↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二階堂一族、鎌倉時代を賑やかに生きる。――亡き父親は転移者!  作者: これってなんだろう
第六部 ちよは、直成をあらためて知る 建久六年〜建久十年(1195~1199年)
PR
93/115

幕間30 ちよは、直成が一人で抱えてきた秘密を聞く

建久十年(1199年)、鎌倉。


「聞いてほしいことがあるんだ」


直成さんは、そう言ったきり黙っていた。


ちよも、返事を急がなかった。


子どもたちは隣の部屋で眠っている。家人も下がり、この部屋にいるのは二人だけだった。


直成さんの手を握っていると、ときおり指に力が入った。


言おうとしている。


けれど、言えない。


ちよは、その手を握り返した。


「はい。直成さん」


直成さんは、ゆっくり体を起こした。


ちよも起き上がり、向かい合って座った。


泣いたあとの目が、灯りの下で赤く見えた。


「ちよさんは、僕と会う前のことを、あまり知らないでしょう」


「ええ」


「僕も、話さなかった」


ちよはうなずいた。


広元に見いだされ、頼朝に仕事を任されたことは知っている。


けれど、その前のことは、断片しか知らなかった。


直成さんには、話しにくいことがあるのだろうと思っていた。


直成さんは、握った手を見た。


「話してしまったら、ちよさんが、僕をどう見るか分からなかったんだ」


ちよは直成さんの顔を見た。


「今も、分からないけど」


その言葉のあと、直成さんは初めて、ちよの目をまっすぐに見た。


「僕は、この時代の人間ではないんだ」


     *


ちよは、動かなかった。


直成さんの声も、言葉も、聞こえていた。


けれど、意味が分からなかった。


直成さんは、ちよを見たまま続けた。


「ここから、何百年も先の世で暮らしていた」


ちよは、直成さんの手へ目を落とした。


仕事から帰れば、子どもたちを抱く手。


筆を持ち、紙をそろえる手。


自分が、何度も触れてきた手だった。


その手を持つ人が、何百年も先の世にいたという。


「……先の世で」


自分の声が、少し遠く聞こえた。


直成さんはうなずいた。


「父と母と、妹がいた。仕事をして、毎日、暮らしていたんだ」


直成さんの目が、一度、ちよから離れた。


何かを思い浮かべているようだった。


ちよには見えない家。


ちよの知らない人たち。


「気がついたら、ここにいた。どうして来たのかも、戻る方法も、分からない」


直成さんは、そこで言葉を切った。


ちよは、すぐには尋ねられなかった。


夢の話なのか。


前の世ということなのか。


考えかけるたびに、直成さんの言う「先の世」が、そこからはみ出した。


直成さんも、それ以上うまく説明できないようだった。


「僕にも、理由は分からないんだ」


ちよは、ゆっくりうなずいた。


分かったからではなかった。


聞こえています、と伝えたかった。


     *


「ご家族とは、会えないのですか」


ようやく尋ねると、直成さんは首を振った。


「会えない」


「お知らせも」


「できないんだ」


ちよは直成さんを見た。


「……では、ご家族は、直成さんがどうなったのかも、ご存じないのですね」


直成さんの指が、ぴくりと動いた。


「うん」


直成さんは目を伏せた。


「僕が、いなくなったあと……どうなったのかも、分からない」


ちよは、何も言えなかった。


直成さんが、少し遠くを見ることがあった。


子どもたちが眠ったあと、庭の方を見ていることがあった。


何を考えているのだろうと思ったこともある。


その中には、会えない家族を思う時間もあったのかもしれない。


「会いたいですか」


「うん」


返事は早かった。


直成さんは、そのあと目を伏せた。


「会いたいよ」


ちよは、手を握ったままでいた。


知らない家族がいると聞いても、その人たちを思う直成さんの手を離したいとは思わなかった。


ただ、寂しかった。


直成さんが長く、一人でその人たちを思っていたことが。


「お父上や、お母上は……」


ちよは、言いかけて止まった。


今も生きていらっしゃるのか。


そう尋ねようとした。


けれど、何百年も先の世という言葉が、また胸につかえた。


