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二階堂一族、鎌倉時代を賑やかに生きる。――亡き父親は転移者!  作者: これってなんだろう
第五部 父を知る人たちと、新しく増える家族 建保二年〜建保六年(1214〜1218年)
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第61話 二階堂家は、末娘の婚礼でも静かにできない

建保六年(1218年)、鎌倉。


北条時景が二階堂家を訪ねてくる日、宗直は朝から落ち着かなかった。


「母上」


「何?」


「今日は、俺も同席した方がよいでしょうか」


ちよは、針を動かす手を止めた。


「何のお話に?」


「時景殿のお話です」


「まだ、何を話しにいらっしゃるか聞いていないでしょう」


「ですが、先日からの様子を見れば」


「宗直」


「はい」


「まずは、お茶を飲みなさい」


宗直は、手元の椀を見た。


すでに冷めていた。


「……入れ直します」


「ふみが、さっきから三度も入れ直しているわよ」


隣にいたふみがうなずいた。


「四度目です」


「三度ではなかったか」


「一度目は、あなたが立ち上がったときに冷めました」


宗直は黙った。


そこへ光成が顔を出した。


「太郎兄上。時景殿はまだ来ていないのか」


「まだだ」


「では、何をそんなに心配している」


「心配しているわけではない」


「そうか」


光成は、ふみの方を見た。


「兄上は、朝から何度お茶を飲んだ?」


「まだ一度も」


「なるほど」


宗直が弟をにらんだ。


「次郎」


「はい」


「お前も、あやの兄だろう」


「もちろん」


「ならば、少しは考えることがあるはずだ」


光成は考えた。


「婚礼の席は、どこに作るのがよいだろう」


「もう婚礼の話か」


「兄上がそういう顔をしているからだ」


宗直は返事に困った。


ちよは、二人を見て微笑んだ。


末娘の縁談は、まだ正式に決まっていない。


けれど、どうやら兄たちの心の中では、すでに婚礼が始まっているらしい。


     *


時景が来たのは、昼前だった。


いつもより、少し早い。


門で迎えたあやは、その顔を見て首をかしげた。


「小太郎様」


「こんにちは」


「今日は、荷の札を持っていないね」


「今日は、荷の話じゃないから」


「じゃあ、銭?」


「それでもない」


「船?」


「違うよ」


あやは、しばらく考えた。


「……分からない」


時景は笑った。


「珍しいね」


「何が?」


「三つも聞いて、全部違ったから」


「じゃあ、何の話?」


時景は、少しだけ姿勢を正した。


「あやに、大切な話がある」


あやも、背筋を伸ばした。


「私に?」


「うん」


「母上にも?」


「もちろん」


「兄上たちにも?」


「それは、少し後で」


あやは、ますます不思議そうな顔をした。


時景は、いつも落ち着いている。


荷が足りなくても、帳面が合わなくても、まず何を確かめるか考える。


けれど今日は、何度も袖の端を直していた。


あやは、それを見逃さなかった。


「小太郎様」


「何?」


「緊張してる?」


時景は、一瞬黙った。


「……少し」


「小太郎様でも?」


「するよ」


あやは、何だか嬉しくなった。


「じゃあ、私も緊張しておく」


「どうして?」


「一人だけ緊張するのは、かわいそうでしょう」


時景は、とうとう笑ってしまった。


「ありがとう」


「どういたしまして」


二人は並んで、ちよの待つ部屋へ向かった。


     *


ちよは、時景の挨拶を受けると、二人を向かいに座らせた。


時景は、しばらく言葉を選んでいた。


あやは、その横顔を見ていた。


いつもなら、自分の方が先に質問する。


けれど、今日は待つことにした。


やがて、時景が口を開いた。


「ちよ様。本日は、あや殿との婚姻について、お話をさせていただきたく参りました」


ちよは静かにうなずいた。


「ええ」


あやは、時景を見た。


「婚姻?」


「うん」


「私と?」


「そう」


「小太郎様が?」


時景は、少し困った顔をした。


「ほかに誰がいるの?」


あやは、急に黙った。


ちよが口元を緩めた。


時景は、あやに向き直った。


「以前から、両家でそういう話があったことは知っているよね」


「うん」


「でも、僕は、家同士の約束だけで決めたくない」


あやは、じっと聞いていた。


