第40話 二階堂家は、父のいない家で答えを出す
建暦三年(1213年)、鎌倉。
宗直が帰ってきたとき、二階堂家では夕餉の支度が始まっていた。
まだ、日が高かった。
ふみは夫の顔を見て、手を止めた。
「何かありました?」
「皆で話しておきたい」
いつもの、仕事で疲れた顔とは違った。
ちよが奥から出てくる。
光成も、裏口で使っていた道具を置いた。行嗣は宗直と一緒に帰ってきていた。
あやが兄たちを見比べる。
「私も?」
宗直はうなずいた。
「お前も」
あやは持っていた椀を、そっと置いた。
◇
宗直は、皆が座るのを待ってから口を開いた。
「和田殿と御所の間が、ますます悪くなっている」
誰も驚かなかった。
けれど、家の者がそろったところで聞くと、外で聞く噂とは違う重さがあった。
「戦になるのか」
光成が聞いた。
「そこまでは分からない」
「ならないこともある?」
あやの問いに、宗直はうなずく。
「ある。そうなってほしいと思っている」
「でも、なったときのことを考えるのね」
ちよが言った。
「ああ」
宗直は膝の上で手を組んだ。
「俺と行嗣は、御所に呼ばれる。家へ戻れないこともある。そのときは、光成に――」
「待ってください」
ふみが言った。
宗直が顔を上げる。
「家のことを全部、光成様に頼むつもりですか?」
「いや、全部というわけでは」
「今、そう聞こえました」
光成が口を挟む。
「俺は構わないぞ」
おりんが夫を見る。
「あなたも、すぐ全部引き受けないでください」
「まだ引き受けてない」
「引き受ける直前でした」
あやが兄二人を見た。
「二人で全部やったら、私たちは何をするの?」
宗直は口を閉じた。
ちよが少し笑う。
「だから、皆を呼んだのでしょう。まず話を聞きましょう」
宗直は一度、息を吐いた。
「……そうだったな」
◇
最初に話したのは、光成だった。
「戸と裏口は見た。水も増やした。ただ、桶が同じところに寄りすぎてる」
「どうして困るの?」
あやが聞く。
「そこへ火が来たら、近づけなくなる」
部屋が静かになった。
光成は続けた。
「表と裏に分ける。火の粉が飛んできたら、屋根や垣も見ないといけない」
おりんがうなずく。
「水を運ぶ人も決めましょう。桶だけ置いて、皆が別のことをしていたら間に合いません」
「家人にも頼む」
「私から話します。子どもたちを見ている人まで、全員外へ出ないように」
ふみが言った。
「小さい子は奥の部屋へ集めましょう。ばらばらにいると、探すことになります」
「では、私もそちらにいるわ」
ちよが答えた。
あやが手を上げる。
宗直が少し戸惑った。
「何だ」
「米と味噌は、ある。でも、米があっても、飯になってないとすぐ食べられないでしょう」
ふみがあやを見た。
「そうね」
「今のうちに炊いておいたら?」
おりんが立ちかけた。
ちよが袖を軽く押さえる。
「話を決めてから、一緒にやりましょう」
「ああ、そうでした」
おりんは座り直した。
光成が少し笑う。
「お前もすぐ動くじゃないか」
「炊事と物見は違います」
「まだ何も言ってないぞ」
「言いそうでした」
そのやり取りに、皆の肩が少し緩んだ。
◇
行嗣は、手元に紙を広げていた。
宗直が見る。
「何を書いてる」
「今、決まったことです」
「全部か?」
「あとで、言った、聞いてない、となると困るので」
あやがのぞき込む。
「私の飯の話も?」
「書いた」
「じゃあ、それが一番大事」
「順番はあとで決める」
「今決めればいいでしょう」
光成が笑った。
行嗣も少し笑ったが、すぐに筆を止めた。
「もう一つ、決めたいことがあります」
