15 父からのお願い
ある日の夕方、父の療養所へ行くと父が手紙を持っていた。
「エルザ、これを見てくれないか」
封筒には、リヒテンハインの家紋があった。
「クラウス様からですか?一体、どうされたんですか?」
「ああ」父は言った。「実は明日、小さな会を開くそうだ。ゲルハルト卿も来るという。私の旧友だよ、もう十年以上会っていない。エルザが今日までに療養所に来なければ、不参加の返事をしようと思っていたんだが」
エルザは手紙を受け取った。
丁寧な文字で、こう書かれていた。
「小さな夕食会を開催いたします。ヴァイスベルク卿の旧交のある方々もいらっしゃいますので、お誘いいたしました。ヴァイスベルク卿が病に伏されていると伺っておりますので、エルザ嬢に顔を出してもらい、エルザ嬢から旧友の方々の様子を聞くだけでも、気持ちが晴れやかになるかもしれません。もちろん、エルザ嬢のお気持ちが向かなければ無理には申しません」
「ゲルハルト卿がいらっしゃるのですね……」
「元気にしているか確認したくてなあ。わしはもう出向けないからな」父は少し寂しそうに言った。「エルザ、一度だけでいい。顔を出してきてくれないか。ゲルハルト卿によろしくと伝えてほしい」
エルザは手紙に視線を落とし、それから、かつての威厳を失った父の横顔をじっと見つめた。
(カイルさんが、距離を置くようにと言っていたけど……)
しかし父の顔には、久しぶりに旧友の話が出た嬉しさが滲んでいた。病後、人との繋がりが薄れた父が、どれほど孤独を感じているか、エルザは知っていた。
エルザはカイルに相談しよう、と思った。しかし。
(まだ確信が持てないと言っていた。証拠もないのに、クラウス様のことを悪く言うのは……)
(それに、心配をかけたくない)
自分の中で、エルザはその考えをそっと押しのけた。
行って、様子がおかしければすぐ帰ればいい。ゲルハルト卿にご挨拶をして、早々に失礼すれば、それで済む話だ。
「……わかりました、お父様。行ってきます」
「すまないな」父は、力なく笑って言った。「本来なら私が直接会って、積もる話もすべきだったのだが……。結局、お前に無理をさせてしまって」
「気にしないでください、お父様。ゲルハルト卿のことは、お父様から何度も伺っていましたもの。かつて肩を並べて戦った、一番信頼できる友人だって」
エルザは父の膝に掛けられた毛布を丁寧に整え、その皺の寄った手を優しく握った。
「お父様の分まで、しっかりお顔を見てお話ししてきますね。きっと、昔語りに花が咲いてしまいますよ」
「……ああ、そうだな。あいつは意外と寂しがり屋だから、よろしく伝えてくれ。私も、本当は会いたかったんだ」
「ええ、必ず」
エルザは微笑んだ。
しかしその夜、床に就いてから、カイルの言葉が何度も頭を横切った。
『あの男と、距離を置いてくれませんか?』
『まだ確信が持てていない。でも、調べています。確信が持てたら、話します』
枕元のランプを消しても、闇の中にカイルの真剣な眼差しが焼き付いて離れない。寝返りを打つたびに、シーツのこすれる音だけが室内に虚しく響いた。窓の外で風が枝を揺らす音さえも、誰かの囁き声のように聞こえてくる。
エルザは眠れないまま、白みゆく空をじっと見つめて夜明けを待った。
次の日の朝、悩んだエルザは幼馴染で騎士団長のアドルフに手紙を書いた。
走り書きに近い筆跡で、今の不安をすべて紙に託した。
彼ならきっと、この霧を晴らすような答えをくれるはずだと信じて。
しかし、柱時計の針が夕食会の刻限を刻み始めても、呼び鈴が鳴ることはなかった。
窓辺に立って通りを何度も確認したが、アドルフからの使いの姿は見当たらない。
結局夕食会までに、アドルフから返事は来なかった。