「荷の話をしているときも、何でもない話をしているときも、あやと一緒にいると楽しい」


「……うん」


「これから先も、そういう時間を一緒に過ごしたいと思っている」


時景は、少し息を整えた。


「僕と、夫婦になってくれませんか」


あやは、時景の顔を見た。


それから、ちよを見た。


ちよは何も言わなかった。


あやは、もう一度時景を見た。


「小太郎様」


「何?」


「夫婦になったら、毎日会えますか」


時景は、思わず笑った。


「同じ家で暮らすからね」


「忙しい日も?」


「忙しい日も」


「荷の話をしてもよいですか」


「もちろん」


「小太郎様が疲れている日も?」


「その日は、少し短くしてくれると助かる」


あやは考えた。


「分かりました。短くします」


「ありがとう」


「でも、聞きたいことは覚えておきます」


「それは、覚悟しておく」


あやは、嬉しそうに笑った。


時景は、懐から小さな木の札を取り出した。二つに割った札の、片方だった。


「これは?」


「半分は、あやが持つ。もう半分は、僕が持つ」


「ただの木切れだよ。合わせたときにだけ、一つの札になる」


あやは、札をじっと見た。


「遠い荷の受け渡しに使う、割符と同じですね」


「そう。あやが前に言っていた。銭は約束みたいだって」


「覚えていたのですか」


「忘れないと言ったから」


あやは、札を両手で受け取った。


それから、顔を上げて、今度はまっすぐに答えた。


「条件を、伺ってもよろしいですか」


「条件?」


「夫婦になるのでしたら、取り決めが要ります」


時景は、少し考えた。


「毎日、一つずつ、分からないことを聞いてほしい。僕も、一つずつ答える。答えられなかったら、次の日までに調べておく」


「それは、私にとても都合のよい取り決めです」


「僕にとってもだよ。聞かれないと、考えなくなるから」


あやは、嬉しそうに笑った。


「私も、小太郎様と夫婦になりたいです」


時景は、しばらく何も言わなかった。


あやが首をかしげる。


「小太郎様?」


「……うん」


「返事が遅いですよ」


「今、嬉しくて」


あやは、少し照れた。


「私も」


ちよは、二人を見守っていた。


あやが生まれた日のことを思い出す。


直成は、末娘を抱き上げて、ずいぶん嬉しそうにしていた。


その娘が、今、自分の意思で生涯の相手を選んだ。


ちよは、ゆっくりとうなずいた。


「二人の気持ちは、よく分かりました」


時景が頭を下げた。


「ありがとうございます」


「ただし」


二人が顔を上げた。


ちよは、穏やかに続けた。


「これからは、楽しいことばかりではないでしょう。困ったときも、二人で話し合ってくださいね」


「はい」


時景が答えた。


あやもうなずく。


「はい。分からないことは、お聞きします」


ちよは笑った。


「それなら、あまり心配はいらないわね」


     *


問題は、そのあとだった。


宗直、光成、三郎の三人が呼ばれた。


宗直が、時景を正面から見た。


「時景殿。婚姻について、いくつか確かめたいことがある」


「はい。何なりと」


時景は落ち着いて答えた。


「まず、あやは末の妹だ」


「存じております」


「まだ、世間知らずなところがある」


「好奇心が旺盛なところは、あや殿の長所だと思っております」


宗直は、少し嬉しそうになった。


「……そうか」


「ただ、あや殿が困ったときには、私だけで抱え込まず、宗直殿にもご相談したいと思っております」


宗直は、ゆっくりとうなずいた。


「それならば、よい」


光成が割って入った。


「しかし、あやは思いつくとすぐ動く。家の仕事に支障が出ることもあるぞ」


「その点は、むしろ助かっております」


「助かる?」


「はい。先日も荷の受け渡しについて、私たちが当然と思っていた手順を尋ねられました。確かめてみると、改めた方がよいところがありまして」


光成は身を乗り出した。


「どこだ?」


「次に帳面をお持ちします。光成殿のご意見も伺いたい」


「それは見ておこう」


三郎が咳払いをした。


「ただし、婚姻後の生活については、きちんと取り決めておかなければ」


「はい。三郎殿には、ぜひ書き付けを見ていただきたいと思っておりました」


「私に?」


「細かなところまで確かめていただけるので、安心です」


三郎は、すっかり真面目な顔になった。


「それは、確かに大切です」


時景は、三人に丁寧に頭を下げた。


