第63話 北条義時は、二階堂家で飯の人数を聞かれる
建保七年(1219年)、正月。鎌倉の二階堂家。
門の前で、あやは履物を数えていた。
昨年、北条時景に嫁いだあやは、今日は夫とともに母の家を訪ねていた。
時景は先ほどまで、ちよに京から届いた荷の話をしていた。そこへ義時が来ると聞き、門の方へ様子を見に行った。
あやもついてきたのだが、門の外には思っていたより多くの人がいた。
一つ、二つ、三つ。
途中でやめた。
履物を数えても、これから何人来るのかは分からない。
顔を上げると、北条義時がこちらを見ていた。
「何をしている」
「おじさんと一緒に来た方が、何人いるのかと思って」
「それを聞くために、足元を見ていたのか」
「先に聞けばよかった」
義時の後ろで、供の者が顔を伏せた。
笑いをこらえたようだった。
あやは、その人にも尋ねた。
「皆様も、飯を召し上がりますか」
今度は、笑う気配が消えた。
供の者は義時を見た。
義時はあやを見た。
「まだ、来たばかりだぞ」
「だから、今聞いているの。帰るときに言われても、間に合わないでしょう」
義時は、しばらく黙っていた。
それから供の者へ向き直った。
「聞かれたことに答えてよい」
「はい。ありがとうございます」
あやが先に礼を言った。
義時が眉を上げる。
「お前が答えるのか」
「だって、私が聞いたんだもの」
その隣で、時景が小さく笑った。
「義時様。あやは朝から、皆様のお食事のことを気にしておりました」
「お前も止めなかったのか」
「人数が分かれば、支度もしやすいと思いまして」
「夫婦そろって、飯の心配か」
「それだけではありませんよ」
時景が穏やかに答えた。
「先ほど、荷を運んできた者たちにも同じことを聞いていました」
義時はあやを見た。
「誰にでも聞くのか」
「食べる人にはね」
時景はとうとう声を立てて笑った。
*
北条義時は、将軍を支え、幕府の政務を動かす執権だった。
訴えを持ち込む者も、御所へ出入りする者も、その言葉を重く受け止める。
だが、二階堂家へ来ると、まず飯の人数を聞かれる。
それも、昔からのことだった。
ちよが出迎えた。
「ようこそ。使いの方がいらっしゃると伺っておりました」
「近くまで来たので、私が寄った」
「そうでしたか。あや、皆様をお待たせしないで」
「飯は、人数が分かったよ」
「それは、ありがとう」
義時が小さく息を吐いた。
「来た用件より先に、そこだけ決まったな」
「おじさんは、何のお話で来たの?」
「宗直と行嗣に聞きたいことがある」
あやは奥へ向かって声をかけた。
「太郎兄、三郎兄。おじさんがお話だって。飯の前に」
時景が隣から言った。
「光成殿にも、お声をかけておこうか」
「ええ、次郎兄は庭にいます」
「では、僕が呼んでくる」
「お願い、小太郎様」
義時は二人を見送った。
「よく働く夫婦になったな」
ちよが微笑んだ。
「昔から、あやは人を動かすのが上手でしたから」
「時景まで動かしている」
「時景殿も、楽しそうでございます」
「それならよい」
義時は、少し笑った。
*
宗直と行嗣は、義時の前に座った。
光成も、庭から戻ってきた。
時景は義時の供の者たちに必要なことを伝えると、奥の席を辞して、ちよの手伝いをしているあやのところへ向かった。
義時は懐から折った紙を取り出した。
「この土地の件だ。広元殿から、行嗣が書付を調べていると聞いた」
「はい」
行嗣は紙を受け取った。
境界をめぐって、二つの家から訴えが出ている。
それぞれが持つ古い書付を比べても、土地の呼び名や、目印の記し方が少しずつ違っていた。
「現地を知る者の話は?」
「まだ、両方からそろっては聞けておりません」
「いつ聞ける」
行嗣は、少し考えた。
「一方は鎌倉におります。もう一方は、呼び寄せる必要があります」
「待っている間に、争いが大きくなることもある」
義時の声は低かった。
門であやと話していたときとは違う。
