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二階堂一族、鎌倉時代を賑やかに生きる。――亡き父親は転移者!  作者: これってなんだろう
第五部 父を知る人たちと、新しく増える家族 建保二年〜建保六年(1214〜1218年)
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幕間23 ちよは、娘が生まれて家の空気が変わるのを見る

建久四年(1193年)、鎌倉。


二階堂家に、三人目の子どもが生まれた。


女の子だった。


ちよは、腕の中の小さな顔を見つめた。


目を閉じている。


鼻も小さい。


口も小さい。


手など、もっと小さい。


それなのに、ときどき驚くほど大きな声で泣いた。


「元気ですね」


直成さんが言った。


「あなたに似たのではありませんか」


「私は、こんなに泣きません」


「赤子のころを覚えているのですか」


「……覚えていません」


「では、分からないでしょう」


「はい」


直成さんは素直に認めた。


ちよは笑った。


「まつ」


もう一度、娘の名前を呼んでみる。


まつ。


二人で考えて決めた名前だった。


まだ何者でもない、小さな女の子。


けれども、その子が一人加わっただけで、家の中が少し変わったように感じた。


そして、その変化を誰より大きく受け止めたのが、二人の兄だった。


*


「母上」


太郎が部屋の入口から顔を出した。


「入ってもよいですか」


「いいですよ」


太郎は、そろそろと入ってきた。


その後ろから、次郎も顔を出した。


「僕も」


「次郎もどうぞ」


二人は並んで、ちよの前へ来た。


ちよの腕の中では、まつが眠っている。


二人とも黙った。


「どうしたの?」


「……小さいです」


太郎が言った。


「そうね」


次郎は、まつの顔をじっと見ている。


近い。


「次郎」


「はい」


「近いですよ」


次郎は少しだけ顔を離した。


それでも近い。


太郎が妹を見ながら尋ねた。


「母上」


「なあに」


「落としたら、どうなるのですか」


「落とさないでください」


「はい」


太郎の顔が急に真剣になった。


「では、私は抱かない方がよいです」


ちよは少し驚いた。


「抱きたくないの?」


「抱きたいです」


「では、どうして?」


「私が失敗したら、まつが困ります」


ちよは、太郎の頭をなでた。


「では、座って抱いてみますか」


「座って?」


「私がそばにいます」


太郎はしばらく考えた。


「それなら」


ちよは布を整え、太郎を座らせた。


その腕に、そっとまつを預ける。


太郎の体が固まった。


「母上」


「はい」


「動きました」


「赤子ですから」


「どうすればよいですか」


「そのままで大丈夫」


「本当に?」


「本当に」


太郎は息まで小さくして、妹を抱いていた。


そこへ次郎が顔を近づけた。


「兄上」


「何だ」


「まつ、兄上の指をつかんでる」


太郎が下を見る。


小さな手が、太郎の指を握っていた。


「……母上」


「はい」


「離しません」


「握っているのね」


「どうしましょう」


「そのままでいいでしょう」


太郎は困ったような、それでいて少しうれしそうな顔をした。


「仕方ありませんね」


ちよは笑いそうになった。


六歳の兄が、生まれたばかりの妹に指を握られて、


仕方がない。


と言っている。


どう見ても、うれしいのである。


*


次は次郎だった。


「僕も抱く」


「次郎は、じっとしていられる?」


「いられる」


「本当に?」


「たぶん」


「たぶんでは困ります」


「じゃあ、いる」


次郎も座らせた。


ちよがまつを抱かせる。


次郎は妹を見た。


じっと見る。


太郎とは違って、怖がってはいない。


むしろ、不思議そうだった。


「母上」


「なあに」


「どうして手を握るの?」


「赤子だからでしょう」


「どうして赤子は握るの?」


「さあ」


次郎はまつの手に自分の指を近づけた。


まつの手が動いた。


指を握った。


「あ」


次郎の顔が明るくなった。


一度、指を抜く。


また近づける。


また握る。


「次郎」


「はい」


「遊ばないの」


「遊んでないよ。確かめてる」


「何を?」


「もう一回やっても握るか」


ちよは次郎を見た。


やはり、この子はそういうところがある。


何かを見つけると、自分で確かめたくなる。


「赤子で試さないでください」


「はい」


次郎は残念そうだった。


*


直成さんが部屋へ入ってきた。


「どうですか」


「父上」


太郎が振り向いた。


「まつは、私の指を握りました」


「そうか」


「かなり強いです」


「それは頼もしい」


次郎も言った。


「僕の指も握った」


「そうか」


「何回やっても握るか調べようとしたら、母上に止められた」


「それは止められるだろうな」


「どうして?」


「まつは調べ物ではないからだ」


「でも、不思議でしょう」


「不思議ではある」


直成さんは、まつの顔をのぞき込んだ。


「小さいな」


太郎が言った。


「父上」


「何だ」


「まつは、いつ大きくなりますか」


「少しずつだ」


「いつ私くらいになりますか」


「ずいぶん先だな」


太郎は考えた。


「では、それまでは私が守ります」


