表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
没落聖女の逆転再出発~一杯のお茶を施した少年が砂塵の王となって、二十年後、私を迎えにきました〜  作者: 風谷 華
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/29

13 クラウスという男

 クラウス・リヒテンハインが帝國カフェーに初めて現れたのは、エルザがバリスタになって四ヶ月目のことだった。


 その日、エルザは午後のシフトに入っていた。客足が落ち着いた三時頃、扉が開く音がした。


 カランコロン。


 顔を上げた瞬間、エルザの手が止まった。


 蜂蜜色の髪に、整った顔立ち。帝国でも指折りの公爵家嫡男としてふさわしい、隙のない上着と物腰。かつて聖女だった頃のエルザが「申し分ない」と思っていた顔だ。


 クラウス・リヒテンハイン。婚約を、手紙一本で解消した男だった。


「やあ、エルザ。久しぶりだね」彼は社交界で磨き抜かれた、隙のない微笑みを浮かべた。


「クラウス様?」

 エルザの戸惑う声に、彼はわずかに目を細める。


「ああ、その顔は知らなかったようだね。去年、正式に公爵位を継承したんだ。リヒテンハイン公爵と呼ぶばれることが多いけど、クラウス様でも君なら許そう。なんなら様もなくていいんだよ」

 

 エルザは内側で、何かが静かに固まるのを感じた。

 ――もう二度と、会いたくなかったのに。


「いらっしゃいませ」冷静を装って、エルザは言った。「何になさいますか?」


 クラウスは少し目を見開いた。その反応を予想していなかったのだろう。


「……仕事中か」


「ええ、そうです」


「少し、話せないか」


「お客様のご要望は、お茶の注文のみお受けしております」


 クラウスは苦笑した。


「相変わらず君は手強いな。では銀露をお願いしようか」


「銀露ですね。承りました」



 クラウスはそれから、週に一度来るようになった。


 最初の数週間は、エルザも距離を保ちながら様子を見ていた。しかし回を重ねるうちに、クラウスはエルザに近づいてきた。


 来るたびに、エルザに謝った。


 ただ謝るだけではなかった。毎回、少しずつ内容が違った。まるで、ずっと溜め込んでいたものを、少しずつ吐き出しているかのようだった。


「あの朝、手紙を書いたとき」とある日クラウスは言った。「私は自分が許せなかった」


 エルザはカウンターの内側で、インク壺の蓋を開け、ペン先にインクを浸していた。視線は手元の帳面に落としたまま、次に書き込むべき一行をじっと見つめている。


「……今さら、そういう話は」


「聞いてくれないか。頼む」


 エルザは少し間を置いた。

 帳面を片付け、水をグラスに注ぎ、クラウスの前に置いた。


「これを飲んだら、お帰りください」


「わかった」クラウスは両手でカップを包んだ。「あのとき、私は怖かったんだ。帝国が沈んでいくのが、リヒテンハイン家が沈んでいくのが。お前の魔力が目当てだったのは事実だ。でも、それだけじゃなかった」


「クラウス様」


「お前のことが、嫌いじゃなかった。むしろ——」彼は言葉を切った。「私にはお前が、眩しすぎた。傍にいる資格があるのかどうか、ずっと自信がなかった。だから、お前から逃げてしまったんだ。卑怯だとわかっていて、逃げた」


 エルザは返事をしなかった。


 代わりに、新しいお客が入ってきた。カランコロン、と鈴が鳴る。


「失礼します」とエルザは言って、クラウスから離れた。


 クラウスはその後すぐ、静かに出て行った。



 別の日。


「初めて君に会った時、なんて綺麗な子なんだ、と恋をしたんだ」とクラウスは言った。「婚約が嬉しくて、三日も寝れなかった」


「……」


「お前の魔力が枯れたと聞いたとき、私は——」


「クラウス様」エルザは静かに遮った。「私はこれまで、あなたのことを忘れて生きてきました。過去のことを蒸し返されるより、今日のバリスタとしての仕事に集中させていただけますか?」


「……すまない」


 クラウスはうつむいた。その横顔は、エルザが知っている「完璧な貴族の男」ではなかった。何かに、ひどく疲れた顔だった。


(この人は、本当に後悔しているのだろうか?)


 エルザにはわからなかった。ただ、その疑問が頭に引っかかり始めていた。



 ルーカスが、ある日こっそり言った。


「先輩、あの人、また来たっすね」


「知ってるわ」


「オーナーとは全然違う目をしている気がするっす。オーナーは先輩のことだけを見てるっすけど、あの人は……なんか、先輩を見ながら別のことを考えてる目をしているような」


 エルザはルーカスを見た。


「ルーカス、意外と鋭いのね」


「え、そうっすか!?でも何か引っかかってるんっす」


「……私も、あの男は信用できないわね」


 背後から響いた低い声に、二人は肩を跳ねさせた。いつの間にか店長のリリーが、カウンターの影で銀のトレイを磨きながら立っていた。鋭い眼光は、客席の奥で(うつむ)く男の背中に向けられている。


「ああいう、過去に足首を掴まれているような男の言葉は、安易に信じちゃダメよ。本人がどれほど誠実なつもりでも、その背後にある『事情』まで誠実だとは限らないんだから」


 リリーは一瞬だけエルザに視線を戻すと、顎でフロアを指した。


「さあ、二人とも、仕事!仕事!」


「はいっ!」

「はいっ!」


ルーカスが慌てて飛び出していく。

リリーもまた、磨き終えたトレイを棚に戻すと、音もなく奥の事務室へと消えていった。


エルザは手を動かしながら、その言葉を小さく反芻した。


別のことを考えている目。


自分も感じていた。ただ、確信が持てなかった。


クラウスの謝罪は、本物のように見えた。あの疲れた横顔は、演技とは思えなかった。


しかし——。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