【最終話】「幸せすぎて、死ぬかもしれない」
朝。
目を開けると、隣には、ノクスがいた。
僕がそっと起き上がっても、目を覚まさない。
どこか安心したような顔で、静かに眠っている。
――今まで言えなかった分、これからは、ちゃんと気持ちを伝えたい。
そんな決意とともに、僕は立ち上がって、辺りを見回した。
ギルドの医務室からそのまま連れて来られたから、何も持ってきていない。
着替えをどうしようかと迷っていると――部屋に掛けられていた、白いシャツが目に入った。
僕にはだいぶ大きなシャツを羽織ったところで、ノクスが目を覚ます。
「……ルシア?」
僕を呼ぶ声。
振り返って寝台に近づく。
「おはようございます」
「おはよ……」
こちらに視線を向けたノクスは――
白シャツ一枚の僕を見て、固まった。
「……それ」
「あ、すみません。着替えがなかったので借りてしまいました」
「……」
反応がない。
僕は、首を傾げた。
「……駄目だったでしょうか?」
「……ああ、そっか。ごめん、気付かなくて」
そこで、初めてノクスが理解したように呟く。
「この部屋の服、好きに使っていいよ」
「ありがとうございます」
「それと」
――ちゃんと、気持ちを伝えなきゃ。
「ノクスのものになれて嬉しいです」
「……」
「今日も好きです」
「……」
「愛してます」
「……」
「寝顔も、素敵でした」
「……」
ノクスは――また、動かなくなった。
「……ノクス?」
しばらくして。
「……えっと、ごめん」
「僕、まだ夢見てるみたい」
やけに平坦な声で、ノクスが呟く。
「?僕には、起きてるように見えますけど」
「……そっか。僕、起きてるんだ」
「はい」
……寝ぼけているのかな?
気を取り直したかのように、ノクスが起き上がる。
「朝ご飯、どこに食べに行こうか?」
着替えながら当然のようにそう聞かれて、僕は目を丸くした。
「食材を使ってもよければ、僕が作りますよ?」
「作る?」
ノクスは、驚いたようだった。
「食材……」
そして、少しだけ困ったように首を傾げる。
一階の台所へ向かうと――
食材らしいものは、何もなかった。
保存のききにくい肉や魚はともかく、卵に、野菜、果物すらない。
戸棚を開けても、わずかな食器と調味料だけ。
あるのは、干し肉やチーズなどの保存食、そして茶葉とお酒くらいだった。
「……何もないですね」
ノクスが気まずそうに戸棚から視線を逸らす。
「……いつも、どこかで食べてたから」
その言葉通り、広い台所はぴかぴかで、使われている形跡はなかった。
大きな石造りのかまどや、パンを焼くための窯まであるのに、鍋や食器は最低限しかない。
「じゃあ、朝ご飯を食べに行ったあと、一緒に買い物をしませんか?」
「買い物?」
僕からそう誘われたことが意外だったのか、ノクスが目を丸くする。
僕は、前に料理を作った時、ノクスがとても喜んでくれたことを思い出していた。
「はい。市場で材料を買って、お昼はノクスの好きなものを作ります」
「……」
ノクスは、僕をじっと見つめた。
何か言いたいことがあるのに、言葉にできないみたいに。
「どうかしましたか?」
「……ううん」
ノクスが優しく微笑む。
「行こうか」
僕の手に、そっと指が絡む。
僕も笑って、その手を握り返した。
「ノクスは、何が好きですか?」
一緒に市場を眺めながら、僕はそう尋ねる。
ノクスは普段こういう所で買い物をしないのか、野菜や果物が並ぶ店を、物珍しそうに眺めていた。
「君が作ってくれるなら、何でもいいよ」
ノクスは、笑ってそう答えてくれたけれど。
「だめです」
「……え?」
「ちゃんと、ノクスの好きなものを作りたいので」
「……」
ノクスはまた、僕を見る。
そうして、少し考えるように視線を逸らした後。
ぼそりと、呟いた。
「……シチュー」
そうか。
ノクスは、シチューが好きだったんだ。
僕は、それを聞けただけで嬉しくなる。
「そうなんですね。お肉は、なんの肉がいいですか?」
「……鶏肉かな」
「わかりました。じゃあ、今日のお昼は、鶏肉のシチューにしますね」
新鮮なじゃがいもや玉ねぎを選び始めた僕を、ノクスは眺めて――
「……うん」
「楽しみにしてる」
どこか困ったように、静かに微笑んだ。
鶏肉はもちろん、牛乳や小麦粉なども無事に買って、またノクスの家に戻る。
先にかまどに火をおこそうとして、僕は目を見張った。