直成さんは太郎を見た。


「そうか」


「はい」


すると次郎も言った。


「僕も守る」


「二人で?」


「はい」


「それなら安心だな」


太郎は胸を張った。


次郎もうなずいた。


まつだけが、何も知らずに眠っていた。


*


それから、二階堂家では少し妙なことが起き始めた。


太郎が静かになった。


正確には、まつが眠っているときだけ静かになった。


「次郎、走るな」


「どうして?」


「まつが起きる」


「まだ起きてない」


「起きてからでは遅い」


「でも兄上も歩いてる」


「私は静かに歩いている」


「足の音してるよ」


「お前より小さい」


二人が言い争い始める。


そして、その声でまつが泣く。


「ほら!」


「兄上もしゃべったからだよ!」


「お前が――」


「二人とも」


ちよが言う。


二人とも黙る。


まつは泣き続ける。


直成さんが、書き物を持ったまま部屋から顔を出した。


「どうした」


太郎と次郎が同時に父を指さした。


「父上の声が大きい!」


「僕か?」


「まつが起きました」


「もう起きていたような気がするが」


「父上も静かにしてください」


直成さんは黙った。


家の中で一番小さい人間が、一番大きな力を持っていた。


*


数日すると、太郎は妹の世話をしたがるようになった。


「母上、布を持ってきます」


「ありがとう」


「水はいりますか」


「今は大丈夫」


「寒くありませんか」


「大丈夫ですよ」


「本当に?」


「太郎」


「はい」


「少し座っていてもいいのよ」


「でも、まつが困ります」


「まつは今、寝ています」


太郎は眠っている妹を見た。


「では、起きたら呼んでください」


「分かりました」


太郎は部屋を出た。


その直後、次郎が入ってきた。


「母上」


「なあに」


「まつは、いつしゃべるの?」


「まだ先ですね」


「いつ歩くの?」


「それもまだ先」


「歯は?」


「まだです」


「何ができるの?」


ちよは、まつを見た。


「泣くことと、眠ることと、お乳を飲むことかしら」


次郎は驚いた。


「それだけ?」


「それだけ」


「それでいいの?」


ちよは少し考えた。


「いいのよ」


「どうして?」


「赤子だから」


次郎はしばらく妹を見ていた。


「何もできなくてもいいの?」


「ええ」


「ふうん」


次郎は、それがずいぶん不思議らしかった。


*


夜。


三人の子どもが眠ったあと。


直成さんとちよは、並んでまつの寝顔を見ていた。


太郎と次郎は、もう眠っている。


家の中が静かだった。


「直成さん」


「はい」


「女の子でしたね」


「そうですね」


「うれしいですか」


「もちろん」


「太郎や次郎のときと違います?」


直成さんは考えた。


「同じですね」


「同じ?」


「無事に生まれてきてくれて、よかったと思っています」


ちよは笑った。


「そういう意味ではありません」


「では?」


「女の子ですよ」


「はい」


「いずれ、お嫁に行くのでしょう」


直成さんは、眠っているまつを見た。


「それは、まだ分からないでしょう」


ちよは夫を見た。


「分からない?」


「はい」


「女の子ですよ」


「女の子ですね」


「でしたら、どこかのお家へ嫁ぐのでしょう?」


「本人が嫁ぎたいなら」


ちよは黙った。


少し考えてから聞いた。


「嫁ぎたくないと言ったら?」


「なぜ嫁ぎたくないのか、聞きます」


「聞くのですか」


「本人のことですから」


ちよは、ますます不思議になった。


「では、太郎は?」


「太郎?」


「この家を継ぐのでしょう」


直成さんは、また考えた。


「それも、本人と話さないと」


「長男ですよ」


「はい」


「二階堂の家ですよ」


「はい」


直成さんは、そこまで答えてから首をかしげた。


「でも、家のために太郎がいるわけではないでしょう」


ちよは返事をしなかった。


直成さんが、ときどきこういうことを言うのを知っている。


初めて聞いたときには、何を言っているのか分からなかった。


今でも、全部分かるわけではない。


「では、誰も家を継ぎたくないと言ったら?」


ちよが聞いた。


「困りますね」


「困るのですね」


「それは困ります」


直成さんはあっさり認めた。


「でも、困るからといって、その子の一生をこちらで決めてよいことにはならないでしょう」


「二階堂の家がなくなっても?」


直成さんは少し黙った。


ちよは、さすがにそこでは迷うのだろうと思った。


ところが、返ってきた答えは違った。


「なくなるときは、なくなるでしょう」


「……よいのですか?」


「寂しくはあります」


直成さんは言った。


「でも、家を残すために子どもがいるわけではありませんから」


ちよは、眠っているまつを見た。


「変わったことを言いますね」


「そうですか」


「普通は、家を残したいものではありませんか」


「僕も、残ればうれしいですよ」


「でしょう?」


「でも、それは結果でしょう」


「結果?」


「太郎がここに残りたいと思う。次郎もここで何かをしたいと思う。まつも帰ってきたいと思う。そうして残るなら、うれしいです」


直成さんは、まつの小さな手を見た。


「でも、この子たちを家に縛りつけて残った家なら、僕はあまりうれしくない」


ちよは、夫の横顔を見た。