「これからも、あや殿のことでお力をお借りすることがあると思います。そのときは、よろしくお願いいたします」


宗直がうなずいた。


光成もうなずいた。


三郎も、満足そうにうなずいた。


話は、きれいにまとまった。


その様子を見ていたあやが、小声で尋ねた。


「小太郎様」


「何?」


「兄上たち、何か言いに来られたのではなかったのですか」


「そうだね」


「もうよろしいのですか」


「皆さん、納得してくださったみたいだよ」


あやは、三人の兄を見た。


確かに、全員が満足そうだった。


「……すごいですね」


時景は微笑んだ。


「大切な妹さんだからね」


そのとき、宗直がもう一度口を開いた。


「ただし、時景殿」


「はい」


「もし、あやが泣くようなことがあれば——」


「あなた」


ふみが静かに呼んだ。


「……何だ」


「先ほど、時景殿のお人柄は十分に分かったとおっしゃいましたね」


「そうだが」


「でしたら、信じて差し上げましょう」


宗直は口を閉じた。


光成が続けた。


「いや、しかし、男というものは婚姻すると——」


「あなた」


今度は、おりんだった。


「何だ」


「私たちが婚姻したときも、そんなに心配していただきましたか?」


光成は、返事に困った。


三郎が腕を組んだ。


「とはいえ、念のため——」


「三郎様」


しづが微笑んだ。


「まだ、何も言っていないぞ」


「ええ。でも、三郎様のお考えは、だいたい分かります」


「……そうか」


三人の兄は、そろって静かになった。


あやは、目を丸くした。


「小太郎様」


「何?」


「兄上たち、今度こそ静かになりましたね」


時景は、三人の妻たちを見た。


「……本当だね」


あやが首をかしげる。


「小太郎様より、姉上たちの方がお上手なのですか」


時景は少し考えた。


「少なくとも、三人の兄上については、そうだと思う」


ちよが、そのやり取りを聞いて笑った。


「時景殿」


「はい」


「よく分かっていらっしゃるわね」


時景は、ちよに向き直った。


「まだまだ、教えていただくことばかりです」


「そうね」


ちよは、穏やかに微笑んだ。


「では、あやのことも、よろしくお願いしますね」


「はい」


時景は、丁寧に頭を下げた。


     *


婚姻の話が正式にまとまると、二階堂家は急に忙しくなった。


宗直は、北条家とのやり取りを進めた。


光成は、婚礼に使う場所や道具を確かめた。


三郎は、当日の手順を書き出した。


そして、三人とも、自分の仕事が一番大切だと思っていた。


「まずは、両家の取り決めを確かめるべきだ」


宗直が言った。


「場所が決まらなければ、人も物も動かせない」


光成が答えた。


「順番を決めておかなければ、当日困ります」


三郎も譲らない。


ちよは、三人の話を聞いていた。


しばらくして、静かに言った。


「ところで」


三人が振り向く。


「あやの衣装は、誰が考えてくれるの?」


宗直が黙った。


光成も黙った。


三郎は、手元の紙を見た。


「……まだ書いていません」


「そうでしょうね」


ちよは、三人の嫁を見た。


ふみがうなずいた。


「こちらで進めております」


おりんも答えた。


「必要なものは、だいたい揃います」


しづが付け加えた。


「あや様にも、確かめていただいています」


ちよは微笑んだ。


「ありがとう」


宗直が、少し困った顔をした。


「母上。俺たちも、何か」


「ええ。たくさんお願いするわ」


三人の顔が明るくなった。


「まずは、お嫁さんたちの話をよく聞いてちょうだい」


三人は、また黙った。


あやは、部屋の隅で笑っていた。


     *


婚礼の日が近づくと、京のまつからも手紙が届いた。


あやの婚姻を喜ぶ言葉が、何枚にもわたって書かれている。


夫の藤原季成も祝いの言葉を添えていた。


あやは、手紙を何度も読み返した。


「姉上、来られないんだね」


ちよが隣に座った。


「京から鎌倉までは、遠いものね」


「うん」


「でも、あやのことを、とても喜んでいるわ」


「分かるよ」


あやは、手紙を胸に抱いた。


「こんなに書いてあるもの」


ちよは笑った。


「お返事を書きましょうか」


「うん」


あやは、しばらく考えた。


「何を書こう」


「今の気持ちを書けばよいのよ」


「じゃあ、小太郎様と夫婦になるのが嬉しいって書く」


「ええ」


「それから、兄上たちが騒がしいって」


「それも、まつなら喜ぶでしょうね」