皆が行嗣を見る。
「兄上と私が帰れなくても、探しに来ないでください」
ふみの表情が変わった。
宗直も、すぐには何も言わなかった。
行嗣は言葉を選んだ。
「帰りが遅いからと、誰かが御所へ向かう。途中で行き違えば、今度はその人を探すことになります」
「でも、何も分からなかったら」
あやが言った。
「心配でしょう」
「心配だと思う」
行嗣は答えた。
「だから、知らせを出せるときは出す。戻る道が危なければ、無理に帰らず御所にいる」
宗直がうなずいた。
「俺もそうする」
ふみが夫を見つめる。
「帰ると言ったから、と無理をしないでください」
「ああ」
「約束ですよ」
宗直は今度は、ふみの顔を見て答えた。
「約束する」
ちよが皆を見渡した。
「知らせがないうちは、決めたとおりに待ちましょう。待つ方も、勝手に動かない。それでどう?」
光成がうなずいた。
おりんも、ふみも続いた。
あやだけは少し考えてから、小さくうなずいた。
◇
「それでも、この家にいられなくなったら?」
おりんが聞いた。
光成は、庭の方を見た。
「裏から出られる。道も――」
「行き先まで決めましょう」
ふみが言う。
「出てから考えていたら、子どもを連れて迷うことになります」
宗直は、近くにある親族の家の名を挙げた。
光成が首を振る。
「そこへ行く道が塞がるかもしれない」
「では、もう一か所」
行嗣が紙に書き足す。
道を知る光成と、人のつながりを知る宗直が話し合った。
ふみとおりんは、子どもたちを誰が連れるかを決めた。
あやは持ち出すものを挙げ、ちよが多すぎる荷を減らした。
「椀も?」
「人数分を全部は持てないわ」
「でも、食べるとき困るでしょう」
「まず、皆で出ること」
あやは黙って、椀を数えていた指を折った。
やがて、行嗣が聞いた。
「父上の書付は、どうします?」
宗直の目が、奥の棚へ向いた。
父が残した紙がある。
家のことも、仕事のことも、よく分からない覚書も入っている。
光成が言った。
「俺が運べば――」
「光成様」
おりんの声で、光成は止まった。
ちよが棚を見た。
少し長く見てから、言った。
「家や土地の大事な書付は、取り出せるようにしておきましょう。あの人のものは、そのあと」
行嗣が顔を上げる。
「全部は、持てないと思います」
「ええ」
「そのときは、置いていきましょう」
誰も、すぐには返事をしなかった。
ちよは膝の上の手をほどいた。
「紙を取りに戻って、誰かが帰ってこなくなるのは困るわ」
宗直が、ゆっくりとうなずいた。
「分かった」
行嗣はそのことも書いた。
◇
ひととおり話し終えると、宗直は紙を自分の方へ向けた。
皆で決めたことが、何行にもなっていた。
「父上がいたら、どうしただろうな」
つい、口から出た。
光成が紙を見る。
「まだ聞くことがあると言いそうだ」
「あるでしょうね」
ちよが答える。
あやが顔をしかめた。
「まだあるの?」
「あの人ならね」
少し笑いが起きた。
宗直は、父の座っていた場所を見た。
ここで父が口を開けば、自分たちはまた、その話を聞いただろう。
けれど、今日は自分が話し始めた。
途中でふみに止められた。
光成が道を考え、おりんが人手を考えた。あやが飯のことを言い、三郎が紙に残した。
母が、持っていくものを減らした。
宗直は紙を置いた。
「これでいこう」
皆の顔を見て、続ける。
「変わったことがあれば、また話す。俺がいなければ、家にいる者で決めてくれ」
光成がうなずいた。
「分かった」
ふみが、ようやく少し笑った。
「では、まず飯を炊きましょう」
あやが立ち上がる。
