第55話 三郎は、縁談まで記録しようとする
建保四年(1216年)、鎌倉。
二階堂家の三郎は、少し困っていた。
困っている理由は、縁談である。
二十歳になった行嗣は、鎌倉で文書を扱う仕事をしていた。
父の直成に似たのか、何事も確かめなければ気が済まない。
土地の境界、年貢の取り決め、昔の約束。
人によって言うことが違えば、古い記録を調べる。記録がなければ、関係する人から話を聞く。
その慎重さは仕事では役に立った。
ところが、縁談となると話が違う。
「三郎。何をそんなに書いているの?」
母のちよが尋ねた。
三郎は筆を置いた。
「お相手について、分かっていることをまとめています」
「……縁談のお相手?」
「はい」
ちよは息子の前に置かれた紙を見た。
そこには、きちんと項目が並んでいた。
一、名前。
二、家柄。
三、年齢。
四、読み書きの心得。
五、本人の意向。
「五番目は大事ね」
「母上もそう思われますか」
「ええ。でも、三郎」
「はい」
「お相手の方に、その紙を見せるつもり?」
三郎は少し考えた。
「必要があれば」
「見せないでちょうだい」
母の返事は早かった。
* * *
縁談を持ってきたのは、大江広元だった。
広元は、鎌倉幕府の政治や文書の仕事を長く支えてきた人物である。
亡き直成殿とも深い縁があり、二階堂家の子どもたちの成長を気にかけていた。
今回紹介された娘の名は、しづ。
広元の遠縁にあたる家の娘で、読み書きに優れ、礼儀正しく、家の者からも頼りにされているという。
「よい娘だぞ」
広元はそう言った。
三郎はうなずいた。
「どのようなところが、でしょうか」
「……お前は、縁談でもそういう聞き方をするのか」
「知っておいた方がよいと思いまして」
広元はしばらく三郎を見つめた。
「会えば分かる」
「会う前に分かることもあるかと」
「会わねば分からぬこともある」
三郎は、その言葉を考えた。
もっともだと思ったので、紙に書き留めようとした。
「書くな」
広元に止められた。
* * *
縁談の話は、あっという間に家中に広まった。
「三郎が嫁をもらうのか!」
最初に騒いだのは光成だった。
「まだ決まっていません」
「相手はどんな娘だ」
「聡明で、礼儀正しい方だそうです」
「お前と同じではないか」
「私は礼儀正しいでしょうか」
「そこから確かめるな」
宗直は兄らしく、落ち着いた顔で話を聞いていた。
「三郎。相手の話をよく聞くんだぞ」
「もちろんです」
「仕事の話ばかりするなよ」
「仕事も大切な話題では?」
「そういうところだ」
その隣で、ふみが笑いをこらえている。
あやはもっと遠慮がなかった。
「三郎兄上、お相手がきれいな方だったら、どうするんですか」
「どうするとは?」
「見とれるとか」
「……そのようなことは」
「ないんですか?」
「まだお会いしていない」
「会ったらあるんですね」
「そうは言っていない!」
あやは満足そうに笑った。
ちよは台所の方から声をかけた。
「あや。兄上をあまり困らせないの」
「母上だって楽しそうですよ」
「それはそうよ」
三郎は、自分の味方が思ったより少ないことを知った。
* * *
数日後。
三郎は、しづと顔を合わせた。
場所は、縁談のために用意された静かな座敷だった。
庭には秋の草が揺れ、縁側から柔らかな光が差していた。
しづは、落ち着いた色の小袖を着ていた。
姿勢がよく、挨拶も丁寧だった。
「しづと申します。本日はお目にかかれて、うれしゅうございます」
「二階堂行嗣です。こちらこそ」
三郎は頭を下げた。
しづも頭を下げた。
そして、二人とも黙った。
庭で鳥が鳴いた。
三郎は、何か話さなければと思った。
しかし、仕事であればすぐに出てくる言葉が、今日はなかなか出てこない。
先に口を開いたのは、しづだった。
「行嗣様は、文書のお仕事をなさっているとか」
「はい。古い記録を調べることが多いです」
「お好きなのですか」
「好き、というのでしょうか。確かめることは大切だと思っています」
「では、分からないことがあると、気になりますね」
「とても」
しづは小さく笑った。
「それは大変ですね。世の中には、分からないことがたくさんありますもの」
三郎は思わず顔を上げた。
「そうなのです」
「同じ土地でも、人によって呼び名が違うことがあります。古い文書では別の名で書かれていたり、境界を示す木がなくなっていたり」
三郎はそこまで話して、はっとした。
縁談の席で土地の境界を語っている。
兄たちに注意されたばかりだった。
「申し訳ありません。つい仕事の話を」
「どうして謝るのですか」
しづは不思議そうに尋ねた。
「お好きなお話なのでしょう?」
「ですが、退屈ではありませんか」
「いいえ。私も、昔の文書を読むのは好きです」
「本当ですか」
「ええ。ただ……」
しづは少し首をかしげた。
「木がなくなっていたら、近くに住む人に聞けばよいのではありませんか」
「もちろん聞きます。しかし、人の記憶は違うこともあります」
「では、文書も人の話も、両方確かめるのですね」
「はい」
「なるほど。手間のかかるお仕事ですね」
しづは感心したようにうなずいた。
そして、少しだけいたずらっぽく笑った。
「行嗣様は、私のことも何かお調べになりましたか」
三郎は固まった。