あやは、筆を取った。


     *


そして、婚礼の日が来た。


朝から二階堂家は賑やかだった。


宗直が、家人に何かを確かめている。


光成は、道具の置き場所を直していた。


三郎は、書き付けを手に歩いていた。


ふみ、おりん、しづは、それぞれの夫を追いかけていた。


「あなた。そこはもう確かめました」


ふみが言った。


「念のためだ」


宗直が答えた。


「念のためが、五度目です」


一方、光成は、戸の具合を調べていた。


「少し引っかかるな」


おりんが言った。


「昨日もそうおっしゃっていました」


「昨日より、少し悪い」


「今日は戸の婚礼ではありませんよ」


光成は、手を止めた。


三郎は、家人に手順を説明していた。


「まず、こちらへ進み、それから——」


しづが近づいた。


「三郎様」


「何だ」


「その方には、もう三度お話ししました」


「大切なことだから」


「では、次はお休みになってからにしましょう」


三郎は、書き付けを見た。


「……そうする」


ちよは、その様子を見ながら、あやの支度を整えていた。


あやは、いつもより静かだった。


「緊張している?」


ちよが尋ねた。


「少し」


「そう」


「母上」


「何?」


「今日は人前ですから、時景様とお呼びしますね」


「ええ。それがよいでしょう」


あやはうなずいた。


「二人のときは、小太郎様のままでよいと、もう伺っています」


「あら、もう決めてあったのね」


二人だけの呼び名。


ちよの胸の奥で、遠い声が小さく鳴った。


――ちよさん。


夫だけが、そう呼んだ。ほかの誰も使わない、二人だけの呼び名だった。


ちよは、少し笑って、娘の衣装の端を整えた。


あやは、母の顔を見た。


「母上」


「何?」


「父上がいたら、何て言ったかな」


ちよの手が、少し止まった。


直成なら、何と言っただろう。


きっと、娘の支度を見て喜んだ。


そして、何か余計なことを言って、あやに叱られたかもしれない。


ちよは、少し笑った。


「きっと、よく似合っていると言ったでしょうね」


あやは、自分の衣装を見た。


「そうかな」


「ええ」


「それなら、嬉しいです」


ちよは、最後に衣装の端を整えた。


「本当に、よく似合っているわ」


あやは、母に笑いかけた。


     *


そのとき、家人が知らせに来た。


「北条義時様がお見えになりました」


ちよの手が止まった。


義時が来ることは、前もって聞いていた。


今回の婚姻を取り持つため、自ら足を運んでくださるという。


ありがたいことだった。


けれど、その名を聞くと、どうしても思い出す日があった。


直成がまだ生きていたころ。


頼朝が亡くなり、鎌倉の中で家々の立場が変わり始めていた。


夫は、毎日のように人に会い、文を読み、誰と話をするべきか考えていた。


家ではいつもどおりに笑っていたが、夜遅くまで灯りが消えない日もあった。


そして、ある日。


直成は、ちよに言った。


「僕たちが、誰と生きていくかを決める」


あの声を、ちよは覚えていた。


夫が選んだ相手は、義時だった。


その判断が正しかったのか。


今日まで、何度も考えた。


直成は、もういない。


それでも、夫が結んだ縁は続いている。


ちよは、娘の衣装から手を離した。


「少し、行ってきますね」


あやが顔を上げた。


「義時様にご挨拶?」


「ええ」


「私もあとで行くね」


「そうしてちょうだい」


ちよは、部屋を出た。


     *


義時は、宗直たちの挨拶を受けていた。


かつて宗直の元服で烏帽子親を務めた人物である。


宗直も、義時の前では背筋を伸ばしていた。


「本日は、わざわざお越しいただき、ありがとうございます」


「めでたい日だからな」


義時は答えた。


「時景も、よい娘御を迎えることになった」


そこへ、ちよが入ってきた。


「義時様。本日はありがとうございます」


義時は、ちよを見た。


「久しいな、ちよ殿」


「はい」


「直成殿にも、この日を見せたかった」


ちよは、静かに頭を下げた。


「……私も、そう思います」


義時は、しばらくちよを見ていた。


それから、声を少し落とした。


「直成殿との約束が、ようやく形になったな」


ちよは顔を上げた。


あの日の夫の声が、胸の奥によみがえった。


義時を選ぶ。


その選択が、どれほど危ういものだったか。


夫は、よく分かっていた。


頼朝が築いた鎌倉を残したい。


