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二階堂一族、鎌倉時代を賑やかに生きる。――亡き父親は転移者!  作者: これってなんだろう
第五部 父を知る人たちと、新しく増える家族 建保二年〜建保六年(1214〜1218年)
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第56話 しづは、行嗣の仕事ぶりと話し方を見る

建保四年(1216年)、鎌倉。


三郎がしづと初めて会ってから、十日ほどが過ぎた。


二階堂家では、朝から小さな騒ぎが起きていた。


「三郎兄上。今日は何度目ですか」


末の妹あやが、部屋の入り口から顔を出した。


「何がだ」


「髪を直すのです」


「まだ二度だ」


「三度目です」


「……数えていたのか」


「はい。三郎兄上の妹ですから」


三郎は手を止めた。


「それは関係ないだろう」


「あります。兄上が何かを数えていると、私も数えたくなるんです」


そこへ母のちよがやって来た。


「三郎。そろそろ出かけるのでしょう」


「はい。広元様のお屋敷へ参ります」


「今日は、しづもいらっしゃるのよね」


「……そう聞いております」


あやが笑った。


「母上、三郎兄上は今日、しづ様にお会いするんです」


「知っているわ」


「だから髪を三度も直したんです」


「それも知っているわ」


「母上!」


三郎が抗議すると、ちよは涼しい顔で答えた。


「だって、朝からずいぶん落ち着かないんですもの」


三郎は返事に困った。


ちよは息子の襟元を直してやった。


「三郎。今日は、お仕事ばかりしていてはいけませんよ」


「ですが、広元様から文書を確かめるようにと」


「それはきちんとなさい。でも、しづのお話も、きちんと聞くのよ」


三郎は少し考えた。


「……両方ですね」


「そう。両方」


あやが横から口を挟んだ。


「三郎兄上には、難しいお仕事ですね」


「お前は少し黙っていなさい」


ちよが笑った。


***


大江広元の屋敷では、朝から人の出入りが続いていた。


鎌倉幕府には、御家人と呼ばれる武士たちから、土地をめぐる訴えが持ち込まれる。


昔から自分の家が治めてきた土地だと主張する者。


先祖が褒美として与えられた土地だと主張する者。


同じ場所について、別々の言い分があることも珍しくない。


そうした争いを考えるためには、古い文書を読み、いつ、誰が、何を約束したのかを確かめる必要があった。


三郎は広元のもとで、その仕事を学んでいた。


「行嗣、来たか」


広元は三郎を見ると、机の上の文書を指した。


「これを見てくれ」


「はい」


「同じ土地について、二つの書き付けがある。だが、境の書き方が違う」


三郎は文書を並べた。


一方には、土地の東の境が川とある。


もう一方には、道と書かれていた。


「川と道……」


「どう思う」


「書かれた年が違います。川の流れが変わったのかもしれません」


「それで?」


「ただ、それだけでは決められません。川沿いに道があった可能性もあります」


広元はうなずいた。


「では、何を確かめる」


「ほかの文書と、土地を知る者の話です」


「よし」


広元は満足そうだった。


そのとき、廊下から声がした。


「失礼いたします」


しづだった。


淡い色の小袖を着て、文書を数枚抱えている。


「頼まれていたものをお持ちしました」


「おお、しづ。ちょうどよい」


広元は二人を見比べた。


「行嗣と一緒に、こちらも確かめてくれ」


「承知いたしました」


しづは三郎に向き直った。


「行嗣様。本日もよろしくお願いいたします」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


広元は二人の顔を眺めた。


「では、わしは別の用を済ませてくる」


三郎が顔を上げた。


「広元様は、ご一緒では?」


「二人でできるだろう」


「ですが、判断を仰ぎたいことが」


「判断は、わしが戻ってから聞こう」


広元は立ち上がった。


そして、しづに小声で言った。


「この男は、仕事を始めると周りが見えなくなる。よろしく頼む」


しづは、にっこり笑った。


「心得ました」


三郎は、そのやり取りを聞き逃さなかった。


「……何を心得たのですか」


「お仕事のことです」


しづは平然と答えた。


***


二人は縁側に近い明るい場所で、文書を広げた。


しづは文字を追いながら、三郎の仕事ぶりを見ていた。


三郎は一枚の文書を読むと、別の文書を取り寄せ、書かれた年月を確かめる。