しづはその顔を見て、目を丸くした。
「……まさか、本当に?」
「いえ、その」
「お調べになったのですね」
「広元様から、お話をうかがいました」
「どのような?」
「読み書きがお得意で、礼儀正しく、聡明な方だと」
「それは困りました」
「何がでしょう」
「そのように立派な娘だと思われていたら、失敗できませんもの」
しづは笑っていた。
三郎は真面目に答えた。
「失敗しても、確かめ直せばよいと思います」
しづの笑顔が、少し変わった。
「……そういうお考えなのですね」
「はい。私も間違えることはありますから」
「行嗣様も?」
「もちろんです」
「少し安心しました」
「なぜでしょう」
「何でも正しくなさる方だったら、私の方が緊張してしまいます」
三郎は首をかしげた。
「私は、先ほどから緊張しています」
しづは一瞬、きょとんとした。
それから、声を立てて笑った。
「そうでしたの?」
「はい」
「まったく、そのようには見えませんでした」
「そうでしょうか」
「ええ。土地の境界のお話をなさっているときは、とても楽しそうでした」
三郎は返す言葉を失った。
しづは、また笑った。
* * *
やがて、二人の前に菓子が運ばれてきた。
しづは礼を言い、三郎にも勧めた。
三郎が菓子に手を伸ばすと、しづが尋ねた。
「ところで、行嗣様」
「はい」
「私にも、一つお尋ねしてよろしいでしょうか」
「もちろんです」
「今日、私とお会いになる前に、何かご用意なさいました?」
三郎の手が止まった。
「……少し」
「少し?」
「お聞きしたいことを、いくつか」
「紙に?」
三郎は黙った。
しづは口元を袖で隠した。
「当たりました」
「どうして分かったのですか」
「先ほどから、何かお尋ねになるたびに、少し考えていらっしゃるので」
「それだけで?」
「ええ」
三郎は感心した。
「よく見ておられますね」
「行嗣様ほどではありません」
「いえ、私はそのようなことには気づきませんでした」
「では、今日は私の勝ちですね」
「……勝ち、ですか?」
しづは、しまったという顔をした。
ほんの一瞬だった。
すぐに、いつもの上品な笑顔に戻る。
「失礼いたしました。つい」
三郎は、思わず笑った。
しづは少し驚いたようだった。
「何か、おかしなことを申しましたか」
「いえ。勝ち負けを考えておられるとは思わなかったので」
「……お嫌ですか」
「いいえ」
三郎は少し考えてから続けた。
「私も、負けるのは好きではありません」
しづの目が輝いた。
「では、次は負けません」
「何を競うのでしょう」
「それは、これから考えます」
二人は顔を見合わせた。
そして、また笑った。
* * *
帰り際、しづは三郎に尋ねた。
「行嗣様。今日は、お聞きになりたかったことを全部聞けましたか」
三郎は少し考えた。
用意していた質問の半分も聞いていなかった。
だが、不思議と困っていなかった。
「いいえ。まだ、たくさんあります」
「それでは困りましたね」
「はい」
「では……」
しづは少しだけ間を置いた。
「また、お話しする機会があればよいですね」
三郎は顔を上げた。
しづは、先ほどと同じ礼儀正しい笑顔を浮かべている。
けれど、三郎には、その目が少し楽しそうに見えた。
「……はい」
今度は、考えるより先に返事が出た。
「ぜひ、またお会いしたいです」
しづは一度まばたきをした。
それから、ゆっくり頭を下げた。
「私も、そう思います」
* * *
家に帰ると、あやが待ち構えていた。
「三郎兄上!」
「何だ」
「どうでした?」
「何が」
「お相手です!」
「礼儀正しく、聡明な方だった」
「それは聞きました。兄上はどう思ったんですか」
三郎は答えに詰まった。
光成まで顔を出した。
「おお、帰ったか。どうだった」
「兄上まで」
宗直もやって来た。
「三郎。無事に話せたか」
「はい」
「仕事の話ばかりしなかったか」
「……少ししました」
「少し?」
「土地の境界について」
光成が吹き出した。
「縁談で土地の境界か!」
「仕方がないでしょう。話の流れで」
「どんな流れだ!」
そこへ、ちよがやって来た。
「それで、三郎」
「はい」
「また、お会いしたいと思った?」
三郎は母を見た。
兄たちも、あやも、答えを待っている。
逃げ道はなかった。
「……はい」
あやが歓声を上げた。
光成は三郎の背中をたたき、宗直はほっとしたように笑った。
ちよだけは、息子の顔を静かに見ていた。
「そう。よかったわね」
三郎は照れくさくなって、部屋へ戻った。
机の上には、出かける前に書いた紙があった。
名前、家柄、年齢、読み書きの心得、本人の意向。
三郎は筆を取った。
今日分かったことを、書き足そうとした。
しづは、よく笑う。
人の話をきちんと聞く。
少し負けず嫌いらしい。
そして――。
三郎は筆を止めた。
最後の一つは、何と書けばよいのだろう。
しばらく考えた末、紙を裏返した。
今日は、もう書かなくてもよい気がした。
ただ、もう一度会いたかった。
その気持ちだけは、確かめ直す必要がなかった。
――――――――――
【人物紹介】
しづ
大江広元の遠縁にあたる家の娘。礼儀正しく聡明だが、少し負けず嫌いな一面もある。
大江広元
鎌倉幕府の政治を支えた実在の人物。二階堂家と深い縁を持ち、三郎にしづとの縁談を紹介する。