直成さんは、ちよの迷いに気づいたらしかった。


「分からないんだ」


直成さんは静かに言った。


「向こうで、どれだけ時間がたったのかも。僕がいなくなったあと、皆がどう暮らしているのかも」


ちよはうなずいた。


直成さんは、少しだけ苦しそうに笑った。


「妹は、僕がいなくなったら、怒るだろうな」


「怒るのですか」


「うん。何も言わずにいなくなるなんて、ひどい兄だって」


直成さんの口元が、わずかに緩んだ。


けれど、すぐに消えた。


「……怒ってくれているなら、まだいいんだけど」


ちよは、その手を強く握った。


直成さんは、返事をしなかった。


     *


「どなたか、知っていらっしゃるのですか」


しばらくして尋ねると、直成さんは首を振った。


「広元殿も、鎌倉殿も知らない」


ちよは、隣の部屋へ目を向けた。


子どもたちの寝息が聞こえていた。


「ちよさんに、初めて話した」


直成さんの声に、ちよは顔を戻した。


直成さんは、こちらを見ていた。


これほど長く夫婦でいて、直成さんは今、初めてする話の返事を待っている。


ちよは、口を開きかけた。


けれど、うまく言えなかった。


代わりに、握っていた直成さんの手へ、もう片方の手を添えた。


「……ずっと、お一人で?」


直成さんはうなずいた。


「うん」


「誰にも、お話しにならずに?」


「話せなかったんだ」


直成さんは、少しうつむいた。


「信じてもらえないと思った。それに、もし信じてもらえたとしても……」


「としても?」


「僕が、何者なのか分からなくなるでしょう」


ちよは直成さんを見た。


「広元殿が仕事を任せてくださったのも、鎌倉殿が話を聞いてくださったのも、僕が何を考えて、何ができるかを見てくださったからなんだ」


直成さんは、つないだ手へ目を落とした。


「先の世から来たからではない」


ちよはうなずいた。


「だから、言えなかったんだ」


直成さんは、かすれた声で続けた。


「ようやく見つけた居場所を、失うのが怖かった」


     *


ちよは、その言葉を聞いて、胸が痛くなった。


直成さんは、いつも穏やかだった。


誰かに必要とされることを、当たり前のように受け止めている人だと思っていた。


けれど、そうではなかった。


必要とされることが、どれほど嬉しいかを知っている人だった。


必要とされないことが、どれほど怖いかも。


「広元殿に会う前の僕は……」


直成さんは、そこで口を閉じた。


ちよは待った。


「もう、生きていても仕方がないと思っていたんだ」


ちよの指が止まった。


直成さんは、ちよを見なかった。


「帰る場所がない。知っている人もいない。何をしていいかも分からない」


声は静かだった。


それが、かえって恐ろしかった。


「誰かに話しかけても、言葉の意味がうまく通じないこともあった。知っているはずのことが、何の役にも立たないこともあった」


直成さんは、ゆっくり息を吐いた。


「この先、どうやって生きていけばいいのか、分からなかった」


ちよは、直成さんの手を握った。


「直成さん……」


「いっそ、終わりにしてしまおうかと思ったこともある」


ちよは、息をのんだ。


直成さんは、すぐに続けた。


「でも、そのころ、広元殿に会ったんだ」


直成さんの声が、少し変わった。


「さっき話したとおりだよ。広元殿が仕事をくださって、鎌倉殿が、やってみろとおっしゃった」


ちよはうなずいた。


「あの方たちが、僕に居場所をくださったんだ」


直成さんは、握った手を見た。


ちよは、仕事へ向かう直成さんの嬉しそうな顔を思い出した。


     *


直成さんは、しばらく黙っていた。


やがて、静かに言った。


「向こうの世では、今の時代のことを、昔の出来事として学ぶんだ」


ちよは黙って聞いた。


「頼朝という人が、鎌倉をつくったことも、その書物にあった」


直成さんの声が低くなった。


「僕は、会う前から、あの方の名を知っていた」


ちよの指が止まった。


直成さんが、なぜ今、その話をするのか。


聞きたいと思った。


聞くのが怖いとも思った。


「これから起こることも、書かれているのですか」


直成さんは、すぐには答えなかった。


それから、小さくうなずいた。


「僕がいた世から見れば、もう昔に起きたことだから」


