったり、干したり、袋に入れたりしながら、それを両親と一緒に町まで売りに行くことが仕事だった。
私が袋を持つとよく売れる。
両親はそんなことを言って私を褒めてくれていた。
私はそれが嬉しくて、ふふ、と笑う。
父の緑の瞳は私と同じ色。それは王族の証だそうだった。だけど、父がそれを私に教えたことはない。
そんなことを教えたのは村の男たちだった。彼らは嘲笑しながら七つの私に教え始めた。
「おまえもお前の母ちゃんみたいに、男を誑かせて破滅に導くんだろうなぁ」
男は酔ってもいないのに、私に近づき私の顔を覗き込んでは、大きな声で吹聴した。
「なぁ、ここに呪われた子どもがいるぜ。どうして生まれちまったんだろうな」
と、私の紅い髪を摘まみながら。
泣き出すことはしなかった。
ただ黙って歩き続け、小屋に帰って母のおなかに抱きついただけ。
だけど、母の暴言が激しくなってきたのもこの頃からで、父の罵声が酷くなったのもこの頃からで。
その時、私がほんとうに生まれてきてはいけない人間だったということを、悟ってしまったのかもしれない。
それでも名前を与えられ、食事を与えられ、寝床もあったのだからと、道ばたで果てていく孤児を見ながら自分と比べ、安心しようとしていた。
だから、いつかきっと……と一生懸命、お手伝いをして暮らしていた。
そう、いつかきっと。
お前は良い子だと言ってくれると信じて。
大切な子だと言ってくれると信じて。
いつか一緒に笑ってくれると、信じて。
だけど、十二の頃にそれが幻想だったと知った。
とても残酷な人がやってきて、父を斬って捨てたあの日が、私の幻想を完全に打ち砕いたのだ。
綺麗な洋服にマントを翻す男が三人も現れて、私の小屋の中にサーベルを持って入ってきたのだ。
父が呆然と立ち尽くし、そのまま「おまえ……」と言うも束の間、そのサーベルが父の首を掻ききっていた。私は母の腕の中でそのすべてを瞳にただ映していた。
何が起きているのか、どうして父の首から血が吹き出したのか、この男の人達はなんなのか、そればかりを考えていた。
きっと、本当はただただ怖かっただけで、母の胸の中で泣きたかったのだと思う。
それでも、それができなかった。
母の恐れが異様に私に伝わってきていたから。
泣けば母も泣いてしまうと思ったから。
身体が宙に浮き、母から引き剥がされたと感じた時にはもう遅かった。
私は、泣くこともできずに、その男の声を頭のすぐ上で聞いていた。
「罪名は王家を混迷させる呪術を使ったことだ」
その男は、私を小脇に挟んで、もう聞こえるはずのない父に氷のような言葉を落とし続けた。
「父上が貴様に温情をかけたおかげで、我が家の評判はがた落ちだ。貴様が捨てたあの女の家を筆頭に有力貴族達がこぞって、私と貴様を並べ連ねて叔父を立てようとしやがる。いいか、私は、父上と違い、例え尊き血があろうが王家に役立たずは容赦しない。どんな奴でもだ。だが、せめてもの情けでこの娘は役に立ててやろうなぁ、兄上。あぁ、この娘もその女に似てちょうど良い。感謝しろ」
と。
兄上と父を呼ぶその男は、瞳の色が黄金色でまったく父には似ていなかった。
時が止まったかのように、じっと私を抱きしめていたはずの母が、私がその胸にいないことに気づいたのはその時だった。
「ロゼッタっ!」
いつものようなヒステリックな声だった。だけど、いつもと違って、その声は私にとって必要な声だった。それなのに、お母さん!……と叫ぼうとすると口を塞がれた。
私を攫う男の足にしがみついた母が、そのまま蹴り飛ばされたのはその時だった。
粗末な机に体当たりして転がった母と、脚が折れてしまった机。
それでも追い縋ろうとする母の姿に、私は手を伸ばそうとするが叶わずに、そのまま従者の持っていた麻袋の中に入れられて、おそらく馬車の荷台に放り込まれたのだろう。打ち付けた背中と腕がものすごく痛くて、やっと私の声が出た。それなのに、母の声は遠くなる一方だった。
――あぁ、……もう母の声で私の名前が呼ばれることはないんだ。私が「お母さん」とも呼べないんだ……。
そんな言葉を脳裏に過らせ、縛られた麻袋の口の隙間から、小さくなっていく母をただ見ていた。ただ嗚咽が続く。叫ぼうとすればするほど、喉が詰まり、景色が滲み、叫ぶことなどできなかったのだ。
だから、髪を乱した母が、私が見た最後の母だった。
そう、良い子の”いつか”は永遠になくなったのだと思った。
次に光を見たのは、どこか知らない石の部屋。
石の窓からは月明りが、重たそうな木の扉の端には蝋燭が灯っていた。
部屋の中には私の小屋より上等のベッドがあって、お姫さまのようなドレッサーとクローゼット。床には赤いじゅうたんが敷かれてあった。
だけど、小屋よりもずっと寒い場所だったのは確か。
それが石のせいなのか場所のせいなのか、それは分からない。
だけど、とても寒いと感じたのだ。
麻袋の中から半身を出した私の瞳に映ったものはそれだけで、周りを見渡す私の正面には、しゃがんだ兵隊さんがいた。
「俺はお前の監視を仰せつかっている。ここにあるものは全部好きに使って良いそうだ」
とても硬い声。
だけど、怒鳴り声ではない。
だから相手が誰なのかを知ろうと思った。ここがどこなのか知ろうとした。
お母さんが言っていたお姫様の”いつか”だけは叶ったのか、知りたかった。
「私はロゼッタ。兵隊さんはなんていうお名前なの? ねぇ――」
――ここはどこなの? どうしてこんなに寒いの? ここは、お姫様の住む場所?
それなのに、兵隊さんは急に怒って立ち上がり、
「お前、女で良かったな。それだけで王家の役に立つらしい」と私の質問には答えず、出て行ってしまった。
どうして怒ってしまったのか、幼い私にはよく分からなかった。
だけど、答えは分かっていた。
私が生まれてはいけない人間だったからだ。














