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二階堂一族、鎌倉時代を賑やかに生きる。――亡き父親は転移者!  作者: これってなんだろう
第五部 父を知る人たちと、新しく増える家族 建保二年〜建保六年(1214〜1218年)
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幕間17 ちよは、将軍にも守りたい家族がいることを知る

建久三年(1192年)、鎌倉。


その日、


直成さんはいつもより遅く帰ってきた。


ちよは、もう驚かなかった。


最近は遅い日の方が多い。


けれど、


その日は特に遅かった。


「父上!」


太郎が最初に気づいた。


廊下を走っていく。


その後ろを、


次郎が追いかける。


次郎はまだ太郎ほど速くない。


「待って」


と言いながら、


小さな足で一生懸命ついていく。


「走らないの」


ちよが言った。


二人とも聞いていない。


直成さんが家へ入ってくると、


太郎がその前に立った。


「父上、遅い」


「すみません」


「昨日も遅かった」


「そうですね」


「一昨日も」


直成さんが少し考えた。


「そうでしたか」


「そうだよ」


太郎は覚えている。


次郎も横から言った。


「遅い」


こちらは、


たぶん太郎のまねだった。


直成さんは二人を見る。


「二人に怒られてしまいました」


ちよは夫を見る。


「怒られて当然です」


「母上まで」


太郎と次郎がいる。


だから、


ちよはそれ以上何も言わない。


直成さんも分かっている。


「まず食べてください」


「はい」


「父上、今日ね」


太郎がさっそく話し始める。


「待って」


次郎が割り込む。


「ぼくが先」


「なんでだよ」


「ぼくが先」


「太郎」


ちよが言った。


「次郎にも話させてあげて」


「でも、ぼくが先に父上を見つけた」


「それと話す順番は関係ありません」


太郎は納得していない顔をした。


直成さんが座る。


「では、一人ずつ聞きます」


二人が同時に口を開いた。


「今日――」


「今日ね――」


直成さんが黙った。


ちよは笑った。


「一人ずつと言ったでしょう」


結局、


太郎が先になった。


太郎が昼間の出来事を話す。


その横で次郎が、


何度も口を挟もうとする。


直成さんは食べながら聞いていた。


太郎の話が終わると、


今度は次郎。


次郎の話は、


途中で何の話か分からなくなった。


それでも直成さんは最後まで聞いた。


「それで?」


「それでね」


「はい」


「……忘れた」


直成さんが箸を止めた。


「忘れましたか」


「うん」


「では、思い出したら教えてください」


次郎は満足そうにうなずいた。


ちよは、ようやく直成さんの前に食事を置き終えた。


「今日は何があったんです?」


直成さんの箸が止まった。


「今日ですか」


「また仕事が増えたんでしょう」


「どうして分かるんです?」


「帰ってきた顔を見れば分かります」


直成さんは自分の顔を触った。


「そんなに違いますか」


「違います」


太郎が聞いた。


「父上、何の仕事?」


直成さんは少し考えた。


「鎌倉殿が、新しい役目につかれました」


「新しい役目?」


「征夷大将軍です」


太郎が黙った。


次郎も黙った。


二人とも、


まったく分かっていない顔だった。


ちよにも、


その言葉はずいぶん大きく聞こえた。


征夷大将軍。


朝廷から与えられる役職の一つである。


鎌倉殿――源頼朝が、


その役目についたのだという。


太郎が聞いた。


「強くなったの?」


直成さんが止まった。


「何がです?」


「鎌倉殿」


「……難しい質問ですね」


「将軍になったんでしょう?」


「はい」


「じゃあ、昨日より強い?」


直成さんは考え込んだ。


ちよは、少しおかしくなった。


「太郎」


「何?」


「父上を困らせないの」


「聞いただけ」


「そうですね」


直成さんが言った。


「太郎は悪くありません」


ちよは夫を見る。


またである。


「すぐ太郎の側につきますね」


「聞いただけですから」


次郎が手を上げた。


「ぼくも聞く」


「何です?」


「しょうぐんって何?」


直成さんがまた止まった。


今度は、


さっきより長かった。


ちよが言う。


「あなた」


「はい」


「子どもにも分かるようにお願いします」


「難しい注文ですね」


「仕事では説明しているんでしょう?」


「仕事の方が簡単です」