ちよは、直成さんの顔を見た。


今夜、何度も分からないと思った。


それでも、その言葉は、少しずつ胸に届いた。


直成さんは、自分たちがまだ迎えていない日々について、読んだことがあるのだ。


「では、今が、その書物のどこに当たるのかも……」


「それが、正確には分からないんだ」


直成さんは、困ったように眉を下げた。


「今年が建久十年だということは分かる。でも、向こうで習った年の数え方とは、うまく結びつかない」


「年の数え方が、違うのですか」


「うん。西暦といって、元号が変わっても、続けて年を数えていくんだ。昔の出来事も、僕はその数え方でしか覚えていない」


ちよは、少し考えた。


「建久が終わっても、数え直さないのですね」


「そう」


「では、建久十年は、そちらでは何年なのですか」


直成さんは、目を伏せた。


「……分からない」


ちよは返事を待った。


「鎌倉のことで、年の数まで覚えているのは、1192年くらいなんだ」


聞き慣れない大きな数だった。


ちよが黙っていると、直成さんは続けた。


「いい国つくろう、鎌倉幕府って。そういう言葉にして覚えた」


「いい国を、つくる」


「うん。その言葉の音が、年の数に合うんだ。子どものころに、そうやって習った」


直成さんは、わずかに口元を動かした。


けれど、笑うところまではいかなかった。


「その言葉は、今でも出てくる。でも、ここで暮らしていると、鎌倉は、ある日急に始まったわけではないでしょう」


ちよはうなずいた。


人が集まり、屋敷が建ち、仕事が増えていった。


直成さんも、その中で働いてきた。


「だから、その覚えている年が、こちらでいう何年なのか。何をしたときを指していたのか。そこまでは、ちゃんと思い出せないんだ」


直成さんは、自分の手を見た。


「人の名前や、大きな出来事は、ところどころ覚えている。でも、それが何年のことだったかは、ほとんど覚えていない。どちらが先だったかさえ、曖昧なこともある」


ちよは、直成さんの話を聞いていた。


書物の中の年と、今、自分たちが暮らす年。


その二つは、直成さんの中でも、きれいにつながってはいなかった。


     *


直成さんは、一度息を吸った。


「鎌倉殿が亡くなることも、読んだ覚えがあった」


ちよは直成さんを見た。


灯りが、わずかに揺れた。


「でも、それが今年だとは、分からなかった」


部屋が、急に静かになったように感じた。


子どもたちの寝息も、外の風も、聞こえている。


それなのに、直成さんの言葉だけが、ちよの前に残った。


「どうしてお亡くなりになるのかも、覚えていらしたのですか」


直成さんは、ゆっくり首を振った。


「確かに覚えているとは、言えない。読んだことも、全部が頭に残っているわけではないんだ」


昨日、頼朝の死を知らされた。


直成さんが帰ってきて、明日尋ねるつもりだった文書を広げた。


今日は、その直成さんが、もっとできることがあったはずだと泣いた。


ちよは、その姿を思い返した。


「病のことも、僕には分からない。何をすれば助かるのか、答えられなかった」


直成さんの声が震えた。


「でも、それでよかったとは思えない」


直成さんは、ちよの手を強く握った。


「もっと早く、覚えていることを整理していれば。誰かに、話していれば」


その先は続かなかった。


ちよは、直成さんの目を見た。


今年だと分かっていたわけではない。


助ける方法を知っていたわけでもない。


それでも直成さんは、知っていたことが一つでもあるなら、何かできたのではないかと考えている。


「直成さん」


直成さんが顔を上げた。


「私には、まだ分かりません」


直成さんは、静かにうなずいた。


ちよは、その手を握っていた。


今、ここで何ができたはずなのかを尋ねても、直成さんは答えられないのだろう。


直成さん自身が、その問いから離れられずにいた。


ちよにも、何かできたとも、何もできなかったとも、決めることはできなかった。


分からないという自分の返事が、今夜の直成さんを傷つけるのではないかと思った。


それでも、分かったふりはできなかった。


     *


「初めは、書物の中の人だったんだ」


直成さんが言った。


「鎌倉殿は」


ちよは黙って聞いた。


「でも、会って、お話しして、一緒に仕事をして……」