「やっぱり飯が一番だった」
「お前は米を量ってくれ」
宗直が言うと、あやは得意そうに袖をまくった。
◇
やがて、鎌倉で戦が始まった。
和田方の軍勢と幕府方がぶつかり、二階堂家にも、人の叫びや馬の走る音が届いた。
宗直と行嗣は、御所から戻らなかった。
ふみは何度か門の方を見た。
それでも、履物を出すことはしなかった。
奥では子どもが泣いていた。
ちよが抱き寄せ、おりんが水を運ぶ。あやは握った飯を盆へ並べた。
光成は表と裏を行き来した。
桶を一つ動かすと、与一が小さな桶を持ってきた。
「ここ?」
「ああ。そこに置け」
「僕も外を見る?」
「お前は中にいてくれ。梅が怖がったら、そばにいてやれ」
与一は奥を振り返った。
それから桶を置き、妹のところへ戻っていった。
光成は、もう一度門を見た。
宗直と行嗣は、まだ帰らない。
外へ出れば、何か分かるかもしれない。
そのとき、後ろからおりんが飯を差し出した。
「食べてください」
「あとでいい」
「今、手が空いています」
光成は妻を見た。
おりんの手も、少し震えていた。
光成は飯を受け取った。
「お前も食べろ」
「はい」
二人は立ったまま、少しずつ食べた。
◇
戦が終わったという知らせが届いても、家の者はしばらく動けなかった。
外が静かになっている。
それが、かえって落ち着かなかった。
日が傾いてから、宗直と行嗣が戻ってきた。
ふみは宗直の姿を見ると、門口まで歩いていった。
袖に触れ、顔を確かめる。
「怪我は?」
「ない」
行嗣も、ちよに同じことを聞かれていた。
光成が二人を家へ入れた。
宗直は座って、水を飲んだ。
それから告げた。
「和田殿が、亡くなられた」
あやの手が止まった。
「……もう、来ないの?」
宗直はうなずいた。
以前、鎌倉で会った大きな声の人を、あやは思い出した。
家の中で和田の名を聞くことは、これからもあるだろう。
でも、あの声を聞くことはない。
あやは盆を持ち直し、皆の前に椀を置いた。
誰も、明るい話を探さなかった。
しばらくして、宗直が光成に聞いた。
「家はどうだった」
「決めたとおりにした」
光成は答えた。
「皆、ここにいる」
宗直は奥を見た。
子どもたちがいる。
ふみがいる。おりんがいる。
母と弟と妹が、自分を見ている。
「そうか」
宗直は、それだけ言った。
ふみが飯をよそった。
「少しでも食べてください」
宗直は素直に椀を受け取った。
行嗣も、隣で箸を取る。
ちよは二人が食べ始めるのを見てから、自分の椀を持った。
◇
寝る前、行嗣は昼に書いた紙を広げた。
米の量。
水桶の場所。
家を出るときの行き先。
兄たちが帰らないときのこと。
書いたときには、どれも、そうなったら困ると思っていた。
実際に困った。
怖かった。
それでも、何をするかは決まっていた。
行嗣は空いたところへ、今日のことを書き足した。
そばを通ったちよが、手元を見る。
「それも残すの?」
「はい。次に困ったとき、使えるかもしれません」
ちよは紙に並ぶ家族の役目を見た。
直成の字ではなかった。
三郎の字で、皆の話が書いてあった。
「そうね」
「片づけたら、もう寝なさい」
「母上も」
「ええ」
部屋の向こうでは、光成が門の掛け木を確かめていた。
おりんが何か言い、光成が小さな声で答えている。
宗直は子どもの寝顔をのぞき込み、ふみに寝床へ促されていた。
あやは米櫃の蓋を閉めてから、こちらへ来た。
「明日の分も、あるよ」
ちよは娘の肩に手を置いた。
「では、明日も炊きましょう」
あやがうなずいた。
父のいない家で、皆で決めた一日が終わった。




