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二階堂一族、鎌倉時代を賑やかに生きる。――亡き父親は転移者!  作者: これってなんだろう
第五部 父を知る人たちと、新しく増える家族 建保二年〜建保六年(1214〜1218年)
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第52話 あやは、一枚の銭と小太郎の笑顔を追う

――建保四年(1216年)、鎌倉。


 朝、あやは銭を一枚見ていた。


 丸い銭だった。真ん中に四角い穴が開いている。表と裏を返しても、鎌倉で作られたものにはならない。


「母上」


「何?」


「これ、宋のお金なんでしょう?」


 ちよは朝の支度をしながら振り返った。


「そういう銭も多いですね」


「なんで鎌倉で使えるの?」


「皆が受け取るからでしょう」


「どうして受け取るの?」


 ちよの手が止まった。


「三郎に聞いてみてください」


「母上、分からないの?」


「ええ」


 返事がはっきりしていたので、あやはそれ以上聞けなかった。


     *


 行嗣は文書を読んでいた。


 あやは、その前へ銭を置いた。


「三郎兄上」


「何です?」


「どうして宋の銭が、鎌倉で使えるの?」


 行嗣は銭を手に取り、少し考えた。


「受け取った人が、次の買い物でも使えるからでしょうか」


「では、次の人はどうして受け取るの?」


「その人も、また使えると思うからでしょう」


「ずっと?」


 行嗣は黙った。


 あやは兄の顔をのぞいた。


「三郎兄上も、分からない?」


「少し、考えさせてください」


「どれくらい?」


「今、読みかけているものが終わるまで」


 あやは文書を見た。


 長かった。


「では、先に見てくる」


「何を?」


「銭を使うところ」


 行嗣は、妹へ銭を返した。


「一人では行かないでくださいね」


     *


 昼前、小太郎が二階堂家へ来た。


 義時と結びつきの深い北条一門の家の息子で、あやより少し年下だった。幼いころに両家の間で縁談が整えられてから、家の用事や訪問で何度も顔を合わせている。


 近ごろは父に代わって用向きを伝えに来ることも増えた。


 小太郎は宗直へ文を渡し、返事が必要なことを順に伝えた。宗直が途中で尋ねても、すぐに答える。聞いていないことには、確かめてから伝えると言った。


 あやは廊下で待っていた。


 小太郎は、何でも早い。


 用事を聞くのも、覚えるのも、済ませるのも。


 ただ、面白かったのか、つまらなかったのかは、顔を見ても分かりにくい。


 宗直との話が終わると、あやは戸口から顔を出した。


「小太郎」


「何?」


「まだ用がある?」


「父上へ返事をする」


「その前は?」


「帰る」


「その前」


 小太郎があやを見た。


「ここから出る」


「そういうことではないの」


 宗直が笑った。


 小太郎は、あやの手にある銭へ目を落とした。


「何か買いに行くの?」


「使うところを見たい」


「銭を?」


「うん。宋の銭なのに、鎌倉でも使えるでしょう。どうしてか、見てくる」


 小太郎は、銭を一度見ただけだった。


「使えるなら、困らないだろう」


「困ってはいないよ」


「では、何を知りたいの?」


「だから、どうして使えるのか」


 二人はしばらく顔を見合わせた。


 小太郎は小さく息を吐いた。


「また、難しいことを考えてる」


「またって何」


「前は、器を誰が作ったのか聞いてた」


「まだ、分からないよ」


「覚えてるの?」


「小太郎だって、覚えてるでしょう」


 小太郎は口を閉じた。


 宗直が、もう一度笑った。


     *


 光成は、その日も外へ用があった。


 あやがついていくと言い、小太郎も一緒に出ることになった。


「お前はいいのか」


 光成が小太郎へ尋ねた。


「夕方までに戻れば」


「長くなるぞ」


「次郎兄上」


 あやが口を挟んだ。


「まだ何も聞いていないでしょう」


「家で、もう聞いていた」


 小太郎が横を向いた。


 あやは、その顔を見ようとした。


「今、笑った?」


「笑ってない」


「笑ったでしょう」


「前を見て歩いた方がいい」


 光成がうなずいた。


「それは、その通りだ」


 あやは前を向いた。


 少しして、また小太郎を見た。


 今度は、向こうが先に気づいた。


「まだ見てる」


「確かめただけ」


「何を」


「笑ってないか」


 小太郎の口元が、少しだけ動いた。


     *


 魚を売る人がいた。


 買いに来た人が銭を渡し、魚を受け取った。


 その隣では布が売られている。こちらでも、銭と品物が取り替えられていた。


 あやは立ち止まった。


「魚と布って、全然違う物でしょう」


「うん」


 小太郎が答えた。


「でも、どちらも銭で買える」


「そうだね」


「魚を持って、布を買いに行かなくていいんだ」


 小太郎が、あやへ顔を向けた。


「どういうこと?」


