「砂糖菓子が広げる魔法」①
十四日が経った。
私はふわふわしたドレスを身に纏い、踵の低い靴でそのお帰りを待つことにした。
髪にはハウエル様から頂いた髪留めを。
口の中には、砂糖菓子を転がしながら。
ロジェと菓子壺は壊れてはいけないから、チェストの中に隠しておいた。
いつもと違ったのは、そのお帰りがとても騒がしかったことだ。
メイドの声がまず響いた。
「旦那さま、いかがなされたのでしょうか? 旦那さま……きゃあっ」
メイドがぶたれたのだろうか……。
私の心臓が大きく跳ね上がり、隠れろ、と鼓動を始める。
危ない、ほら、隠れなくちゃ。
かくれんぼしていたら、痛くないわ。
そんな風にずっと。
小さなロゼッタが私を守ろうとする。
だけど、私はもう小さなロゼッタではないのだ。
大きなロゼッタ。
そう、大きいけれど同じ“ロゼッタ“。
ミモザの夫人は、あの一瞬だけ、悲しいお顔はされていなかった。
「ロゼッタ」と呼ぶ声に、お母さん、と呼べた夜。
触れることなく消えてしまったけれど、あの瞬間、ミモザの夫人は微笑んでいらっしゃった。
だから、何もないミモザの元で、私は楽しいことをたくさん伝えたのだ。
聞こえているといいなと思いながら。
ロジェがいること、メイドがロジェにごはんを持ってきてくれること、ハウエル様からもらった髪留めのこと、菓子壺のこと。
ひとつ口に含んで、とても美味しいことも伝えて。
美味しいことは、ずっと続かないことも伝えて。
でも、まだたくさん残っていることも知っていて。
だから、私は部屋の真ん中で、ロドウェル卿を待っていたのだ。
口の中にある砂糖菓子は、やっぱり崩れてなくなってしまったけれど。
扉が乱暴に開かれる――そう思って、その扉へ視線をあげる。
「ロゼッタっ!」
その声と同じくらい勢いのまったく止まらないロドウェル卿に、私は鼓動を隠しながら、身を低くして「おかえりなさいませ」と伝える。
だけど、そのまま両肩を掴まれ、無理やりに体を起こされた。
「お前、……」
何が起きているのか全く分からなかった。どうして、こんなにご機嫌が悪いのか、どうして、こんなにも怒鳴られるのか。だから、尋ねた。
――妻として当たり前のことを。
「外で何かありましたのでしょうか?」
その化け物の顔を直視して、だけど、落ち着いて尋ねた。もちろん、鼓動は止まらない。この鼓動に気づかぬふりして、化け物を見続ける。それもお気に障ったらしい。
「何かだとっ!」
ロドウェル卿は、そのまま私を押し倒す勢いで私の肩を押し続けた。何度もバランスを崩しながら、靴も脱げそうになりながら、後ろへ後ろへと押し続けられ、とうとう窓辺へ押し付けられてしまった。
ロドウェル卿が、私の顎を引き上げ、声を低くし、胸の上にある赤い石を指で忙しなく擦り始める。
“ロゼッタ”が閉じ込められたと思った薔薇の形の赤い石だ。
「何をした……何をしたんだ?……あの男と結託して何をしたと聞いているんだ」
「……なにを、仰っているのかまったく……」
本当に分からなかった。
ロドウェル卿が不機嫌になって帰ってくることはあったが、私に対しての怒りではなかったのだもの。だけど、その怒りが向くことだけがあっただけで。
もしかして、このお衣装がお嫌で……。
でも、私はこの格好が好きなのだもの。
あのお衣装も踵の高い靴も嫌なのだもの。
「ほんとうに、何も……」
それを反抗と捉えたのか、ロドウェル卿が手を振りかざした。
「口答えするのかっ。この……っ」
ぶたれるのだわ……。
気に入らない衣装も引き千切られるかもしれない。
私はぎゅっと目を瞑り、その時を待つ。
……ロジェと菓子壺とは隠しておいて良かった……そんなことを思いながら。
だけど、その手は振るわれなかった。
その代わり、握られたままのロドウェル卿のその手が、怒りで震えて見えた。
「お前も同じだ。そうだ、同じで、儂を裏切るのだ。この恩知らずめ…………っ、あの青二才のセドリックが余計なことを申し出よった。お前が知らぬわけがなかろうっ!」
――知らないっ
私の言葉にはまったく耳を貸さなかったロドウェル卿は、唾を撒き散らしそう叫んだあと、力づくで抑えていた私の肩を、そのまま窓へ向かって突き飛ばした。
「いっ」
窓枠に背中が衝突し、思わず声が漏れた。だけど、そのままロドウェル卿は振り返ることなく去っていった。
扉が叩きつけられる、そんな破壊の音が、部屋中に響く。
ロドウェル卿の姿が見えなくなって、瞬時。私は崩れるようにして窓辺にへたり込んでしまった。
そして、頬に残るあの生臭い臭いに気づき、慌ててハンカチで拭き取った。
汚い……
そう思ったのだ。
そして体が震え始めた。
震える身体をただ掻き抱いていた。止まらないのだ。
怖い……だけど、今までの怖いとはまた違う。
怖くて沈むために震えているのではなくて、……。
そう……『私』でいられたことに対する震え。
だけど、それはやっぱり怖いとしか表現できなくて。
そんな風に震えていると、ノックの後にあのメイドの声が聞こえた。
「奥さま……入ってもよろしいでしょうか。その、大きな音がしたもので、お怪我は……」
とても静かな声だった。だけど、私を心配する声。
メイドだって怪我をしているかもしれないのに。
そう思うと、涙が零れ始めた。私は私のことばかり……。
「失礼します」
答えられずに扉を見つめていると、扉を開いたメイドが驚いたように私に近づいてきた。
やっぱり、少し頬が赤い気がする。
そんな彼女に手を伸ばすが、体はまったくついて来なくて、彼女の方が私の身の丈に合わせて、震える肩を両手で包んでくれた。
ロドウェル卿と同じ場所に手があるのに、とても温かな温度が伝わってくる。
「奥さま、立ち上がれますでしょうか?」
多分言葉としては私の耳に届いていた。だけど、その返事よりも先に、彼女の頬に手を当てていた。
「赤く……なって」
声と手が震えてしまう。
たくさん伝えたいことはあるのに、まったく言葉が出てこない。
「赤く……」
涙も止まらない。
「奥さま、私は大丈夫ですよ。このくらい、壁にぶつかったとでも思えば大したことありませんから。それよりも、奥さまが立てた音の方が気になります。背中を見せていただけませんか?」
痛いはずなのに、そのメイドはにっこりと笑った。