太郎が不満そうに言った。


「ぼくにも分かるように」


直成さんは少し考えた。


「朝廷から、鎌倉殿に新しい役目の名前が与えられたんです」


「名前?」


「そうです」


「じゃあ、鎌倉殿は昨日と同じ?」


直成さんが止まった。


「人としては同じです」


「仕事は?」


「それがですね」


直成さんは少し遠い目をした。


ちよには、


その顔の意味が分かった。


「増えたんですね」


「増えました」


太郎が首をかしげる。


「名前が増えたら、仕事も増えるの?」


「名前だけではありません」


「じゃあ、何が増えたの?」


直成さんは箸を置いた。


「確認することです」


ちよは笑いそうになった。


実に直成さんらしい答えだった。


「鎌倉殿が将軍になられたことで、書くものがあります。確かめるものがあります。知らせることがあります。今までの決まりと、どうつながるかを見る必要もあります」


太郎は途中から分からなくなった顔をしている。


次郎は最初から分かっていない。


ちよが言った。


「つまり、父上のお仕事が増えたんです」


「それなら分かる」


太郎が言った。


直成さんが少し寂しそうな顔をした。


「ずいぶん短くなりましたね」


「分かりやすい方がいいでしょう」


「はい」


次郎が聞いた。


「しょうぐんになったら、父上が遅くなるの?」


直成さんとちよは、


顔を見合わせた。


「毎日ではありません」


直成さんが答えた。


「明日は?」


「……分かりません」


「明後日は?」


「それも分かりません」


次郎がちよを見る。


「母上、父上、分かんないって」


「父上にも分からないことはあります」


「いっぱい?」


直成さんが自分で答えた。


「いっぱいあります」


太郎が笑った。


「父上、知らないこと多いね」


「多いですよ」


直成さんは平然としている。


「全部知っている人はいません」


「鎌倉殿も?」


「もちろんです」


「将軍なのに?」


「将軍でもです」


太郎は少し考えた。


どうやら、


将軍というものを、


何でもできる人だと思っていたらしい。


「じゃあ、なんで偉いの?」


直成さんがまた止まった。


ちよは思った。


今日は、


仕事より家の方が難しいのではないだろうか。


「偉いから何でも知っているわけではありません」


直成さんはゆっくり言った。


「自分で分からないことがあれば、分かる人に聞く必要があります」


「父上みたいに?」


「そうですね」


「父上は誰に聞くの?」


「仕事なら、大江殿や、その仕事をよく知っている人です」


「母上には?」


直成さんがちよを見る。


「家のことなら、よく聞きます」


「そうなの?」


「はい」


太郎がちよを見る。


少し尊敬するような顔だった。


「母上、父上より偉い?」


「違います」


ちよはすぐに答えた。


直成さんは黙って食事を続けた。


「あなた」


「何も言っていません」


「顔が笑っています」


「気のせいです」


次郎が笑った。


理由は分かっていない。


それでも、


みんなが笑っているから笑った。


食事が終わるころ、


次郎が直成さんの袖を引いた。


「父上」


「何です?」


「お風呂」


「今からですか」


「父上と入る」


それを聞いた太郎が、


すぐに言った。


「ぼくも」


「太郎は一人でも入れるでしょう」


ちよが言う。


「入れるよ」


「では――」


「でも父上と入る」


ちよは黙った。


直成さんが少し笑った。


「では、三人で入りますか」


「入る!」


次郎がすぐに答えた。


太郎も立ち上がった。


「ぼくが先」


「ぼくが先」


「何が先なんです?」


直成さんが聞く。


「父上の隣」


「次郎が先!」


「だから何の順番ですか」


食事を終えたばかりだというのに、


もう騒がしい。


ちよは食器を片づけながら言った。


「転ばないでくださいよ」


「はい」


返事をしたのは直成さんだけだった。


太郎と次郎は、


もう風呂の方へ走っている。


「走らない!」


ちよの声が飛ぶ。


二人の足が、


少しだけ遅くなった。


止まりはしなかった。


しばらくすると、


風呂の方から声が聞こえてきた。


「父上、次郎ばっかり!」


太郎だった。


「次郎はまだ一人で洗えませんから」


「ぼくは洗える」


「では、自分でお願いします」


少し間があった。


「父上」


「何です?」


「背中は洗えない」


ちよは、食器を持ったまま笑った。


すぐに次郎の声も聞こえた。


「ぼくも背中!」


「次郎はさっき洗いました」