少しでも分からないことがあれば、すぐには結論を出さない。


「行嗣様」


「はい」


「どうして、そこまで確かめるのですか」


「間違えると、土地を失う人がいるからです」


しづは筆を止めた。


「なるほど」


「文書が間違っていることもあります。それに、正しく書かれていても、今の様子とは違うかもしれません」


「それで、土地を知る人にも話を聞くのですね」


「はい」


しづは、しばらく三郎を見つめた。


「行嗣様は、誰にそのようなお考えを教わったのですか」


「父上です」


「直成殿に?」


「はい。父上は、分からないことを分からないままにするな、とよくおっしゃっていました」


「ほかには?」


「人の話は最後まで聞くこと。自分で見たことと、人から聞いたことを混ぜないこと。それから、間違えたら直せばよい、と」


しづは少し首をかしげた。


「……不思議ですね」


「何がですか」


「直成殿のお考えです」


三郎は驚いた。


「そうでしょうか」


「ええ。人の話を聞くことも、間違いを認めることも、大切だとは思います。でも、それを子どもにそこまで教える方は、あまり存じません」


三郎は考えた。


「父上は、私たちに何でも尋ねるように言っていました」


「何でも?」


「はい。父上が答えられないこともありましたが」


「そのときは?」


「一緒に考えてくださいました」


しづは黙った。


広元から聞いた直成の話を思い出していた。


少し変わった人物だったという。


けれど、人の話をよく聞き、身分や年齢だけで相手を判断しなかったとも聞いている。


目の前の三郎は、その父から教わったことを、何の疑問もなく話している。


この人にとっては、それが当たり前なのだ。


「……行嗣様」


「はい」


「お父上は、ずいぶん面白い方だったのでしょうね」


三郎は、うれしそうに笑った。


「はい。とても」


しづは、その笑顔を見て、自分も微笑んだ。


今、もっと知りたいのは、その父親に育てられた目の前の青年のことだった。


***


しばらくして、しづが一枚の文書を指した。


「行嗣様。こちらの文字は『下』でしょうか」


三郎がのぞき込んだ。


「そう思いますが……」


「私は『不』にも見えます」


「では、前後を確かめましょう」


二人は別の文書を読み始めた。


やがて、しづが声を上げた。


「あっ」


「どうしました」


「こちらに同じ言葉があります」


三郎は身を乗り出した。


「本当ですね」


「やはり『下』ですね」


「はい。よく見つけられました」


しづは少し得意そうに笑った。


「私の方が先でしたね」


「……競っていたのですか」


「いいえ?」


「では、なぜ先に見つけたと」


「事実を申し上げただけです」


三郎はしづを見た。


しづも三郎を見た。


そして、二人とも笑った。


「では、次は私が先に見つけます」


「望むところです」


しづは楽しそうに答えた。


ところが、次の文書を手に取った三郎に、しづが言った。


「行嗣様。そちらは先ほど読みました」


「そうでしたか」


「はい。三度目です」


「……三度」


「お仕事熱心なのはよいことですけれど」


しづは口元を押さえた。


「同じところを三度もお読みになるとは思いませんでした」


「念のためです」


「四度目も?」


「四度目は読みません」


「本当ですか?」


三郎は文書を裏返した。


しづが吹き出した。


「行嗣様、それでは文字が読めません」


「……分かっています」


「本当に?」


「しづ殿」


「はい」


「少し、からかっていませんか」


しづは、にっこり笑った。


「少しだけです」


***


昼を過ぎるころ、文書の整理は終わった。


三郎は確かめたことを書き留め、広元へ渡す準備をしていた。


しづはその横で、庭を眺めていた。


秋の風が、木々の葉を揺らしている。


「行嗣様」


「はい」


「少し、お庭を歩きませんか」


三郎の筆が止まった。


「庭を、ですか」


「ええ」


「何か確かめたいことが?」


しづは三郎を見つめた。


「……行嗣様」


「はい」


「何も確かめずに歩いても、よろしいのですよ」


三郎は黙った。


「ですが、広元様への報告が」


「先ほど、使いの方にお願いしました」


「いつの間に」


「行嗣様が同じ文書を三度読んでいらっしゃる間に」


「……また、その話ですか」


しづは笑った。


「行きましょう」


三郎は少しためらった。


すると、しづは縁側から振り返った。


「行嗣様。考えるのは、歩きながらでもできますよ」


三郎は、思わず笑ってしまった。


「分かりました」