宗直が身を乗り出した。
「人を出して、様子を確かめさせましょうか」
「誰を出す」
「私が――」
ふみが、開けてあった戸の向こうを通った。
宗直は、その姿を見た。
言葉が止まった。
義時も見ていた。
「今、何を考え直した」
宗直は背筋を伸ばした。
「私が出るのが一番早いかどうかを」
光成が口元を押さえた。
義時は笑わなかった。
「それで?」
「現地を知る者を、先に選ぶべきだと思います」
義時はうなずいた。
「お前が出たあと、ここで誰が用件を受けるのかも考えろ」
「はい」
行嗣は紙を広げ直した。
「ただ、土地を見て戻るだけでは、同じことになるかもしれません」
「どういうことだ」
「境とされる木が、今もあるとは限りません。川の流れが変わっていることもあります。昔からそこにいる者に、何を尋ねるか決めておく必要があります」
光成が、紙へ目を向けた。
「川が境なら、古い流れも見たいな」
「それも、聞いておくことに加えます」
行嗣は答えた。
義時は二人を見た。
「では、誰が、いつ行くか。戻る日も決めて、広元殿へ伝えよ」
「承知しました」
「確かめると言ったまま、誰も出ぬのでは困る」
行嗣はうなずいた。
早く答えを出すことと、確かな答えを出すこと。
その両方を求められていた。
*
義時が紙を畳もうとしたとき、光成が言った。
「父上とも、そういう話をなさっていましたね」
義時の手が止まった。
「そういう話?」
「いつまで確かめるのか、という話です」
宗直が弟を見た。
「お前は、そこを覚えているのか」
「声が大きくなると、よく聞こえたからな」
「別に、怒鳴り合っていたわけではない」
義時が言った。
光成はうなずいた。
「はい。でも、父上も引きませんでした」
「引かなかったな」
義時の口元が、少し緩んだ。
ちよが部屋へ入ってきた。
「直成は、お話が長うございましたから」
「長かった」
義時はすぐに答えた。
「一つ尋ねると、三つに分けて返してくる」
行嗣は、膝の上に置いた自分の紙を見た。
三つに分けて書いてあった。
光成がそれに気づいた。
何も言わず、行嗣の膝を軽くつついた。
「だが、急いで決めてよいことと、待たねばならぬことを、よく考えていた」
義時は続けた。
「私が、もう十分だと言うと、まだ話していない者がいると返してきた」
「父上らしいですね」
宗直が言った。
「あの人が今いたら、何と言うかと思うことはある」
義時は畳んだ紙を指で押さえた。
「だが、返事は聞けぬ。待つと決めるのも、待たぬと決めるのも、今いる者の仕事だ」
部屋が静かになった。
光成が尋ねた。
「急いだために、聞けなかった者がいたら?」
義時は、すぐには答えなかった。
行嗣は兄を見た。
兄の顔は、庭や水路を見るときと同じだった。分からないところを、そのまま通り過ぎたくない顔だった。
「その者には、急いだ理由だけでは足りぬだろうな」
義時は言った。
「だから、聞かなくてもよいということにはせぬ。お前たちも、聞き落としたことがあれば持ってこい」
「はい」
「ただし、私が必ずお前たちの望む答えを出すとは限らぬ」
光成は少し考えてから、うなずいた。
「父上も、それで話をやめる人ではありませんでした」
「知っている」
義時は、今度こそ笑った。
*
「お話は、まだ続きますか」
戸口から、あやが尋ねた。
義時が顔を上げる。
「どうした」
「飯ができたの。続くなら、皆様の分を先に運ぶけれど」
義時は宗直を見た。
宗直は行嗣を見た。
行嗣は紙を見た。
あやが言った。
「紙は、あとで見られるでしょう」
行嗣は紙を閉じた。
義時も懐へ書付を戻した。
「では、いただこう」
「おじさんの席は、いつものところね」
あやはそう言って、奥へ戻った。
供の者が義時の方を見た。
どこへ座ればよいのか、迷っているらしい。
ちよが案内した。
「皆様には、こちらにご用意しております。少し窮屈ですが」