「魚と布を取り替えるなら、魚が欲しい人を探すでしょう。その人が布を持っていなかったら、取り替えられない。でも、魚を売って銭にすれば、その銭で布を買える」


 あやは二人の売り手を交互に見た。


「布を売る人が、魚を欲しくなくてもいい」


 小太郎も、同じ方を見た。


「……そうか」


 あやは振り向いた。


「今のは、分かった?」


「分かった」


「面白いでしょう」


 小太郎は、すぐには答えなかった。


 魚を買った人が、残った銭を懐へ入れて歩いていく。


「あの人、次は何を買うんだろう」


 小太郎が言った。


 あやの顔が明るくなった。


「見てみる?」


「ついていくのは駄目だろう」


「聞く?」


「知らない人を、呼び止めるの?」


 あやは少し考えた。


「では、私たちが買うときに見る」


「その方がいい」


 光成が後ろから言った。


「まず、俺の用を済ませてくれ」


 二人は振り返った。


 光成は、少し先まで進んでから戻ってきていた。


     *


 光成の用を済ませると、あやは器を売るところで足を止めた。


 青みのある器が並んでいた。


「小太郎の家にあったものに、似てる」


「家のは、もっと小さい」


「白いのもあったね」


「そちらは、まだあるよ」


 あやは小太郎を見た。


「緑のは?」


「欠けた」


「落としたの?」


「兄弟が」


 小太郎の返事が少し遅れた。


 あやは目を細めた。


「小太郎でしょう」


「どうして」


「急に、声が小さくなった」


 光成が笑った。


 小太郎は、並んだ器へ顔を向けた。


「昔の話だよ」


「では、やっぱり」


「器を見るんじゃなかったの?」


「見るよ」


 あやは笑いながら、売り手へ尋ねた。


「これ、宋から来たもの?」


「そう聞いているよ」


「いくら?」


 値を聞いて、あやは手元の銭を見た。


「これでは、買えないね」


「一枚ではな」


 男は笑った。


 あやは器へ目を戻した。


「海を渡ってくるから、高いの?」


「船に乗せる者も、ここまで運ぶ者もいるからね」


「その人たちも銭をもらう?」


「仕事だからな」


 あやは器の縁を目で追った。


 作る人。船へ積む人。海を渡る人。降ろす人。また運ぶ人。


 自分が見ているのは、ここへ届いた最後のところだけだった。


「途中で割れたら?」


「売り物にならないものも出る」


「それでも、運んだ人へ払うの?」


 男は、取引の約束によると答えた。


 あやが次の問いを口にしかけると、横から別の客が器を指した。


 小太郎が、そっとあやの袖へ触れた。


「こちらへ寄ろう」


 二人で場所を空けた。男は客へ向き直り、器を取り上げた。


 あやは小太郎を見た。


「聞きすぎた?」


「まだ聞きたいことがありそうだけど」


「ある」


「では、あの人の買い物が終わってから」


「待っていてくれる?」


「うん」


 返事が早かった。


 あやは少し黙った。


 兄たちなら、まだあるのか、と言うところだった。


 小太郎は売り手の手元を見ている。あやを急かす様子はなかった。


「退屈ではない?」


 あやが尋ねた。


 小太郎は顔を戻した。


「さっきまでは、器の値段だけ聞けば済むと思ってた」


「今は?」


「割れた分を、誰が困るのかは考えたことがなかった」


 あやは、小太郎の隣へ並び直した。


「では、二人で聞こう」


「先に、何を聞くか決めて」


「多いから?」


「途中で忘れそうだから」


「小太郎でも?」


「全部は、覚えられないよ」


 あやは笑った。


 小太郎も、今度は隠さず笑った。


     *


 帰り道、小太郎が先に尋ねた。


「結局、その銭は使わないの?」


 あやは手を開いた。


「今日は、使うところを見ただけ」


「ずっと持ってる」


「明日でも使えるでしょう」


「多分ね」


「魚は、明日まで持っていたら悪くなるかもしれない。でも、魚を売って銭にすれば、明日、違う物を買える」


 小太郎は歩きながら聞いていた。


「後で使う分を、取っておけるんだね」


 あやが言った。


「そうだね。でも、値段が変わったら、同じだけは買えないかも」


「あ」


 あやは銭を見つめた。


 小太郎が歩く速さを落とした。


「どうしたの?」


「銭は同じなのに、買える物は変わるんだ」


「米の値だって、いつも同じではないよ」


「また分からないことが増えた」


 小太郎が笑った。


 あやは、その顔を見た。


「何?」


「困った顔をしていないから」


「分からないのは、困るよ」


「でも、嬉しそう」


 あやは頬に手を当てた。


「そんな顔をしてる?」


「してる」


 少し先を歩いていた光成が振り返った。


「昔からだ」


「次郎兄上には聞いてない」


 光成は笑って前を向いた。


 あやは、もう一度小太郎を見た。


「変?」


「何が?」


「分からないことが増えて、嬉しいの」


 小太郎は少し考えた。


「私は、用が増えたと思う」


「そうでしょうね」


「でも、あやはすぐ、次を見に行くでしょう」