***


二人は庭の小道を歩いた。


「行嗣様は、お休みの日には何をなさるのですか」


しづが尋ねた。


「本を読んだり、古い記録を整理したりします」


「……それは、お仕事では?」


「自分のために読んでいます」


しづは少し考えた。


「では、もっと別のことを」


「別のこと?」


「例えば、お好きな食べ物とか」


「食べ物ですか」


三郎は真剣に考え始めた。


しづは慌てて言った。


「お待ちください」


「何でしょう」


「そんなに難しく考えなくても」


「好きなものを一つに決めるのは、難しいと思います」


「では、三つでも」


三郎は指を折り始めた。


しづはこらえきれずに笑った。


「行嗣様」


「はい」


「私は試験をしているのではありませんよ」


「そうでしたか」


「ただ、行嗣様のことを知りたいのです」


三郎は、しづを見た。


しづは笑っていたが、その言葉は真面目だった。


「私のことを、ですか」


「はい」


「なぜでしょう」


しづは少しだけ頬を赤くした。


「それを、私に言わせるのですか」


三郎は、ようやく気づいた。


「あ……」


しづは顔をそらした。


「もう。行嗣様の負けです」


「また勝負ですか」


「ええ。今日は私の二勝ですね」


「一勝では?」


「文書で一勝。今ので一勝です」


「それは、どういう基準で」


「行嗣様」


「はい」


「そういうところですよ」


二人は顔を見合わせた。


そして、また笑った。


***


屋敷を出ようとしたところで、三郎は若い女房に声をかけられた。


「行嗣様。先日はありがとうございました」


「ああ、あの文書ですね。お役に立ててよかったです」


「おかげさまで、無事に片づきました」


女房は丁寧に頭を下げた。


三郎も笑顔で答えた。


少し離れたところで、しづがその様子を見ていた。


表情はいつもどおりだった。


ただ、三郎が女房に向けた笑顔を見たとき、ほんの少しだけ唇を結んだ。


そこへ、元気な声が響いた。


「三郎兄上!」


あやだった。


「お前、どうしたんだ」


「母上から、お使いを頼まれたんです。帰りに一緒に来るようにって」


「そうか」


あやは三郎の隣にいる女性に気づいた。


「あの……もしかして、しづ様ですか?」


「はい。あなたが、あや様ですね」


しづは丁寧に頭を下げた。


「行嗣様から、お話をうかがいました」


あやの顔が明るくなった。


「私のことをご存じなんですか!」


「ええ。とても賢くて、よく気がつく妹君だと」


「三郎兄上が、そんなことを?」


あやは兄を振り返った。


三郎は少し困った顔をした。


「……間違ったことは言っていない」


あやはうれしそうに笑った。


そのとき、先ほどの女房がもう一度三郎に声をかけた。


「あの、行嗣様。もう一つだけ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」


「はい。何でしょう」


三郎が女房の方へ向き直る。


しづは変わらず微笑んでいた。


けれど、あやは気づいた。


しづの視線が、三郎と女房の間を一度だけ行き来したことに。


そして、笑顔のまま、少しだけ口を結んだことにも。


あやは、しづの顔を見上げた。


「……しづ様」


「はい?」


「三郎兄上が、気になりますか?」


「え?」


しづの目が丸くなった。


「いえ、その……」


あやは女房と話している三郎を見た。


「兄上は、誰にでもあんな感じなんです」


「そうなのですね」


「女の人だから、特別に優しいわけじゃありません」


しづは、あやを見つめた。


あやはにっこり笑った。


「でも、しづ様とお話しするときは、いつもより楽しそうです」


「……そうなのですか?」


「はい。今朝なんて、髪を三度も直していました」


「三度も?」


「私が数えました」


しづは、とうとう笑ってしまった。


「行嗣様らしいですね」


「でしょう?」


あやは少し声を落とした。


「だから、心配しなくても大丈夫ですよ」


しづは一瞬、言葉を失った。


この少女は、いつから気づいていたのだろう。


しづは人の表情を読むのが得意だった。


それなのに、初めて会ったばかりの妹君に、自分の気持ちを見抜かれてしまった。


「……あや様は、よく人をご覧になっているのですね」


「三郎兄上の妹ですから!」


しづは笑った。


「では、私も見習わなければなりませんね」


「しづ様は、もう兄上のことをよくご存じなんでしょう?」


「いいえ。まだまだ知らないことばかりです」


しづは少し考えた。


「ですから、これから教えていただこうと思っています」