「お気遣いなく」
義時が答えた。
だが、そのあと小さく付け加えた。
「私の分も、初めからあったのか」
ちよは笑った。
「いらっしゃるかもしれないと聞きましたから」
*
皆が座ると、宗直が立ち上がりかけた。
ふみが、夫の袖をつまんだ。
「何を?」
「向こうの方にも、何か足りない物がないかと」
「私が見てきました」
「そうか」
「はい。あなたは、こちらを召し上がって」
宗直は座り直した。
義時が、その様子を見ていた。
「宗直」
「はい」
「よい知らせだぞ。お前が座っていても、向こうは困っておらぬ」
光成が笑った。
宗直は箸を取った。
「分かっております」
ふみが夫の顔を見た。
「では、もう少し早く分かってくださいませ」
今度は、しづも笑った。
義時は飯を口へ運んだ。
少しして、あやが尋ねた。
「お代わりは?」
「まだ、食べ始めたところだ」
「今のうちに聞いておこうと思って」
「私の食べる量まで、先に決めるな」
「決めていないよ。尋ねているの」
義時は箸を止めた。
時景が、隣から口を挟んだ。
「義時様。あやは、お代わりをお出しするかどうか、先に確かめているだけですよ」
「分かっている」
「では、どうなさいますか」
義時は時景を見た。
「お前まで聞くのか」
「あとで尋ねると、あやに叱られますので」
あやが時景を見た。
「叱らないよ」
「昨日は、聞くのが遅いと言われたよ」
「だって、冷めてしまったでしょう」
「そうだったね」
時景が笑った。
義時は、二人を交互に見た。
「……お代わりは、あとで頼む」
「はい」
あやが満足そうに答えた。
光成が笑った。
「父上にも、よくそう返されていましたね」
「光成。今日は、昔の話をよく思い出すな」
「おじさんが、昔と同じことをおっしゃるので」
義時は光成を見た。
その顔を見て、ちよが笑った。
「直成がいたころは、この辺りで、まつが口を挟んでおりましたね」
「まつは、私が帰ると言うと、もう一つ話があると言った」
「京へ文を出すので、おじさんがお見えになったことも書いておくね」
あやが言った。
「余計なことは書くな」
「何が余計なの?」
義時は答えに困ったようだった。
しづが行嗣へ小声で尋ねた。
「まつ様は、義時殿にも遠慮なさらなかったのですね」
「昔から、うちへいらしていましたから」
「三郎様も?」
「私は、少し遠慮していたと思います」
義時がこちらを向いた。
「お前は、話が終わるまで待ってから、また尋ねる子だった」
行嗣は口を閉じた。
しづが、うれしそうに笑った。
「それは今も、よく存じております」
*
飯が済むと、義時は立ち上がった。
門まで送る途中、宗直が言った。
「土地の件は、明日、人と日を決めてお伝えします」
「頼む」
「出向く者の留守中の用事も、分けておきます」
義時はうなずいた。
行嗣も続けた。
「現地で尋ねることは、光成兄と相談します」
「書付の言葉が、そこでも同じ意味で使われているか、見てこい」
「はい」
義時は門の外へ目を向けた。
待っていた供の者たちが、姿勢を正した。
ちよが言った。
「また、お越しください」
「世話になった」
あやも隣に立った。
「次は、何人で来るか先に知らせてね」
義時が振り返った。
「仕事の使いを、飯の知らせに使うのか」
「一緒に伝えていただけば、一度で済むでしょう」
義時は、何か言いかけた。
やめた。
「……覚えておく」
供の者が、また顔を伏せた。
義時はそれを見たが、何も言わなかった。
時景が義時へ頭を下げた。
「義時様。あやの言うことにも、一理ございます」
「お前は、すっかり二階堂家の者になったな」
「北条家の者でもありますよ」
時景は笑った。
「だから、どちらの家でも、皆が困らないようにしたいと思っています」
義時は少しだけ目を細めた。
「……そうか」
それから、ちよを見た。
「直成殿が聞いたら、喜んだだろうな」
ちよは静かにうなずいた。