台所のかまどは、鍋を置くと、炎の魔術が発動して火がつく構造になっていた。
裕福な商人や、貴族の屋敷くらいにしかないものだと、聞いていたのに。
「すごいですね」
「そう?君の役に立ちそうなら良かった」
ノクスは特に自慢するでもなく、ただ微笑む。
おかげで、普通よりもだいぶ早く、シチューができそうだ。
ノクスはソファに座りながら、台所で料理をする僕の姿を、ずっと眺めていた。
まるで、この家で僕が料理をしていること自体が、不思議そうに。
「お待たせしました」
出来上がったシチューをよそい、買ってきたパンと一緒に、食卓に並べる。
ノクスは戸棚から飲み物を取り出し、グラスに注いでくれた。
向かい合って食卓に座り、一緒にお昼を食べる。
「どうですか?」
「……おいしい」
「よかったです」
嬉しくなって笑うと、ノクスがぽつりと呟いた。
「……何だか、変な感じ」
「何がですか?」
「この家で、誰かにこんなふうに料理を作ってもらったこと、なかったから」
「そうなんですか?」
……ノクスなら、今までに作ってくれそうな人は、たくさんいたと思うけど。
けれど、僕は何も言わなかった。
ノクスが僕の作ったシチューを、噛み締めるように食べてくれていたから。
ゆっくりと二人での食事を味わい、片付けまで終えると、空が橙色に染まり始めていた。
「僕、そろそろ帰らないと」
玄関のほうに身体を向けると、ノクスが僕を後ろから抱き締める。
「……駄目」
「でも」
「……休んでいいって、言ってたでしょ」
確かに。
《教授》先輩は、「数日休んで構わないぞ」と言っていた。
「帰らないで」
「……もっと、一緒にいたい」
ノクスの腕の力が、強くなる。
僕は少し考えた後、ノクスの手に、指を重ねた。
「……はい」
「僕も、一緒にいたいです」
向かい合う。
唇が、重なった。
そのまま、ノクスが僕をソファの上に押し倒す。
――幸せな時間が、過ぎていった。
そして、翌朝。
「……おはよう」
今日は、ノクスが先に起きていた。
青い瞳が優しく細められ、僕の顔を覗き込んでいる。
「おはようございます」
僕は、その顔を見上げて、また口を開いた。
「ノクスは毎日、かっこいいですね」
「……」
「今日も好きです」
「……」
「愛してます」
「……」
僕は起き上がり、ノクスに思い切り抱きついた。
安心する匂い。
胸に、今まで知らなかった温かなものが、じんわりと広がっていく。
「これからは、毎日言いますね」
宣言すると、ノクスがなぜか呆然としたように呟いた。
「……毎日?」
「はい」
「ノクスが、一番大切だって」
何もわからなかった、あの時とは違う。
「ちゃんと、伝えたいです」
「……」
ノクスの呼吸が、一瞬だけ止まる。
「……僕、死ぬかもしれない」
「えっ!?」
いきなりそう言われ、驚いて顔を上げる。
すると。
ノクスの顔は――真っ赤だった。
「……幸せすぎて」
「死ぬかもしれない」
僕は、初めて見るその表情に、ぽかんと口を開ける。
出会ったばかりの頃も。
「恋人の練習」の頃も。
いつも、ノクスは余裕たっぷりに、笑っていたのに。
「……ええと」
「愛してますって、言わないほうがいいですか?」
「嫌だ。言って」
即答だった。
僕は考え込む。
「……では、どうしたらいいでしょうか」
「……僕も知りたい」
ノクスは、赤い顔のまま、困ったように額を押さえる。
「え?」
「……僕、初めてだから」
「何がですか?」
「ちゃんと、誰かと恋人になるの」
「……そうなんですか?」
信じられなかった。
出会ったばかりの頃、ノクスは「恋人について知りたいなら、僕が教えてあげる」と言っていたのに。
きっと、沢山の人と付き合ってきたんだろうなと、当たり前のように思っていた。
そんな僕の考えを悟ったかのように、ノクスは苦笑する。
「……嘘の関係なら、たくさんあったけど」
「……ノクス」
自嘲するようなその微笑みに、なぜか僕の胸まで痛くなる。
――ノクスには、悲しい顔をしてほしくない。
初めて、そんなことを思った。
「じゃあ、一緒に、本当の関係を作りたいです」
「え?」
「僕、ノクスに、幸せでいてほしいです」
「……っ」
ノクスが、僕を強く抱き返す。
「……うん」
「僕も」
「君に、幸せでいてほしい」
「……はい」
僕は、ノクスの胸に顔を埋めた。
「……愛してるよ」
「僕も、愛してます」
ノクスが笑う。
その笑顔を見ているだけで。
僕は、幸せだった。