直成さんは、少し首を振った。


「僕の話を聞いてくださった。広元殿が任せてくださった仕事を、あの方も、頼むとおっしゃった」


ちよは、頼朝の顔を思い出した。


直成さんの意見に、嫌そうな顔をしたこともある。


それでも、どうするのかと尋ねた。


直成さんの答えを待った。


「僕は、ここで生きていけると思えたんだ」


直成さんは、声を落とした。


「僕にも、することがある。あの方がつくろうとしているものを、一緒につくりたいと思った」


直成さんは、少し黙った。


「昨日も、明日になったらお聞きしようと思っていた」


ちよの胸が痛んだ。


帰宅してから広げた、あの文書。


直成さんは、頼朝に尋ねることを考えていた。


「まだ、話せると思っていたんだ」


直成さんは、言葉を探すように間を置いた。


「書物で読んだことより、昨日までお会いしていた鎌倉殿の方が、ずっと……」


言葉が途切れた。


ちよは、直成さんの肩へ手を伸ばした。


その肩を抱いた。


書物に書かれている人。


毎日、会って働く人。


ちよには、その二つがどう重なるのか、すべては分からない。


けれど、直成さんが失ったのは、一緒に働いてきた頼朝だった。


自分を必要とし、話を聞き、仕事を任せた人だった。


直成さんは、ちよの肩へ額を寄せた。


ちよは、その背へ手を添えた。


     *


しばらく、二人とも何も言わなかった。


直成さんの息が少し落ち着いたころ、ちよは静かに尋ねた。


「これからのことも、覚えていらっしゃるのですか」


直成さんが顔を上げた。


「鎌倉のことです。私たちのことも」


直成さんは、ちよを見た。


それから、ゆっくり首を振った。


「僕たちの家のことは、知らない」


ちよは、少し驚いた。


「子どもたちのことも?」


「知らないよ」


「私と、夫婦になることも?」


直成さんはうなずいた。


「知らなかった」


ちよは、直成さんの顔を見つめた。


自分が言ったことに、困った顔をした直成さん。


返事を待っていた自分。


結婚してから、二人で考えたこと。


子どもたちが生まれ、二人とも慌てたこと。


その一つずつを、直成さんも、初めて迎えていたのだった。


ちよは、直成さんの手へ目を落とした。


「鎌倉のことも、全部は知らないんだ」


直成さんが続けた。


「名前を覚えているだけの人もいる。大きな出来事を覚えていても、その間のことは、知らないことが多い。忘れていることもあるし、間違って覚えているかもしれない」


「それが、いつ起こるのかも」


「うん。今の元号を聞けば分かる、というわけではないんだ」


直成さんは、指を握り込んだ。


「それに、僕がここで働いたことで、何が変わったのかも分からない」


ちよは顔を上げた。


「覚えていることと同じように進んでいるのか。もう違っているのか。僕には、確かめられない」


直成さんは、長く息を吐いた。


「これから先も、知っているとおりになるのか、分からないんだ」


     *


ちよは、直成さんを見ていた。


何百年も先の世から来た人。


頼朝の名を、会う前から知っていた人。


それなら、これから何をすればよいかも分かるのかと思った。


けれど、直成さんは首を振った。


知らないと、言った。


覚えていることにも、いつ起こるか分からないものがある。


今、聞いている直成さんの話は、ちよが初めに思い浮かべたものより、ずっと心細かった。


「怖いんだ、ちよさん」


直成さんの声は、小さかった。


「何か思い出しても、それが本当に合っているのか分からない。でも、黙っていて、また後から、あのことだったのかと思ったら……」


ちよは、その手を取った。


温かい手だった。


朝になれば、三郎がこの手を求めるだろう。


まつも、袖を引くだろう。


太郎と次郎は、また何かを尋ねる。


直成さんが答えられることもあれば、答えられないこともある。


ちよは、ゆっくり直成さんの指を包んだ。


「私も、先のことは分かりません」


直成さんはこちらを見た。


ちよは、それ以上、うまく言えなかった。


直成さんを安心させる言葉を探した。


大丈夫だと言ってしまいたかった。


けれど、直成さんが何を怖がっているのか、今夜、初めて聞いたばかりだった。