「見たいから」


「それを見てると、私も確かめたくなる」


 あやは返事をしなかった。


 銭を握り直した。


 器のことでも、魚のことでもなかった。小太郎が、自分のことを話していた。


 何か返した方がよい気がしたのに、こういうときに限って、言葉が出てこない。


「……また、一緒に行く?」


「うん」


 小太郎は答えたあと、少し付け足した。


「用を済ませてからね」


 あやは笑った。


「そこは、忘れないんだ」


「忘れたら、次に出られなくなる」


     *


 二階堂家の門の前で、小太郎は父への返事を思い出した。


「今日は、ここまで」


 あやはうなずいた。


「次に来たら、今日の続きを話していい?」


「いいよ」


「また長くなるかもしれない」


「今日も、短くはなかった」


「嫌だった?」


 小太郎は、あやを見た。


「嫌なら、器のところで帰ってる」


 あやは目を丸くした。


「帰るつもりだったの?」


「そういう話じゃない」


 小太郎は少し困った顔をした。


 あやが笑うと、小太郎も笑った。


「では、また」


「うん。また」


 小太郎が歩き出すと、あやは門の内側から見送った。


 数歩先で、小太郎が振り返った。


「次は、私の用にも付き合ってよ」


「何の用?」


「まだ、決まってない」


「では、決まったら教えて」


 小太郎はうなずいた。


 あやも、もう一度うなずいた。


     *


 夕食のとき、宗直が尋ねた。


「今日、何か買ったのか」


「買ってない」


「では、何をしてきた」


「見た。聞いた。考えた」


 光成が添えた。


「小太郎まで、最後は売り手に尋ねていたぞ」


 宗直が顔を上げた。


「あの小太郎が?」


「器が割れたら、誰の損になるのかと」


 行嗣があやを見た。


「銭の話から、そこまで行ったんですか」


「値段を聞いたら、運ぶ人の話になったの」


 ふみが笑った。


「小太郎殿も、帰るころには問いが増えたのね」


「うん」


「また、一緒に見に行く」


 ちよが、あやの顔を見た。


「楽しかった?」


「楽しかった」


「銭のことが?」


 あやは答えかけて、止まった。


 小太郎が笑ったところを思い出した。


 兄たちの前では、用向きを伝えてすぐ帰る。その小太郎が、今日は器の前で待ってくれた。あやの話を聞くだけではなく、自分から尋ねた。


「……いろいろ」


 ちよは、それ以上聞かなかった。


 ふみが宗直へ何か言いかけたので、あやは先に行嗣へ向き直った。


「三郎兄上、朝の続きは?」


「銭の話ですね」


「受け取った人が、次にも使えると思うから受け取るのでしょう」


「そう考えました」


「では、次の人も?」


「ええ」


 あやは、膳のそばに置いた銭を見た。


 宋から来た銭を、鎌倉の人が受け取る。その人が、また誰かへ渡す。


「銭って、約束みたい」


 宗直が尋ねた。


「約束?」


「次にも、これで何か買えると思って受け取るから」


 行嗣は少し考えた。


「そういう見方もできますね」


 あやは銭を手元へ寄せた。


 次に小太郎へ話すことが、一つ増えた。


     *


 夜、あやは銭を小さな布で包んだ。


 幼いころは、器を包むだけでも手伝ってもらった。今は、自分で結べる。


 けれど、分からないことは減らなかった。


 銭は、違う物の値段を比べられる。物と物を直接取り替えなくても、買い物ができる。今日使わず、後で使うこともできる。


 その小さな物が、海を渡って来ている。


 実朝が作ろうとしている大きな船より先に、宋の品物も銭も、鎌倉へ届いていた。


 明日は、その続きを考えたい。


 あやは布の結び目を確かめた。


 小太郎は、初めは銭を見ても、使えるなら困らないと言った。


 帰るころには、自分から尋ねていた。


 それが、銭のことが少し分かったのと同じくらい嬉しかった。


 次に会ったら、何から話そう。


 小太郎の用にも付き合う約束をしたから、まず、その話を聞こう。


 どんなものを見て、どんなことを面白いと思うのか。


 今まで、あやばかり話していた気がした。


 布団へ入ってから、あやはもう一つ思い出した。


 緑の器を落としたのは、きっと小太郎だ。


 それも、いつか聞いてみよう。


 急いで答えてもらわなくてもよかった。


 また会って、話せるのだから。


【本作の人物について】


■ 北条小太郎

義時と結びつきの深い北条傍流の家に生まれた、本作独自の架空の人物。あやより少し年下で、直成の存命中にあやとの縁談が整えられた。本話の時点では未婚。「小太郎」は幼いころからの呼び名である。


物覚えがよく、家の用事を手際よくこなす。普段は冷静で、周囲が騒いでも一歩引いて見ている。ただし、あやとは言い合いもするし、失敗を見抜かれると隠そうとする。


港や船、商人との取引に関わる家に育つ。使えて当然だと思っていた物にも疑問を持つあやを面白く感じ、その好奇心に付き合ううち、自分も尋ねることが増えていく。


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