「ええ。きっと」
義時はそれ以上何も言わず、供の者たちと門を出た。
*
家へ戻ると、しづとふみが器を片づけていた。
宗直が手を伸ばした。
ふみは止めなかった。
代わりに、積み重ねた器の半分を渡した。
「こちらをお願いします」
光成にも、おりんが声をかけた。
「あなたは、こちらへ」
行嗣が残りを持とうとすると、あやが先に取った。
「三郎兄は、しづ姉とあちらね」
「どちらでも同じだろう」
「でも、一緒の方がよいでしょう」
しづが行嗣を見た。
「私は、その方がうれしいです」
行嗣は、器を二つ持った。
それなら、こちらでよかった。
片づけが終わるころ、宗直が思い出したように言った。
「八幡宮へ参られる日の支度も、確かめておかねばな」
「ああ。何が要るのか、俺にも教えてくれ」
光成が言った。
行嗣はうなずいた。
「明日、分かっていることを整理します」
あやが兄たちを見た。
「出かける人の支度でしょう。出かける人も、ちゃんと聞いてね」
「聞いている」
三人の返事が重なった。
ふみとおりんとしづが、顔を見合わせた。
時景があやの隣で笑った。
「三人とも、返事がそろうんだね」
「昔からだよ」
あやが答えた。
「でも、同じことを聞いているとは限らないの」
宗直が振り返った。
「あや」
「ほらね」
時景は、笑いをこらえられなかった。
ちよは、その顔を順に見た。
それから笑って、言った。
「では、明日は皆で聞きましょう。三郎の話が終わるまで」
「母上」
「長くなるのでしょう?」
行嗣は、短く話すために何を省くべきか考えた。
隣で、しづが袖を引いた。
「まず、何時に集まるかを決めましょう」
それから、皆で明日の時刻を決めた。
夕方になり、あやと時景も北条家へ戻る支度を始めた。
ちよが二人に、持ち帰るための包みを渡した。
「時景殿。あやをよろしくお願いいたします」
「はい。こちらこそ、いつもありがとうございます」
あやが包みをのぞいた。
「母上、これ、小太郎様のお好きなものです」
「そうだったかしら」
「そうです。前にお話ししました」
時景があやを見た。
「覚えていてくれたんだね」
「小太郎様の好きなものだもの」
あやは当たり前のように答えた。
時景は、少しだけ照れたように笑った。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
二人が門を出ると、あやが振り返った。
「母上。また来るね」
「ええ。いつでもいらっしゃい」
ちよは、二人の背中を見送った。
直成が残した縁は、今、あの二人の暮らしの中にある。
そう思うと、少しうれしかった。
奥から、宗直の声が聞こえた。
「三郎。明日の話だが――」
「太郎兄、まだ明日になっておりません」
行嗣が答えた。
光成が笑う。
ふみが宗直を呼ぶ。
しづが行嗣の袖を引く。
ちよは振り返った。
今日も、二階堂家は賑やかだった。
登場人物紹介
北条義時
鎌倉幕府の第二代執権。源頼朝の妻・北条政子の弟。頼朝の死後、幕府の政務を支える中心人物となった。本作では直成と長年にわたり意見を交わした間柄で、二階堂家とも深い縁がある。
北条時景/小太郎
北条一門につながる家の青年。あやの夫。交渉や商人との取引に通じ、落ち着いた判断ができる。あやといるときは年相応の表情を見せる。本作独自の架空の人物。
あや
直成とちよの末娘。建保六年(1218年)に時景と婚姻した。人や物の動きに関心があり、実際の暮らしに役立つことを考えるのが好き。結婚後も二階堂家の人々との親しさは変わらない。
二階堂宗直/太郎
直成の長男で二階堂家の当主。人の面倒をよく見て、つい自分で仕事を引き受けようとする。妻はふみ。
二階堂光成/次郎
直成の次男。土地や水路など、現場の問題に強い。妻はおりん。
二階堂行嗣/三郎
直成の三男。大江広元のもとで訴訟や文書の仕事に携わる。物事を丁寧に確かめる性格。妻はしづ。




