「窓辺のロゼッタとミモザの夫人」⑤
ミモザの夫人に何を話そう……。
パンを少しとスープを飲んで、お腹が満たされると、そんな思考が巡ってきた。
考えても全く分からない。だから、鏡台の前に立つ。
紅花色の髪と緑の瞳が映る鏡には、確かに”ロゼッタ”がいる。
母に似ているとは言われてきたが、母に似ているのかどうか、私にはまったく分からない。私は、母よりも痩せっぽちで、父に似て社交的ではなかった。
それでも父よりはおしゃべりで。
それも、たぶん……。私の記憶には、父も母もあんまり残っていないのだ。思い出そうとしてもまったく浮かばない。
そもそも、私は綺麗なのだろうか。母は綺麗な人だったそうだけど。
ミモザの夫人はどんな方だったのだろう。
私と同じ紅花色の髪色で、母よりも少し濃い黒色の瞳。
どんなことを考えて、どんなふうに笑って、どんなふうに……絶望したのだろう。
だけど、ミモザの夫人はとてもお綺麗な方だから、身だしなみは整えておこうと思ったのだ。
鏡台の上には、琥珀でまとめられている蒲公英色のリボンに菓子壺に。ロジェの家と私に気づいたロジェ。大切なものがたくさん載せられている。
ミモザの夫人も私と同じようにここにきて、ここで住んでいて、そして、首を吊って亡くなった。
ロジェが見つからないままだったら、私もきっと同じようになっていた。
なぜかそう思えば、どうしてあんなに必死になって庭を歩いていたのかが、分かるような気がしたのだ。
――私は『私』を探していたのだ。
だからこそ、ひとりで行かなくちゃならない、そんな気持ちになることが不思議だった。
今までもひとりだったけれど、別のひとり。そんな感じがする。
櫛を手に取り、髪を梳き流し、整える。
髪留めには琥珀のものを。
ハウエル様が付いている気がするから。それだけで、少し元気が出たような。
「ロジェは少し待っていてね」
ロジェは「ぴ、ぴぴぴ」と鳴いて、立ち上がった私を見ただけ。
そろそろ眠たいのもあるのだろう。
菓子壺だけ持って立ち上がった。
扉を開くといつもの廊下。だけど、昼間に歩く時よりも、ずっと薄暗く、その灯りは温かい。
夜になると飾りだと思っていた蝋燭に火が灯っているんだ……。
そんな新しい発見をしながら、悪いことをしているわけでもないのに、足音を忍ばせて歩いてしまう。
ミモザの夫人とのお話は、結局何を話せばよいのか分からないままだった。だけど、ミモザの夫人はいつも悲しそうなお顔をされている。
だったら……
――砂糖菓子を差し上げればよいのだろうと思ったのだ。
そうっとそうっと。
踵の低い靴で歩いて行く。
時々来た道を振り返ると、ほんの少し安心するのは、どうしてだろう。
こんなにも外に出てきた、そう思っているのに、実はまだ扉が見えているのだ。
あの扉の中は、……。
私にとって、楽しい場所になった。
ずっとそうであればいいのに……。
もう一度前を向くと、遠くに現れたメイドが口を開けて私を見ていた。
「奥さま……こんな時間にどちらへ?」
行ってはいけないと戻されてしまうのかしら……。そんな不安を過らせながら、それでも素直にお話をした。だって、このメイドは、ロジェにごはんを持ってきてくれる人だもの。
「お庭へお散歩を」
その言葉の後、メイドは何か言いかけて、私の全身を眺めた。
「奥さま、その……お庭くらいなら何も言いませんが、……ですが、少しお待ちくださいませ。そのような格好で夜に出歩かれてはなりませんわ」
そのような格好とは……?