そして、子どもたちが暮らす二階堂家を守りたい。


その二つを、どちらも手放さないための決断だった。


けれど、義時の側に立つということは、義時と敵対する者から見れば、二階堂家も敵になるということだった。


義時が敗れれば、所領も役目も失うかもしれない。


家族の命さえ危うくなる。


直成は、その危険を知りながら、義時と結んだ。


ちよも、その場にいた。


そして今。


その義時が、娘の婚礼を取り持つために、二階堂家を訪れている。


ちよは、ゆっくり息を整えた。


「はい。長い年月がかかりました」


義時がうなずいた。


「直成殿は、先のことまで考える男だった」


「……そうでした」


「だが、今日の主役は、あの二人だ」


義時は、少し笑った。


「難しい話は、また別の日にしよう」


ちよも微笑んだ。


「はい」


そのとき、廊下の向こうから声がした。


「太郎兄上! その置き方では、通れません!」


三郎だった。


「分かっている!」


宗直が答える。


「分かっているなら、なぜそこに置くのですか!」


今度は光成の声もした。


義時が、廊下の方を見た。


「……ずいぶん賑やかだな」


ちよは、少し恥ずかしそうに笑った。


「申し訳ございません」


「いや」


義時も笑った。


「直成殿の家らしい」


ちよは、その言葉を聞いて、ようやく肩の力を抜いた。


     *


婚礼の前に、義時は時景を呼んだ。


「時景」


「はい」


「二階堂家の兄たちとは、もう話をしたそうだな」


「はい」


「どうだった」


時景は、少し考えた。


「皆様、あや殿を大切にしておられます」


「それだけか」


「それだけで、十分だと思っております」


義時は、時景の顔を見た。


「……なるほど」


時景は、落ち着いて続けた。


「宗直殿には、家を守るお立場があります。光成殿は実務に通じ、行嗣殿は細かなことまで確かめられる。皆様のお力を借りられるのは、私にとってもありがたいことです」


義時は、わずかに笑った。


「三人とも、納得したのか」


「はい」


「よくやった」


時景は頭を下げた。


「ありがとうございます」


義時は、しばらくしてから言った。


「だが、時景」


「はい」


「家同士の付き合いと、夫婦の暮らしは別だ」


時景は顔を上げた。


「承知しております」


「直成殿と私は、この縁を大切にしてきた。だが、あや殿と暮らすのは、お前だ」


「はい」


「そのことを、忘れるな」


時景は、まっすぐに答えた。


「忘れません」


義時はうなずいた。


「ならば、よい」


そこへ、あやが顔を出した。


「小太郎様」


時景が振り向く。


「何?」


「兄上たちが、また何か話してるよ」


「そうなの?」


「うん。今度は、誰が先に挨拶するかで」


義時は、思わず笑った。


「時景」


「はい」


「お前の仕事は、まだ終わっていないようだな」


時景も笑った。


「そのようです」


あやは、二人を見た。


「何の話?」


義時が答えた。


「お前の兄たちの話だ」


あやは、すぐにうなずいた。


「ああ。兄上たちは、いつもあんな感じです」


義時は、また笑った。


     *


婚礼は、両家の人々に見守られて進んだ。


義時が両家の縁を取り持ち、時景とあやは夫婦となった。


時景は、いつものように落ち着いていた。


けれど、あやが隣に座ると、少しだけ表情が変わった。


あやも、それに気づいた。


「小太郎様」


小さな声で呼ぶ。


時景が、そっと顔を向けた。


「何?」


「緊張してる?」


「少し」


「私も」


「そうだね」


あやは、少し笑った。


「でも、嬉しい」


時景もうなずいた。


「僕も」


二人は、もう一度前を向いた。


あやの袖の中には、札の半分がある。


時景の懐には、もう半分がある。


今日だけは、二つは同じ場所で、同じ時を過ごしていた。


義時は、その様子を見ていた。


ちよも、少し離れたところから見守っていた。


直成が生きていたころから、二階堂家は賑やかだった。


夫が亡くなってからも、それは変わらない。


そして今日は、そこに新しい夫婦が加わった。


ちよは、義時へ目を向けた。


義時も、ちよを見た。


言葉は交わさなかった。


けれど、ちよには分かっていた。


今日の婚礼は、直成が残した約束の一つが、ようやく実を結んだ日でもあった。


     *


婚礼が終わり、あやが時景とともに出立するころ。


宗直が、妹の前に立った。


