↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二階堂一族、鎌倉時代を賑やかに生きる。――亡き父親は転移者!  作者: これってなんだろう
第四部 まつのいない家――和田の名が遠くなるころ 建暦元年〜建暦三年(1211〜1213年)
PR
54/105

幕間11 ちよは、母に初めての子どものことを聞く

文治二年(1186年)、鎌倉。


翌日、ちよは実家へ向かった。


久しぶり、というほどではない。

嫁いでからも、まったく行き来がなくなったわけではなかった。兄たちも時々顔を出すし、母のさわも、用があれば訪ねてくる。


ただ、今日は少し違った。


聞きたいことがある。

しかも、兄たちには、まだあまり聞かれたくない。


ちよは実家の門をくぐる前に、一度だけ息を吐いた。


「母上だけ、いてくれればいいんだけど」


その願いは、すぐに外れた。


     ◇


「ちよ!」


門を入ってすぐ、一番上の兄に見つかった。


「来るなら言えよ」

「今来たんだから仕方ないでしょう」

「直成殿は?」

「仕事です」

「一人で来たのか?」

「そうです」

「何かあったのか?」


ちよは兄を見る。


早い。

まだ何も言っていない。


そこへ二番目の兄まで出てきた。


「どうした」

「何が?」

「兄上が大声を出すから」

「ちよが来た」

「見れば分かる」


さらに奥から三番目の兄も顔を出す。


ちよは三人を見た。


昔からこうだった。


三人の兄の下に生まれた末の妹。

兄たちは、ちよが転べば三人で寄ってきた。泣けば誰が泣かせたのか聞いた。少し遠くへ行こうとすれば、誰かがついてきた。


子どものころは、それが普通だと思っていた。

今考えると、かなり過保護だった。


「母上は?」


ちよが聞いた。


一番上の兄が答える。


「中にいる」

「では、母上に用があります」

「俺たちには?」

「ありません」


三人が同時に不満そうな顔をした。


ちよは少し笑った。


「何です、その顔」

「何かあるんだろ」

「あります」

「なら聞く」

「兄上たちには聞きません」

「どうして」


ちよは少し考えた。


「男だから」


三人とも黙った。


二番目の兄が言う。


「それなら仕方ない」


一番上の兄は、まだ納得していない顔をしていた。


     ◇


さわは、家の奥にいた。


娘の顔を見ると少し驚いた。


「どうしたの」

「少し聞きたいことがあって」


さわはちよを、上から下まで静かに見た。


それだけで、ちよは何となく落ち着かなくなった。


「何です?」


さわは答えず、座るように手で示した。

ちよが座ると、さわも向かいに座った。


「飯は?」

「朝は少し」

「少し?」

「匂いが気になって」


さわの目が少し変わった。


「いつから?」

「数日前」

「月のものは?」


ちよは黙った。


さわは娘の顔を見て、それから少しだけ笑った。


「そう」


ちよが眉を寄せる。


「まだ何も言ってません」

「言ってるようなものよ」

「分かるんですか」

「四人産んでるからね」


ちよは母を見る。


三人の兄。

その下に自分。


確かに、母は自分よりずっと先に同じことを経験している。


「たぶん、子どもができたと思います」


ちよが言った。


さわはすぐには大きく喜ばなかった。


まず、


「身体は?」


と聞いた。


「大丈夫です」

「吐いたりは?」

「まだ」

「眠い?」

「少し」

「腹が痛むことは?」

「ありません」


さわは一つずつ聞いた。


直成さんと同じように質問している。

でも、何か違った。


直成さんは、分からないものを必死に確かめようとしていた。

母は、知っていることと分からないことを分けているように見えた。


「今のところは、無理をしないこと」


さわが言った。


「でも、何もかもやめて寝ていなくては、と思い詰めなくていいわ。つらいときには、ちゃんと言うのよ」


ちよは思わず笑った。


「夫にも聞かせたい」

「何を?」

「昨日から、水まで運ぼうとするんです」


さわが止まった。


「直成殿が?」

「はい」

「もう?」

「はい」


さわは少し黙った。

それから笑った。


「心配性なのね」

「ものすごく」

「意外」

「私もそう思いました」


     ◇


さわは、ちよの腹を見るわけでもなく、ただ娘の顔を見ながら言った。


「初めてなら、分からないことばかりでしょう」

「母上も?」

「当たり前でしょう」


ちよは少し驚いた。


「母上は、最初から何でも知っていたのかと思ってました」

「そんなわけないじゃない」


さわは呆れたように言う。


「あなたの一番上の兄を産むときなんて、毎日怖かったわよ」

「怖かった?」

「怖かった」


さわがそう言うのは、少し意外だった。


ちよが子どものころ、母はいつも落ち着いていた。

父の前では少し控えめに話す。食事では父を先に立てる。客が来れば一歩下がる。

家の中で大声を出す人でもなかった。


ちよはずっと、母は迷わない人なのだと思っていた。


でも、違ったらしい。


「父上には?」


ちよが聞く。


「何を?」

「怖いって言ったんですか」


さわは少し考えた。


「全部は言わなかったわね」

「どうして?」

「あなたの父上は、心配すると余計に口を出す人だったから」


ちよは吹き出した。


「あの人と同じ」

「そうなの?」

「心配すると、調べ始めます」

「何を?」

「何でもです」


ちよは、直成さんが持ち帰った書き付けの話をした。


五人に聞いたこと。

食べ物。

していいこと。

してはいけないこと。


誰自身の経験なのかも書いてほしいと頼んだこと。


さわは途中から笑っていた。


「そんなに調べたの」

「まだ増やすつもりでした」

「熱心ね」

「熱心すぎます」

「でも、あなたのことが大事なんでしょう」


ちよは少し黙った。


「……たぶん」

「そこは、たぶんなの?」

