第14話 孤独な王太子妃(2)
身支度が終わり、貴族たちがぞろぞろと退室していく。 一人残された自室の鏡の前で、マリーは崩れ落ちるように椅子に深く身体を預けた。絶望と途方に暮れた感情が、胸の奥から急速に広がっていく。
『――馬鹿だな、お前は』
頭の深層から、嘲るような冷ややかな声が脳内に直接響き渡った。 マリーはピクリと肩を揺らす。視界のどこにも姿はない。だが、頭蓋の裏側にへばりつくように、シャルルという存在の気配が冷たく漂っていた。
(……シャルル。あなたまで私を笑うの?)
『笑う気にもなれんさ。あまりにも知恵が足りなさすぎてな』
脳内で、シャルルが鼻で笑う気配がした。
『お前は「民のために」と言ったな。……その気持ち自体は結構なことだ。だが、やり方が致命的に素人なんだよ。この時代じゃな、宝石一つ、ドレスのレース一枚にまで明確な政治的意味がある。王冠ってのは頭に乗せるためだけの飾りじゃねぇ。周りに「俺たちは支配者だ」と信じ込ませるための政治道具なんだ』
(……では、威圧と誇示だけが『正しい王家』の姿だというの?)
『お前がやってるのは、ただの現実逃避だ。いいか、お前がドレスを簡素にしたところで、民との距離が縮まるわけじゃない。むしろ“オーストリアの女に威厳を汚された”と宮廷から見なされ、お前自身の立場(求心力)を失うだけだ。お前はこの巨大な宮廷と戦うつもりでいて、自分が手にするはずだった最大の武器――「王家の威厳」って道具を、自ら投げ捨てようとしてるんだよ』
(武器……?)
『そうだ。権力闘争を生き抜き、周囲を従わせるための武器だ。お前は優しさを実現する方法を知らねぇ。味方……いや協力者も作れないお前が丸腰になって、自分の“正しさ”だけ振りかざして何が変えられる?』
頭の中に直接語りかけてくるシャルルの言葉は、逃れることのできない刃となってマリーの精神を抉った。彼の言葉は非情だった。しかし同時に、反論の余地が無いほどに正しかった。自分は「正しい王家でありたい」と願いながら、この宮廷の仕組みを、政治という巨大なゲームのルールを理解していない“無知な少女”として突っ走っていただけなのだ。
(……じゃあ、どうしろというの)
マリーは声に出して呟いた。喉が固く震える。
(民を想う気持ちすら捨てて、ただの飾り人形として笑っていろと言うの? それが……あなたの望みなの?)
マリーの自問に対し、脳内のシャルルの気配が一瞬、苛立ちを孕んで沈黙した。 彼の意識の奥底には、己の青臭い自信だけを頼りに敵の中に飛び込み、戦い方も知らぬまま踏みにじられ、戦死していった「愚かな勇者」たちが再現されていた。
『……勝てるわけがねぇんだ。こんな巨大な化け物に、ルールも知らねぇ小娘の無防備な正義感なんかで』
吐き捨てるような念が、マリーの脳裏に伝わってくる。
『俺が言ってるのはな……勝てない戦い方をするなってことだ。自分の武器も、敵の正体も知らねぇまま、知った風な顔をして死に急ぐなと言ってるんだよ』
(死に急ぐ…な……)
『勘違いするな。俺はお前を助けたいわけじゃない。……ただ、無駄死にしていく奴を見るのは、ヘドが出るほど退屈だってだけだ』
そう吐き捨てると、頭の深層にいたシャルルの気配は潮が引くように静まり返り、完全な沈黙に入った。
静まり返った部屋の中で、マリーは自分の手を見つめた。爪が皮膚に食い込むほど強く握りしめられていた。脳裏に刻まれたシャルルの言葉は毒のようだったが、同時に、「勝つための術」を知らぬ己の未熟さを痛感させる忠告でもあった。