「あや」


「何でしょう、太郎兄上」


「困ったことがあれば、いつでも知らせなさい」


「はい」


光成も言った。


「家のことで分からないことがあれば、俺にも聞け」


「はい」


三郎が続けた。


「手紙を書くときには、日付と宛先を——」


「三郎兄上」


あやが止めた。


「何だ」


「分かっています」


「まだ最後まで言っていない」


「いつも伺っていますもの」


三郎は、少し寂しそうな顔をした。


あやは、三人の兄を見た。


「兄上たち」


「何だ」


宗直が答える。


「私、ちゃんと幸せになります」


三人は黙った。


あやは、嬉しそうに続けた。


「だから、あまり心配しないでください」


光成が、少し笑った。


「それは、難しい頼みだな」


宗直もうなずいた。


「そうだな」


三郎は、何か言おうとしてやめた。


代わりに、静かに言った。


「元気でな」


あやは、三人に笑いかけた。


「はい」


時景が、丁寧に頭を下げた。


「皆様。これからも、よろしくお願いいたします」


宗直が答えた。


「こちらこそ」


光成もうなずいた。


三郎も、深く礼をした。


ちよは、少し離れたところから見守っていた。


あやが母のもとへ来た。


「母上」


「何?」


「行ってきます」


ちよは、娘の顔を見た。


「ええ。行ってらっしゃい」


あやは、少しだけ母の袖を握った。


「また参りますね」


「もちろん」


「小太郎様と一緒に」


「ええ。待っているわ」


あやは、嬉しそうにうなずいた。


そして、時景のもとへ戻っていった。


     *


二人を見送ったあと、二階堂家は急に静かになった。


宗直は、門の方を見ていた。


光成も、何も言わなかった。


三郎は、手元の書き付けを畳んだ。


ちよは、三人の息子を見た。


「どうしたの?」


宗直が答えた。


「……静かになりました」


「そうね」


光成が言った。


「あやがいないと、少し違うな」


三郎もうなずいた。


「何か、忘れたような気がします」


ちよは微笑んだ。


「忘れ物なら、きっと取りに来るわよ」


三人が母を見た。


「それに」


ちよは続けた。


「あやは、嫁いだからといって、急に静かになる子ではないでしょう」


光成が笑った。


「確かに」


三郎もうなずいた。


宗直も、ようやく口元を緩めた。


そのとき、門の方から声がした。


「あのう」


家人が顔を出す。


「時景様とあや様がお戻りです」


宗直が立ち上がった。


「何かあったのか」


光成も立つ。


「忘れ物か」


三郎が書き付けを開いた。


「何を忘れたのですか」


そこへ、あやが顔を出した。


「母上!」


「どうしたの?」


「姉上への手紙、置いてきてしまいました」


ちよは、少し笑った。


「ほらね」


あやは、兄たちを見た。


「何?」


光成が笑い始めた。


三郎は、書き付けを閉じた。


宗直は、深く息を吐いた。


時景が、あやの後ろから申し訳なさそうに頭を下げた。


「お騒がせしました」


ちよは、二人を見た。


「いいのよ。まだ出立したばかりでしょう」


あやは、手紙を受け取ると嬉しそうに笑った。


「では、今度こそ行ってまいります」


「ええ。行ってらっしゃい」


二人は、もう一度門を出た。


今度は、誰もすぐには動かなかった。


しばらくして、宗直が言った。


「……また戻ってくるかもしれませんね」


ちよは、笑った。


「そのときは、また迎えましょう」


二階堂家の末娘は、北条家へ嫁いだ。


けれど、二階堂家の賑やかさは、どうやら少しも減らないらしかった。



### 登場人物紹介


**北条時景(ほうじょう・ときかげ)/小太郎**

北条一門の若者。幼名は小太郎。建保六年(1218年)に元服し、時景と名乗る。荷の管理や商人とのやり取りに通じ、政治的な判断力や交渉能力にも優れる。あやと互いの気持ちを確かめ、この話で婚姻する。本作独自の架空の人物。


**二階堂あや(にかいどう・あや)**

直成とちよの末娘。銭や荷、船などに関心を持ち、疑問を見つけるとすぐに尋ねる。幼いころから親しい小太郎と婚姻し、北条家へ嫁ぐ。


**北条義時(ほうじょう・よしとき)**

北条時政の子で、北条政子の弟。鎌倉幕府の有力者。直成との約束を守り、時景とあやの婚姻を取り持つ。

挿絵(By みてみん)

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