私はいつものようにふわふわのドレスを着ているし、手には菓子壺を持っているだけだし、踵も低い靴だから、転ぶこともないと思うし……。
しばらく待っていると、メイドが大切なものが入っている部屋から出てきた。
マントと巾着、それからランタンと。
「夜露はお身体に御悪うございます」
そう言って、私にマントを被せると、首元でしっかりリボンを結んだ。
「それから手にお持ちのものはこちらに入れて。夜は敷地内でも暗うございます。こちらもお持ちください」
なんだか、お人形になったよう。
だけど、嫌じゃない。
あ、嫌じゃないんだ。
嫌、じゃない。
「はい」
弾んだ声が、メイドの笑顔につながったことがわかった。
「あまり遅くなりませんように。奥さまの身の回りのことは任せると……」
そして、耳元で「――ハウエル様より仰せつかっておりますので」と囁いた。
なぜか、頬が温かく染まる気がした。だけど、巾着とランタンを持っているので、頬を触って確かめることは、できそうもない。
「……はい」
どこか、恥ずかしい。だから、声が小さくなってしまった。
微笑んだままのメイドに見送られながら、玄関へ向かう。
玄関扉を押し開けてくれたのは、下男のひとりで、一礼して私を見送ってくれていた。
お屋敷近くのポーチは明るかったけれど、少し外れてしまうだけで闇の中だった。
メイドの持たせたランタンが、私の足元を橙色に染めて、道を示してくれている。それが、なんだか不思議で楽しくて、私はその灯りの中にちょんちょんちょん足を踏み入れながら、歩いていた。なんだか楽しかった。
その光はすぐに逃げてしまうけれど、ずっとそばにあるの。
夜空は窓から見るよりもずっと大きく広がっていて、落ちてきそうなくらいに白く輝く小さな星は、まるであの砂糖菓子のようで、そのまま空を眺めていると、どうしてか星ではなく闇の部分に吸い込まれてしまいそうにすら思えた。
――とても大きい。
私の抱く感想は、本当に拙いものだった。だけど、大きいのだ。
今日も月が輝いている。
ほんの少し欠けている。
十四夜というものだとは、最近知った。
月の綺麗な日にミモザの夫人が現れることが多いとおしゃべりしていた時に、ハウエル様が月の数え方を教えてくださったのだ。
ミモザは今日も月明りを吸い込むように、ほんのり光って見えている。
きっといらっしゃるわ。
そして、お話をするの。
私はミモザにランタンを翳したあと、その麓に腰を下ろして、ランタンを脇においてミモザの夫人を待つことにした。
月明りのミモザは、綺麗だった。
いつかハウエル様にもお教えしなくてはならないわ。
私だけが知っている夜のミモザ。
それを伝えられる日。
来るのかしらではなくて、来て欲しい。
そう思って、菓子壺を眺める。
ミモザの夫人が現れたら、まずこの砂糖菓子をあげるの。
そして、私の“楽しい”を伝えるわ。
それから、どうしてあなたはいつも悲しそうなの?
と、尋ねるの。
柔らかな月の光が届く間、私はずっとそんなことを考えていた。
そうしていると、そんな月の光が僅かに暗くなった。月が雲間に入ってしまったのかもしれない……。
夜空を見上げようと、菓子壺から視線をあげようとしたとき、声をかけられた。
「ロゼッタ……」
と。
どこか、懐かしいような……そんな響きを持つ声に、私はミモザの夫人を見上げていた。
ミモザの夫人がいつものように悲しいお顔をしながら私を見つめている。
そう、いつものように……。
だけど、声が聞こえたことに驚いて、私は目をぱちくりさせてしまった。
あ、お話を……
そう思った時には、月がふたたび顔を見せ始めた頃で、そのお顔がよく見えた。
紅花色の髪色に、月明りに霞む黒い瞳。
白いお衣装に包まれたそのお姿は、まるで花嫁衣裳のようにも思え……。
「ロゼッタ……」
その声に何かが重なる。重なる先は遠い過去の記憶。
「お母さん……?」
立ち上がり、彼女の頬に手を伸ばすが、彼女を捕まえることはできなかった。
だけど、消える直前、彼女は確かに笑ってくれていた。
そう確かに……そう思った。