「本人がよく使うので」


さわが笑った。


     ◇


少しして、ちよは母へ聞いた。


「母上」

「何?」

「夫を立てるって、どういうことです?」


さわが少し驚いた。


「急ね」

「昔から、母上は父上を立てていたでしょう」

「そうね」

「私は、母上みたいではない気がして」


さわは娘を見る。


「直成殿に何か言われた?」

「いいえ」


ちよは首を振った。


「何でも話を聞いてくれます。むしろ、私が言いすぎるくらいです」

「それならいいじゃない」

「でも、母上はもっと父上に合わせていた気がします」


さわは少し考えた。


「そう見えたのね」

「違うんですか」

「そうしてきたところは、あるわ」


さわは静かに答えた。


「私は、あなたの父上を夫として立ててきた。それは本当」


ちよは聞いていた。


「でもね」


さわは続ける。


「立てることと、何も言わないことは違うのよ」


ちよは少し目を開いた。


「言うべきことは言う?」

「言うわ」

「父上に?」

「もちろん」


さわは少し笑った。


「人前で何でも言い合う必要はないでしょう。でも、家の中まで黙っていたら、困っていることも伝わらないもの」


ちよは考えた。


それは、自分と直成さんにもよく分かる話だった。


「それに」


さわは言う。


「男の人には分からないこともあるでしょう」

「子どものこと?」

「それもある」

「では、そういうときは?」

「話すのよ」

「話す?」

「分からない人に、黙って分かってもらおうとしても、難しいでしょう」


ちよは少し笑った。


どこか、直成さんに似ている。


いや。

自分がそう考えるのは、直成さんと暮らしているからだけではないのかもしれない。


この家で母を見て育ったことも、自分の中に残っているのかもしれない。


     ◇


そのとき、戸の向こうから声がした。


「ちよー」


一番上の兄だった。


さわがため息をつく。


「何でしょうね」

「たぶん聞き耳です」

「昔から変わらないわね」


今度は二番目の兄の声。


「終わったかー」


三番目も続く。


「何の話だったんだー」


ちよが立ち上がろうとした。


さわが言う。


「待ちなさい」

「何です?」

「あなた、自分で言う?」

「何を?」


さわがちよを見る。


ちよも分かった。


兄たちに。

子どもができるかもしれないことを。


ちよは少し考えた。


「母上から言ってください」


さわが驚く。


「どうして」

「三人いっぺんに来るから」

「それは来るでしょうね」

「今は、母上に話を聞いていたいんです」


さわが笑った。


「あなた、末っ子のままね」

「嫁ぎましたけど」

「嫁いでも妹は妹でしょう」


ちよは反論できなかった。


     ◇


結局、さわが兄たちを呼んだ。


三人が入ってくる。


ちよを見る。

さわを見る。

またちよを見る。


一番上の兄が言った。


「何だ」


さわは落ち着いて言った。


「ちよに子どもができたかもしれない」


三人が止まった。


ちよは昨日の直成さんを思い出した。


紙を落として。

立って。

何をすればよいのか分からなくなった。


そして目の前の兄三人も、似たような顔をしていた。


「……子ども?」


一番上。


「ちよに?」


二番目。


「本当に?」


三番目。


ちよはため息をついた。


「たぶんです」


三人が一斉に立ち上がった。


「どこへ行くんです?」


ちよが聞く。


三人とも止まる。

誰も答えない。


ちよは思わず笑った。


「あの人と同じじゃない」

「何がだ」

「昨日も、急に立ちました」

「直成殿が?」

「はい」

「大丈夫なのか、あの人」

「兄上たちに言われたくありません」


さわが口元を押さえて笑っていた。


     ◇


帰り際、さわは、ちよを門まで送った。


「また何かあったら来なさい」

「はい」

「分からないことがあっても、全部一人で決めなくていいから」


ちよはうなずいた。


少し歩いてから振り返る。


「母上」

「何?」

「母上も、分からなかったんですね」


さわは少し笑った。


「今でも分からないことだらけよ」

「四人育てても?」

「四人とも違ったもの」


ちよは、その言葉を覚えておこうと思った。


同じ親から生まれても、同じようには育たない。

同じ母でも、同じ子育てにはならない。


「じゃあ」


ちよが言った。


「私も、そのとき考えます」

「そうしなさい」


さわは笑った。

ちよも笑った。


     ◇


家へ戻ると、直成さんがいた。


予定より早い。


ちよが驚く。


「どうしたんです?」

「今日は早く終わりました」

「本当に?」

「ええ」


直成さんは少し間を置いた。


「……お母上は、何と?」


やっぱり気になっていたらしい。


戸を閉め、二人だけになってから、ちよは答えた。


「無理はしない。でも、何もできないと思わなくていいそうです」


直成さんがうなずく。


「そうですか」

「水を運ぶたびに、心配しなくても大丈夫です」

「でも、重いものは僕が持ちますよ」

「では、そのときは頼みます」


直成さんは、少しだけ物足りなさそうだった。


ちよは笑った。


「直成さん。そんな顔をしないでください」

「どんな顔です?」

「まだ何か手伝いたい、という顔です」


直成さんも少し笑った。


「……そうかもしれません」


ちよは家の中へ入った。


二人の家。

そこへ、もう一人が来るかもしれない。


でも、その子を育てるのは、二人だけではないのかもしれない。


母がいる。

兄たちがいる。

客たちもいる。


きっと、これからもいろいろな人が、この家へ入ってくる。


ちよはそんなことを思った。


そして、その夜。

直成さんは昨日より少しだけ、ちよが動くのを気にしなくなった。


ほんの少しだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。