三
篠原建設の社長室は、事務所棟の二階の奥にあった。弁護士の戸川に連れられて入ると、篠原達郎は机の向こうから立ち上がり、回り込んできて、遠山の前で深く頭を下げた。ゴルフ焼けした首筋が見えた。
「息子が、世話になった」
六十二歳。一代で県北の土木を半分押さえた男だと、代行の待合で誰かが言っていた。
話は戸川がした。遠山の弁護は戸川がつく。費用は篠原が持つ。被害者側との示談も戸川が進める。保険で足りない分は篠原が出す。遠山には二千万。三百万を今日、残りは判決が確定してから。航とは今後一切連絡を取らない。
「二千万の根拠は」
遠山が訊くと、戸川が篠原を見た。篠原はソファの背にもたれた。
「航が酒気帯びで人を死なせたら、何年になると思う。危険運転がつけば十年だ。あいつは刑務所で十年もたない。壊れて出てくる」
篠原は遠山の目を見て言った。
「その十年に値段をつけたわけじゃない。俺が払える額で、あんたが黙っていられる額だ。宮下さんのところにも、保険とは別に見舞いを出す。誰も得はしない。だが、これ以上は誰も損をしない」
これ以上は、と遠山は思った。宮下悠斗はもう、これ以上損をしようがなかった。
戸川が茶封筒をテーブルに置いた。遠山はそれを鞄に入れた。思ったより厚みがなかった。
その足で、元妻の紀子のアパートへ行った。娘の莉子の看護学校の後期の学費が、六十八万、先月から滞っていた。紀子からは三度催促が来ていて、三度とも遠山は「来月」と返していた。
ドアを開けたのは莉子だった。二十歳になっていた。部屋着の上にカーディガンを羽織って、ドアチェーンをかけたまま遠山を見た。
ニュースを見たのだとわかった。
「学費」と遠山は言って、封筒をチェーンの隙間から差し出した。
莉子はすぐには受け取らなかった。
「相手の人、いくつだったの」
「二十一」
「私の一個上だ」
莉子は封筒を受け取った。中を見なかった。
「お母さんに渡しとく」
ドアが閉まった。チェーンを外す音はしなかった。