あやは満面の笑みになった。


「では、私がお教えします!」


「ぜひ、お願いいたします」


「まず、三郎兄上は何でも書き留めるんです」


「それは存じています」


「それから、考え始めると話を聞かなくなるんです」


「それも存じています」


「あと、食べ物を選ぶのにも時間がかかります」


「……それも、今日知りました」


二人は顔を見合わせて笑った。


そこへ三郎が戻ってきた。


「何の話をしていたんだ?」


あやとしづは顔を見合わせた。


「秘密です」


二人の声が重なった。


三郎は首をかしげた。


「……もう仲良くなったのか?」


「はい!」


あやが答える。


しづも微笑んだ。


「ええ。とても」


三郎は不思議そうだった。


しづは、その顔を見て、また笑った。


***


帰り際、しづは三郎に言った。


「今日は、とても楽しかったです」


「私もです」


「お仕事ばかりでしたのに?」


「しづ殿と一緒でしたから」


今度は、しづがすぐに答えられなかった。


隣であやが、にやにやしている。


しづは、あやをちらりと見た。


あやは何も言わなかった。


ただ、うれしそうに笑っている。


「……それは、うれしいです」


しづは三郎に向き直った。


「今度は、お仕事のない日にお会いしたいです」


「はい」


「文書も持たずに」


「はい」


「本当に?」


三郎は真面目に答えた。


「努力します」


しづは吹き出した。


「そこは、お約束してくださいませ」


「分かりました。約束します」


「では、楽しみにしております」


しづは丁寧に頭を下げた。


三郎も頭を下げた。


そして、あやと並んで歩き始めた。


少し進んだところで、あやが兄の袖を引いた。


「三郎兄上」


「何だ」


「しづ様、とても素敵な方ですね」


「そうだな」


「兄上に、お似合いだと思います」


三郎は返事をしなかった。


ただ、少しだけ顔を赤くした。


あやは、それを見て満足そうに笑った。


***


その日の夕方。


二階堂家では、ちよが三郎とあやの帰りを待っていた。


「お帰りなさい。どうだった?」


「仕事は無事に終わりました」


三郎が答えると、あやがすぐに口を挟んだ。


「母上! そういうことではありません!」


ちよは笑った。


「そうね。それで、しづとは楽しくお話しできた?」


「はい」


「何のお話をしたの?」


「文書のことと、庭のことと……食べ物のことです」


あやが吹き出した。


「食べ物のお話、したんですか?」


「した」


「何がお好きだと答えたんです?」


三郎は少し考えた。


「……結局、答えていない」


あやは声を上げて笑った。


「どうしてですか!」


「話が途中で変わったんだ」


ちよは、あやを見た。


「それで、あや。しづはどんな方だった?」


あやは少し考えた。


「とても賢くて、優しくて……」


そこで、にっこり笑った。


「三郎兄上のことが、大好きになりそうな方です」


「……あや!」


三郎が慌てて止めた。


ちよは笑いをこらえながら、息子を見た。


「三郎。あなたはどうなの?」


三郎は、しばらく黙った。


そして、静かに答えた。


「……また、お会いしたいと思っています」


ちよは、うれしそうにうなずいた。


「それなら、よかったわ」


あやは兄の顔を見上げた。


「次は、髪を何度直すんでしょうね」


「お前はもう数えるな」


「無理です。三郎兄上の妹ですから!」


ちよの笑い声が、部屋に響いた。


***


その夜。


三郎は机に向かっていた。


いつものように、今日の出来事を書き留めようとしたのである。


文書を読んだこと。


しづが先に文字を見つけたこと。


庭を歩いたこと。


あやとしづが、いつの間にか仲良くなっていたこと。


書こうと思えば、いくらでも書ける。


けれど、三郎が何度も思い出していたのは、しづの笑った顔だった。


「考えるのは、歩きながらでもできますよ」


あの言葉が、妙に耳に残っている。


三郎は筆を置いた。


そして、少し考えてから立ち上がった。


部屋の外へ出る。


庭には、秋の月が出ていた。


三郎はゆっくり歩き始めた。


今日は、何も確かめる必要がなかった。


ただ、次にしづと会える日が楽しみだった。


――――――――――


【人物紹介】


しづ


大江広元の遠縁にあたる家の娘。礼儀正しく聡明で、人の言葉や振る舞いをよく観察している。少し負けず嫌いで、親しくなると茶目っ気のある一面を見せる。

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