「もう一回」


「なぜです?」


「太郎がするから」


「次郎、まねするなよ」


「する」


「するって言うな」


「します」


直成さんの声が混じった。


「けんかをするなら出ますよ」


二人が静かになった。


ほんの少しだけだった。


そして、


太郎が聞いた。


「父上」


「何です?」


「しょうぐんも、お風呂入る?」


ちよの手が止まった。


風呂の中でも、


まだその話をしているらしい。


直成さんが答える。


「入ると思いますよ」


「父上と同じ?」


「どういう意味です?」


「頭、洗う?」


「洗うでしょう」


「背中は?」


直成さんが黙った。


「それは知りません」


「また分かんない」


太郎が笑う。


次郎も笑った。


「父上、分かんない」


「知らないものは知りません」


太郎は、少し考えたようだった。


「将軍でも、ごはん食べる?」


「食べます」


「寝る?」


「寝ます」


「怒る?」


直成さんが少し止まった。


「怒りますね」


「泣く?」


直成さんの返事が遅れた。


ちよも、なぜか耳を澄ませた。


「たぶん」


やがて直成さんが答えた。


「人ですから」


風呂の中が静かになった。


太郎が言った。


「じゃあ、同じだ」


「何がです?」


「人」


今度は、


直成さんがしばらく答えなかった。


ちよも、食器を拭く手を止めていた。


「そうですね」


やがて、


直成さんの声がした。


「同じ人です」


太郎が言った。


「じゃあ、なんで父上は将軍じゃないの?」


直成さんがむせた。


ちよは、今度こそ笑った。


「それは」


直成さんが言う。


「ずいぶん別の話ですね」


「父上も仕事してる」


「はい」


「将軍も仕事してる」


「はい」


「父上も人」


「はい」


「将軍も人」


「はい」


「じゃあ――」


「太郎」


直成さんが止めた。


「はい」


「世の中には、同じ人でも役目が違うということがあります」


「なんで?」


「それを説明すると、お風呂から出られなくなります」


太郎は少し考えた。


「じゃあ、あとで」


「覚えていたら」


「覚えてるよ」


「そうでしょうね」


ちよには、


直成さんの諦めた顔が見えるようだった。


その直後だった。


「冷たい!」


直成さんの声がした。


ちよが振り向く。


「何をしたんです?」


返事がない。


代わりに、


太郎と次郎の笑い声が聞こえた。


「太郎?」


「ぼくじゃない!」


「次郎?」


「太郎!」


「次郎だろ!」


直成さんの声が低くなる。


「二人とも」


静かになった。


「もう一度やったら、今日は出ます」


ほんの少しだけ、


静かになった。


また水の音がした。


「次郎!」


「きゃはは!」


ちよは額に手を当てた。


征夷大将軍になった人も、


きっと風呂には入る。


けれど、


こんなに騒がしい風呂かどうかは、


ちよにも分からなかった。


しばらくして、


三人が戻ってきた。


太郎は上機嫌だった。


次郎も上機嫌だった。


直成さんだけが、


少し疲れている。


「どうしたんです?」


ちよが聞く。


「二人に聞いてください」


太郎と次郎が、


同時に直成さんの後ろへ隠れた。


「何をしたの?」


「何も」


太郎が言う。


「何も」


次郎もまねをした。


「二人とも同じことを言うときは、だいたい何かしていますね」


ちよが言うと、


直成さんがうなずいた。


「僕もそう思います」


「父上!」


太郎が抗議した。


「僕は見たことを言っただけです」


「ずるい」


「何がです?」


次郎は、もう眠そうだった。


さっきまで騒いでいたのに、


直成さんの足にもたれている。


直成さんが抱き上げた。


次郎は、そのまま父の肩へ顔を乗せた。


太郎がそれを見る。


「ぼくは歩ける」


「知っています」


直成さんが答えた。


太郎は少し歩いた。


それから振り返る。


「でも、父上」


「何です?」


「手」


直成さんは空いている方の手を出した。


太郎が握る。


片腕には次郎。


反対の手には太郎。


そのまま三人で、


寝る部屋へ向かっていく。


ちよは後ろからついていった。


鎌倉殿が、


征夷大将軍になった。


きっと、


世の中にとっては大きな出来事なのだろう。


朝廷から認められた大きな肩書。


武士たちから見れば、


鎌倉殿の力が、


また一つ分かりやすい形になった日なのかもしれない。


けれど、


この家から見える変化は、


もっと小さい。


