14 心配事(カイル視点)
カイルがクラウス・リヒテンハインという名を初めて聞いたのは、エルザがバリスタになって半年ほどたった頃だった。
アドルフから、さりげなく、
「エルザの元婚約者のリヒテンハイン公爵が、最近また何か悪さをしようとしているらしい」と教えられた。
それだけで充分だった。
カイルは、エルザの静寂を脅かすその不穏な芽を、根こそぎ抜き取るための算段を始めた。
その日のうちに、カイルは老秘書セドリックを呼んだ。
「リヒテンハイン家について、わかる限り調べてくれ」
「承知いたしました。お調べいたします。」
「なるべく早く頼む」
「はい。セドリックにお任せください」
セドリックは一週間後、報告書を持ってきた。
「リヒテンハイン家の財政状況ですが——」彼は少し声を落とした。「思っていたより、深刻ですぞ。表向きの資産は残っているのですが、実態は大半が担保に入っているようです。それと」
「それと?」
「東方の聖典教団という組織との接触が、三ヶ月ほど前から確認されています。私の部下たちに探らせているのですが、詳細はまだ掴めていません。しかし、この教団は」
「続けろ」
「帝国の元魔力保有者を、何らかの形で確保しようとしているという情報がありますね。儀式に使うと言われていますが、確証はまだ——」
カイルはしばらく黙った。
「エルザに万が一でも、接触させないようにしないとな」
「……おっしゃる通りで。エルザ嬢に何かあってからでは、遅いですからね」
「引き続き調べてくれ。特に、教団との接触の内容。それと——」カイルは少し間を置いた。「エルザの動きを、さりげなく把握しておいてくれ。本人には気づかれないように」
「監視、ですな。愛が少々重いようで。フォッフォッフォッ」
「護衛だ」カイルははっきり言った。「護衛を、気づかれないようにやってくれ」
「しかとお聞き届けいたしました。……お任せあれ」
クラウスとカイルが帝國カフェーで実際に会ったのは、クラウスが初めてカフェーに来てから三週間後のことだった。
カイルはその日、いつものように奥の席に座ってエルザの淹れたお茶を飲んでいた。
扉が開いた。カランコロン。
蜂蜜色の髪の男が入ってきた。
カイルは顔を上げた。
報告書の中の顔と、一致した。
(来たか)
内心でそう思いながら、表面上は何も変えなかった。お茶のカップを口に運んだ。
クラウスは店内を見渡して、カイルと目が合った。一瞬、わずかに表情が動いた。
それから、社交的な笑みを作って近づいてきた。
「砂漠の商人殿、ですね?」クラウスは言った。「ドゥラン商会の。帝都では名前をよく聞きます」
「リヒテンハイン公爵ですね」カイルは静かに返した。「私もお名前は存じています」
空気が、わずかに変わった。
クラウスの目が、少し細くなった。
「……お知り合いでしたか?バリスタのエルザと」
「ええ」カイルは答えた。「存じています」
「それは奇遇な」クラウスは笑った。「私もエルザとは旧知でして。昔、少し縁があったので」
「存じています」
カイルは同じ言葉を繰り返した。同じ温度で。
クラウスの笑みが、少し固くなった。
そこへエルザが来た。
「クラウス様、いつものお席へどうぞ。……あ、カイルさん、もう一杯いかがですか?」
エルザの声が、わずかに緊張していた。この二人の醸し出す、硬い空気を感じたのだろう。
「いただきます」カイルは言った。
クラウスは隣のテーブルに座った。
エルザが二人分のお茶を運んだ。その間、カイルもクラウスも何も言わなかった。
ルーカスがカウンターの奥で、何か言いたそうにしながら縮んでいた。
クラウスが帰り際、エルザに小声で何かを言うのが見えた。エルザが頷く。
カランコロン、と扉が鳴った。
カイルはその背中を見送った。
しばらくして、エルザが戻ってきた。
「……ご迷惑をおかけしました」
「いいえ」カイルは言った。それから、少し間を置いた。「エルザ」
「はい」
「あの男と、距離を置いてくれませんか?」
エルザは少し目を見張った。
「なぜですか?」
「理由を、今すぐ全部話せないのが申し訳ないのですが」カイルは正直に言った。「まだ確信が持てていないんです。でも、あの男のことを調べています。確信が持てたら、エルザに話します」
エルザはしばらくカイルを見ていた。
「……調べている、というのは?」
「エルザに関わることかもしれないから、動いています。それだけ言わせてください」
沈黙があった。
「わかりました」エルザは静かに言った。「気をつけます」
カイルはそれ以上、何も言わなかった。
(早く確証を掴め。頼む、セドリック)
お茶を一口飲んだ。今日は、少し苦く感じた。