「では、何を残したいのです?」


直成さんは困った顔をした。


「難しいですね」


「家ではないのでしょう?」


「家も残ればうれしいです」


「土地は?」


「それも残れば助かります」


「では、何です?」


直成さんはしばらく考えた。


「この子たちが、自分で生きていけるようになれば、それでいいのかもしれません」


「それだけ?」


「はい」


「ずいぶん欲がありませんね」


「そうでしょうか」


「もっとありませんか。二階堂家を大きくするとか」


「ないですね」


「即答ですね」


「はい」


ちよは笑った。


「では、偉くなってほしいとか」


「本人がなりたいなら」


「よい家へ嫁いでほしいとか」


「本人が嫁ぎたいなら」


「よい役目についてほしいとか」


「本人がやりたいなら」


「全部、本人なのですね」


「本人の人生ですから」


ちよは、少しあきれた。


「あなたの育ったところでは、みんなそうなのですか」


直成さんの顔が止まった。


「……どうでしょう」


「また、それですか」


「いろいろな家がありましたから」


「では、あなたがそう思っているだけ?」


直成さんは少し考えてから、うなずいた。


「たぶん、そうです」


その答えを聞いて、ちよはなぜか安心した。


遠いどこかの決まりを持ち込んでいるのではない。


この人が、自分でそう考えているのだ。


「では、この子はどう育てます?」


ちよはまつを見た。


直成さんも見る。


「太郎と同じです」


「女の子なのに?」


「同じ子どもですから」


「次郎とも?」


「はい」


「何を教えるのです?」


「考えること」


「ほかには?」


「人の話を聞くこと」


「ほかには?」


「分からないことを、分かったふりをしないこと」


ちよは笑った。


「あなたの好きなものばかりですね」


「そうですね」


「それでは、あなたと同じ人になってしまいますよ」


直成さんは首を横に振った。


「それは困ります」


「どうして?」


「五人も僕がいたら、うるさいでしょう」


「まだ三人です」


「そうでした」


ちよは笑った。


直成さんも笑った。


その声に反応したのか、まつが小さく動いた。


二人とも黙る。


まつは少し顔をしかめた。


泣くかと思ったが、そのまま眠った。


「この子は、この子ですね」


直成さんが言った。


「そうですね」


「何になるかは、まだ分からない。どこで暮らすかも、誰と暮らすかも」


「はい」


「なら、今から決めなくてもいいでしょう」


ちよは、まつの頬に触れた。


「ずいぶん先の話ですものね」


「ええ」


「そのとき、本人に聞く?」


「はい」


「嫌だと言ったら?」


「なぜ嫌なのか聞きます」


「それでも嫌だと言ったら?」


直成さんは少し考えた。


「別の道を一緒に考えます」


ちよは夫を見た。


この人は、本当に家にこだわらない。


二階堂という名にも、土地にも、子どもたちの将来にも、何も思わないわけではない。


大切にはしている。


ただ、それより先に、人を見る。


家を残すために子どもがいるのではない。


子どもが生きる場所として、家がある。


直成さんにとっては、どうやら順番が逆なのだった。


*


翌朝。


まつが泣いた。


太郎が走ってきた。


「母上、まつが泣いています!」


その後ろから次郎も来た。


「どうして泣いてるの?」


「今から見ます」


「お腹がすいたのですか」


太郎が聞く。


「そうかもしれません」


「寒い?」


次郎が聞く。


「それも確かめましょう」


「痛いのですか」


「まだ分かりません」


太郎と次郎は、妹の左右に座った。


二人とも心配そうな顔をしている。


直成さんもやってきた。


「どうした」


「まつが泣いています」


太郎が言った。


「それは大変だ」


直成さんも座った。


ちよは三人を見た。


太郎は、何かあれば自分が守ろうとする。


次郎は、なぜそうなっているのかを知ろうとする。


同じ家で育った兄弟なのに、もう違う。


そして、この小さな娘も、きっと二人とは違う人になる。


ちよは、まつを抱き上げた。


「大丈夫ですよ」


誰に言ったのか、自分でも分からなかった。


まつに。


太郎に。


次郎に。


それとも、自分自身に。


三人の子どもがいる。


三人とも違う。


だから、三人とも同じところへ向かわせる必要はないのかもしれない。


同じ家に生まれても、


同じ人生を生きる必要はない。


直成さんは、そう考えている。


ちよには、まだ少し変わった考えに思えた。


けれども、三人の子どもを見ていると、少しだけ分かる気もした。


太郎が言った。


「母上」


「なあに」


「まつは、私たちのことが分かるようになりますか」


「なりますよ」


次郎が聞いた。


「いつ?」


「そのうち」


「そのうちって、いつ?」


「分かりません」


次郎は不満そうだった。


太郎は妹を見て言った。


「早く大きくなるといいですね」


ちよは首を横に振った。


「そんなに急がなくてもいいのよ」


「どうして?」


ちよは腕の中の娘を見た。


「この子には、この子の速さがあるから」


二人の兄は、まだよく分からない顔をしていた。


まつは、そんな兄たちのことなど知らず、母の腕の中でまた眠り始めた。



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