第25話 小さな命の灯火(2)
陣痛の合間、マリーはふと、夫人の首筋から胸元にかけて広がる、不自然なほど抜けるような白さに目を留めた。
『……おい』
脳裏で、シャルルの声が珍しく緊張を帯びた。
『あの女の肌の色、よく見ろ』
(白粉……でしょうか。貴婦人は皆、使っていますわ)
『ただの白粉じゃねぇ。あれは鉛だ。鉛白って化粧料だが、あれには毒がある。大人ならすぐ病気になるようなことは無いが……もし子供が幼いうちから、母親が鉛白を肌に塗って抱いていたらどうなる』
マリーは、ハッと息を呑んだ。過去に衰弱して亡くなった幼子たちのことが脳裏をよぎる。
(白粉のせいで、生まれた子供が死んでいたというの……?)
『さあな。だが、その可能性は十分にある』
マリーは出産が終わった後、夫人に伝えるべき事を頭の中で整理する。そして、その事を修道女にも伝えて今後に生かしてもらう必要もあるのだ。
◇
長い陣痛の末、元気な産声が上がったのは夜も更けた頃だった。
「――男の子でございます!」
修道女の声に、部屋の空気がふっと緩んだ。マリーは清められた布に包まれた赤子を見つめながら、静かに胸を撫で下ろした。
夫人も元気に泣く我が子を見て慈しみの涙を流している。マリーは夫人の手をそっと取り、静かに、けれど真剣な面持ちで告げた。
「……夫人。差し出がましいことを申し上げますけれど、どうかお聞きくださいませ」
「殿下……?」
「お化粧に使われる白粉――殊に、鉛白には極弱い毒があるのです。大人にはそれほど影響はありませんが、お子様が幼いうちはどうかお控えになって。肌に触れるだけでなく、抱き上げられるたびに、その毒が幼い御子の身体に移ってしまうのです」
夫人は驚いたように自らの手を見つめた。長年、貴婦人としての嗜みとして当たり前に用いてきた白粉。それが、我が子の命を脅かしていたかもしれないとは考えもしなかったのだろう。
「それから、授乳の前には、一度沸かして冷ました清らかな湯で乳首の周りを綺麗に拭うこと。……そして、これは特に大切なことですけれど」
マリーは一段と声を強めた。
「生まれたての赤子には、決して蜂蜜を与えないでくださいまし。どんなに泣いても、です」
「蜂蜜を……? ですが殿下、蜂蜜は昔から赤子の精をつけるために用いられておりますが……」
「いいえ。生まれたばかりの小さな身体には、時に蜂蜜に潜む『見えぬ毒』を退ける力がございません。力を得るどころか、全身の気が抜けて息絶えてしまう事例があるのです」
「……存じませんでした。まさか、そのような……」
「どうか、これらの注意点を必ずお守り下さいませ。この子を守るために」
◇
その後もマリーは密かに人を遣わし、赤子とその母の様子を気にかけ続けた。案じていた衰弱の兆しは見られず、赤子はすくすくと乳を飲み、日ごとに血色を良くしていった。
そして迎えた洗礼の日。教会の鐘が澄んだ音色を響かせる中、その赤子は健やかな泣き声を上げていた。
(……よかった)
その報告を聞いたマリーは、胸の奥にこれまでにない温かな感情が広がっていく。政治的な駆け引きでも宮廷での勝ち負けでもない。ただ純粋に、一つの小さな命が救われたのだという実感だった。
(モン・コマンダン。……あの子、無事に洗礼を迎えましたわ)
『……そうか』
短い返事だった。だが、そこにはいつもの皮肉も冷たさもなかった。
(ねぇ。……こうして一人ずつでも、救っていけるのでしょうか)
マリーの問いに、シャルルはしばし沈黙した。
『……さぁな。だが』
低く静かな声が続いた。
『少なくとも、今日一人は救えた。……それは確かなことだ』
教会の鐘の音が冬の空に響き渡る。その音を聞きながら、マリーは確かな手応えを胸に刻んでいた。