「今、どうすればよいのかも、すぐには分かりません」


ちよは、正直に言った。


「でも、もう少し聞かせてください」


直成さんの目が動いた。


「覚えていらっしゃることも、分からないことも。今、何が怖いのかも」


直成さんは、しばらくちよを見ていた。


「分からない話ばかりになるかもしれない」


「今夜も、分からないところはあります」


ちよが答えると、直成さんは目を伏せた。


ちよは、その手を少し引いた。


「ですから、また聞きます」


直成さんは顔を上げた。


ちよは、直成さんを見た。


「一度で分からなければ、もう一度、お話ししてください」


直成さんは、しばらく何も言わなかった。


それから、深くうなずいた。


握った手は、離さなかった。


     *


「ちよさんは、僕が怖くない?」


直成さんが尋ねた。


ちよは、少し考えた。


驚いていた。


戸惑ってもいた。


今夜の話を、明日、もう一度聞き直すかもしれない。


直成さんの顔を見ながら、何百年も先の世という言葉を思い返すこともあるだろう。


「お話には、驚いております」


ちよは答えた。


「まだ、分からないところも、たくさんあります」


直成さんは黙っていた。


「でも、今、私の手を握っている方は、直成さんです」


直成さんの指に、力が入った。


ちよは、その手を握り返した。


「私と夫婦になって、子どもたちを抱いてくださった方です」


直成さんの顔が、ゆっくり歪んだ。


直成さんは何か言おうとしたが、声にならなかった。


ちよは、もう一度その肩を抱いた。


今度は、直成さんの腕も、ちよの背へ回った。


ちよは、直成さんの肩へ頬を寄せた。


しばらく、そのままでいた。


     *


「このお話は、ほかの方にはいたしません」


ちよが言うと、直成さんは小さくうなずいた。


広元にも、義時にも、政子にも。


子どもたちにも。


直成さんが初めて口にした言葉は、ちよのところへ置いておく。


まだ理解できていないからといって、誰かに確かめてもらいたいとは思わなかった。


「ありがとう、ちよさん」


「また、尋ねてもよいですか」


「うん」


「同じことを、何度も聞くかもしれません」


直成さんは、少しだけ顔を上げた。


「うまく説明できないことも、あると思う」


「そのときは、そうおっしゃってください」


直成さんはうなずいた。


ほんの少し、肩の力が抜けたように見えた。


     *


灯りが小さくなっていた。


ちよは直成さんと並んで横になった。


隣の部屋から、子どもたちの寝息が聞こえる。


二人とも、それを聞いていた。


「直成さん」


「何だい、ちよさん」


「私と夫婦になることを、知らなかったのですね」


直成さんは、こちらを向いた。


「うん」


「では、あのころ困っていらしたのは、本当に?」


直成さんは、少し目を丸くした。


それから、かすかに笑った。


「本当に、困っていたよ」


「あとで何が起こるか、ご存じだったのかと思いました」


「ちよさんが次に何を言うかも、分からなかった」


ちよも、小さく笑った。


それは、今もそうかもしれなかった。


笑ったあと、また涙が出た。


直成さんの悲しみが消えたわけではない。


頼朝が戻るわけでもない。


今夜聞いたことを、すべて受け止められたわけでもなかった。


それでも、直成さんは、ちよの前で少し笑った。


ちよは、その顔を見ていた。


「ちよさん」


直成さんが呼んだ。


「はい」


それだけで、直成さんは黙った。


ちよも、先を求めなかった。


二人の間に置かれた話は、まだ大きかった。


一晩で、畳んでしまえるものではない。


ちよは布団の中で、直成さんの手を取った。


直成さんも、その手を握った。


やがて、外で鳥の声がした。


直成さんが顔を向ける。


ちよも耳を澄ました。


もうすぐ、子どもたちが起きる。


何を言うのかも、何をするのかも、直成さんには分からない。


自分にも、分からない。


ちよは、直成さんの手を握ったまま、少しだけ近くへ寄った。


「朝ですね、直成さん」


直成さんは、ゆっくりうなずいた。


「うん、ちよさん」


二人は、しばらくそうしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。