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没落聖女の逆転再出発~一杯のお茶を施した少年が砂塵の王となって、二十年後、私を迎えにきました〜  作者: 風谷 華
第一章

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22 迷い

 エルザは今日も、お湯を沸かしながら考えていた。


 考えたくないのに、考えてしまう。手が動いている間、頭だけがどこかに行く。


 茶葉を量りながら。お湯の温度を確かめながら。カップを温めながら。


 アドルフの「また来ような」が、ふとした拍子に浮かぶ。


 カイルの「また来ましょうね」が、その後ろから来る。


 どちらも、消えない。


(仕事中に考えちゃダメよ、エルザ)


 心の中で、自分に言った。


「先輩、最近なんか変でっすよね?」


 ルーカスが横から言った。


「何が?」


「ぼーっとしてるっす!いつもはお湯を沸かしながら茶葉の状態も確認してるのに、今日はお湯だけ見てたっす」


「そんなことないわ……茶葉も見ていたわ、ちゃんと」


「見てなかったっす。三十秒くらいやかんだけ見てたっす」


 エルザはため息をついた。


「余計なことに気づかないでいいのに」


「先輩、それ余計なことじゃないっす、仕事っす」と言ってルーカスはニヤリと笑った。


「さては、恋煩いっすね〜」


「もう!大人をからかわないで!」


 赤くなりながら、エルザは黙って茶葉に向き直った。




 昼過ぎ、カイルが来た。


 いつもの奥の席に座って、いつものようにエルザを待った。


 エルザはいつも通り「黄金霞」を淹れて、いつも通り運んだ。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


 カイルはカップを受け取って、一口飲んだ。


「今日もおいしい」


「ありがとうございます」


 それだけだった。


 カイルは何も言わない。エルザに何も聞かない。あの日——アドルフが告白した日——も、翌日も、砂漠料理の店に行った後も、同じだった。いつも通りに来て、いつも通りに飲んで、いつも通りに帰る。


(聞こえていたのだろうか)


 エルザにはわからなかった。確かめることも、できなかった。


 カイルの横顔を、カウンターの内側からそっと見た。


 穏やかな目で、カップを持っている。その目が今、何を考えているのか——一途に二十年間エルザを追いかけてきてくれた男が、今この瞬間何を思っているのか——エルザにはわからなかった。


(この人のことが、わからない)


 不思議だと思った。あんなに近くにいるのに。あんなに話したのに。


 わからない、ということが——怖いのか、それとも——


「エルザ」


 カイルが言った。


「はい」


「今日のお茶、いつもより少し蒸らしが長いですね」


 エルザは自分のミスに気づいた。


「……そうですよね、すみません」


「いいえ」カイルは言った。「深みが出ておいしかったです」


 そう言って、また静かにカップに口をつけた。


 エルザは帳面を開いた。今日の記録を書こうとして、ペンが止まった。


 何を書けばいいのか、わからなかった。



 閉店後、一人でカウンターを拭きながら、エルザは考えた。


 幼馴染のアドルフのことを考えると——心が温かかった。あの通い道。あのお菓子屋の店主の顔。「毎朝待ってたんだから」という言葉。五歳の頃から、変わらず家族のように一緒にいてくれた。


 カイルのことを考えると——胸が、少しざわついた。香辛料の匂いが残っている気がした。エルザの知らなかった世界を、見せてくれた人。


(どちらも、大切な人)


 エルザはそう思った。どちらかが嫌な人だったら、楽だった。でも二人とも大切で、だから——


「先輩、帰りますよ」


 ルーカスが声をかけてきた。


「ええ、すぐ行きます」


 エルザは帳面を閉じた。今日の記録は、明日書こうと思った。




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