直成さんの帰りが遅くなった。


太郎が待っていた。


次郎も待っていた。


帰ってきた直成さんは、


冷めかけた食事を食べた。


子どもたちの話を聞いた。


一緒に風呂へ入り、


水をかけられた。


そして今は、


眠くなった次郎を抱き、


太郎と手をつないで歩いている。


大きな肩書が一つ増えても、


家の中で必要なことは、


それほど変わらない。


食べる。


風呂に入る。


眠る。


子どもの話を聞く。


泣いたら抱く。


分からなければ聞く。


帰りが遅ければ、


待っている人がいる。


二人を寝かせ終えると、


家はようやく静かになった。


直成さんが、小さく息を吐いた。


「疲れました?」


「少し」


「仕事と子ども、どちらが?」


直成さんは考えた。


「答えない方がよさそうですね」


「正解です」


二人だけになった。


ちよは湯を持ってきて、


直成さんの前に置いた。


「直成さん」


「はい」


「鎌倉殿は、今日から将軍なんですよね」


「はい」


「何か変わりました?」


直成さんは、少し考えた。


「肩書が増えました」


「それは聞きました」


「仕事も増えました」


「それも見れば分かります」


直成さんは湯を飲んだ。


ちよが聞く。


「本人は?」


直成さんの手が少し止まった。


「本人?」


「鎌倉殿です」


直成さんは、今日のことを思い出しているようだった。


少しだけ笑う。


「いつもと同じでしたよ」


「そうなんですか」


「御家人の前では、いつもの鎌倉殿です」


ちよは、その言い方に気づいた。


「前では?」


直成さんが止まった。


「何でもありません」


「直成さん」


「はい」


「何かあったんですね」


「言えません」


「仕事のこと?」


「……仕事のことではありません」


「では?」


直成さんは困った顔をした。


ちよは少し待った。


「言えないなら、いいです」


「すみません」


「でも」


「はい」


「太郎がさっき言っていたことは、当たっています?」


「何です?」


「将軍も、人なのかという話」


直成さんは、今度はすぐに答えた。


「はい」


「やっぱり」


「当たり前です」


「でも」


ちよは少し考えた。


「みんな、肩書を見るでしょう。鎌倉殿とか、征夷大将軍とか。そういうものを見ていると、中の人まで違うもののように思えてしまいます」


直成さんは黙って聞いていた。


「でも、食べるし、寝るし、子どものことも気になる」


直成さんの眉が、


ほんの少し動いた。


ちよは気づいた。


「子どものこと、気になるんですね」


「ちよさん」


「はい」


「それ以上は聞かないでください」


ちよは笑った。


「分かりました」


直成さんも少し笑った。


「でも」


ちよが続ける。


「将軍でも人なら、疲れますね」


「疲れると思います」


「嫌になることも?」


直成さんは、今度は答えるまで少し時間がかかった。


「たぶん」


「たぶん?」


「本人から聞いていませんので」


ちよは夫を見る。


「そこまで慎重なんですか」


「仕事ではありませんけど」


「もういいです」


ちよは笑った。


それから、


静かになった家を見る。


太郎も眠った。


次郎も眠った。


明日の朝になれば、


二人ともまた起きる。


腹が減ったと言う。


何かを取り合う。


どちらかが泣く。


直成さんは仕事へ行く。


ちよは家のことをする。


鎌倉殿は、


明日も征夷大将軍である。


けれど、


二階堂家の朝は、


たぶん昨日とそれほど変わらない。


大きな出来事は、


大きな音を立てて暮らしを変えるとは限らない。


まず、


帰りが少し遅くなる。


書くものが増える。


確認することが増える。


待つ時間が長くなる。


そして、


そういう小さな変化が積み重なって、


いつの間にか、


前とは違う世の中になっているのかもしれない。


ちよは、そんなことを考えた。


「直成さん」


「はい」


「明日は早く帰れます?」


直成さんは少し考えた。


「分かりません」


ちよは夫を見る。


直成さんもこちらを見る。


「そこは、分かってほしかったです」


「すみません」


ちよは笑った。


征夷大将軍が生まれた年も、


二階堂家では、


分からないことは、


分からないままだった。


けれど、


太郎が一つだけ、


簡単に分かったことがある。


将軍も、


父上も、


母上も、


みんな同じ人間だった。

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