第4話 イアソンとメディア(1)
「お召し替えを続けます」
侍女たちはマリー・アントワネットの狼狽を完全に無視し、重厚なフランス式のドレスを彼女に着せ始めた。コルセットが締め上げられ、あばら骨が圧迫される。オーストリアのそれよりもさらに窮屈で、まるで身動きを封じる拘束着のようだった。フランスの最高級シルクで作られた青とゴールドのドレス。異国の幼い王女からフランス王太子妃の姿に仕立て上げられていくマリー・アントワネットだったが、その心はボロボロだった。
(お母様……私、もうダメかもしれません……くすん……)
涙を必死にこらえる彼女の視線が、ふと大広間の壁に掛けられた巨大なタペストリーに向いた。それはフランス側がこのパヴィヨンを装飾するために用意した、極めて精巧で美しい織物だった。色鮮やかな糸で描かれているのは、古代ギリシャの衣装を纏った男と女、そしてどことなく不吉な運命を予感させる暗い背景。
『おい、小娘』
(小娘ってなによ!あなた、もうちょっと言葉を勉強した方がいいわ!)
『うるせぇなぁ。そんな事より、あのタペストリーの意味、知ってるか?』
(え……? いいえ、知りません……美しい絵柄ですが……)
マリーも気になってはいたのだ。美しい絵柄だが、背景の暗雲がどうしても気になってしまう。
『ありゃギリシャ神話の一節だ。「イアソンとメディア」。夫のイアソンに裏切られたメディアって女が、狂気に捕らわれて、夫の新しい妻を焼き殺し、さらには自分と夫の間に生まれた我が子まで自分の手で殺すって話だよ』
マリー・アントワネットはその言葉に息が一瞬止まった。
(……え? 自分の子供を……殺す……?)
『そうだ。我が子殺しの狂気の物語だ。ちょっとは考えろよ、小娘。オーストリアから嫁いでくるお前を迎え入れる部屋に、子供を殺す女の絵が飾られてんだぞ? 要するに“お前なんか最初から歓迎してねぇ”“オーストリアの女なんか呪われて死ね”っていう、フランス側からの痛烈な皮肉と嫌がらせだよ』
シャルルの言葉に、マリーは目を見開いてタペストリーを凝視した。
『へっ、王侯貴族なんざイバラの上で苦しんで死ねばいいんだ。お前も含めてな。お前は歓迎されて嫁ぐんじゃない。呪われた人質として、この国に投げ込まれたんだよ』
(そんな……そんなこと……っ!)
母国を離れ、たった一人で渡ってきた異国。そこで待っていたのは祝福ではなく、“異物”への蔑視と呪いだった。そして自分の中に棲みついた男すらも、王侯貴族を、自分を憎んでいる。世界中のすべてが自分の敵であるかのように思えた。ポロポロと、ついに大粒の涙が目からこぼれ落ちそうになる。マリーは必死に唇を噛み締め、肩を震わせて泣きじゃくるのを耐えた。14歳の少女のあまりにも痛々しく、健気な抵抗だった。
『……チッ』
その様子を、マリー・アントワネットの意識の深層から見ていたシャルルは胸の中で舌打ちをした。地球帝国の暴政によって親を奪われ、泣き叫んでいた子どもたちの姿が脳裏を過ぎる。身分制度も、政治の駆け引きも知らないただの子供が、大人の都合で踏みつけにされる構図。
『……癪に障るな』
シャルルは呟いた。自分が憎むのは腐敗した権力者や特権階級であり、目の前で泣きそうになっている14歳の子供ではない。
『おい小娘、泣くな。……特別に助け船を出してやる。これからオレが言う通りに、あの侍女どもに言え』
(え……?)
『いいから言え! 腹くくれ小娘! ナメられたまま死にたいのか!?』
(死ぬって……)
シャルルの怒号のような念が意識を揺らした。マリーはハッとし、俯いていた顔を上げた。ドレスの着付けが終わり、姿を整え終えた侍女たちが、満足そうに一歩引いた瞬間だった。
マリーは、シャルルに授けられた言葉を、震える声で口に出した。




