↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二階堂一族、鎌倉時代を賑やかに生きる。――亡き父親は転移者!  作者: これってなんだろう
第四部 まつのいない家――和田の名が遠くなるころ 建暦元年〜建暦三年(1211〜1213年)
PR
47/103

第36話 ちよは、まつの手紙で直成の最後の言葉を知る

建暦元年(1211年)、鎌倉。



京から、まつの手紙が届いた。


それだけで、二階堂家は少し騒がしくなった。


「姉上から?」


あやが真っ先に立ち上がった。


「まだ中も見ていない」


宗直が言う。


「でも姉上のでしょう?」


「字は、まつ姉上のものです」


行嗣が手紙の外側を見ながら言った。


宗直がそちらを見る。


「行嗣」


「はい」


「読む前に全部調べるな」


「まだ全部は調べてません」


「そういう意味じゃない」


ふみが横で笑った。



光成も近づいてくる。


「京では何を食べてるんだろうな」


あやが顔をしかめた。


「そこ?」


「大事だろう」


「季成様とちゃんとやってるかでしょう」


「それも大事だ」


おりんが光成の横から手紙をのぞく。


「その前に、光成様は近すぎです」


「見えない」


「まだ開いてません」


「そうだった」



いつもの二階堂家だった。



ちよは、そんな子どもたちを見ながら笑っていた。


まつが京へ行ってから、家の中には一人分の声が減った。


けれど、手紙が来る日は、その分だけ少し戻ってくる。



「母上、早く」


あやに急かされ、ちよは文を開いた。



◇



まつの手紙は、やっぱり少し長かった。


京の暮らしのこと。


こちらとは食べ物も違うこと。


季成が相変わらず紙をよく探していること。


ちよがそこを読むと、光成が笑った。


「それ、本当に毎回書かれてないか?」


「季成様、大丈夫なの?」


あやが心配そうに聞く。


「仕事の紙をなくしているわけではないみたいよ」


ちよが答える。


「なら大丈夫です」


行嗣が言った。


「何を基準にしてるの」


あやが振り返る。


「大事なものをなくしていないなら、まだ」


宗直がため息をついた。


「行嗣、それを本人の前で言うなよ」


「言いません」


「言いそうだから言ってる」



手紙には、季成の家族のことも少し書かれていた。


父の知成は、まつが話し始めると最後まで聞いてくれること。


母のよしは、何でも教えようとはせず、まつが聞いたことにはきちんと答えてくれること。


兄嫁のかやとは、京と鎌倉の暮らしの違いを互いに話すことが増えたこと。


妹のあきは、季成の昔の話をしようとして、ときどき季成に止められていること。



あやがすぐに反応した。


「季成様の昔の話、何?」


「そこまでは書いてないわ」


「次の文で聞いて」


「あなたが?」


「母上が」


「どうして私が聞くの」


「気になるから」


「なら、あやが文を書けばいいでしょう」


あやが少し考えた。


「長くなる」


行嗣が言う。


「短く書けばいい」


「三郎兄上に言われたくない」


「行嗣です」


家の中に笑いが起きた。



ちよも笑った。



まつは、季成とだけ暮らしているのではない。


京にも、少しずつ話せる人が増えている。


それが分かって、ちよは少し安心した。



手紙には、中原季時に会ったことも書かれていた。


父が京でどんな仕事をしていたのか。


人の話を聞き、確かめ、書き残していたこと。


細かくて、周りを困らせることもあったらしいこと。



光成が笑う。


「父上らしいな」


宗直もうなずいた。


「らしい」


あやが首をかしげた。


「父上、そんなに細かかった?」


「細かかった」


宗直と光成が同時に言った。


ふみが笑う。


「そこは兄弟でそろうんですね」


「いや、父上は本当に細かかったから」


光成が言う。


おりんがすぐに返した。


「光成様も人のことは言えませんよ」


「俺は細かくない」


「土地の水の流れになると、急に細かくなります」


「それは必要なんだ」


「皆さん、そう言うんですよ」


今度はみんなが笑った。



ちよも笑った。



まつは元気そうだった。


季成とも、ちゃんと夫婦をしている。


知らない京で、新しい家族とも少しずつ話しながら、自分の暮らしを作っている。



それが分かっただけで十分だった。



ちよが手紙を畳もうとしたとき、宗直が気づいた。


「母上。もう一つあります」


「え?」


文と一緒に、もう一通、小さく畳まれた紙があった。



表には、まつの字で書かれている。



――母上へ。



その横に、もう一言。



――母上だけで読んでください。



家の中が少し静かになった。



あやが最初に口を開いた。


「私たちは読んじゃだめなの?」


「そう書いてあるわね」


ちよが答える。


「何だろう」


「母上だけって書いてあるなら、母上だけだろう」


宗直が言った。



光成もうなずいた。


行嗣も何も言わない。



さっきまであれほど騒いでいたのに、誰も中身を知ろうとはしなかった。



ちよは、その小さな文を手に取った。



「少し、一人で読んでくるわね」


誰も止めなかった。



◇



部屋へ入る。


戸を閉める。



外から、家族の声がかすかに聞こえていた。


あやが何か言い、光成が返し、おりんがまた何か注意している。



ちよは少し笑った。 



それから、一人になった部屋で、まつの手紙を開いた。



最初に書かれていた。



母上へ。


この文は、母上だけで読んでください。


兄上たちにも、あやにも、行嗣にも見せないでください。


季成様にも、この文には何を書くのか話していません。



ちよの指が止まった。



何かあったのだと思った。



まつ自身のことではない。


そういう書き方ではなかった。



ちよは続きを読んだ。



季時殿から、父上の最後の言葉を聞きました。



そこで、ちよは動かなくなった。



紙を持つ指だけが、わずかに力を持った。



直成さんの最後の言葉。



知らなかった。



直成さんが京で亡くなったと知らせを受けたときも。


遺されたものが鎌倉へ届いたときも。


誰からも、その言葉を聞くことはなかった。


鏡のそばに、いつもの櫛が置いてあった。


京から戻った直成さんの荷に入っていたものだった。



ちよは櫛の背を指でひとなでしてから、まつの手紙を手に取り直した。



ちよは、次の行を読んだ。



父上は亡くなる少し前まで、鎌倉へ帰るつもりだったそうです。



ちよは目を閉じた。



「……そう」



小さく声が出た。



帰るつもりだった。



そうだと思っていた。


直成さんは帰ってくるつもりだった。


自分たちも、帰ってくると思っていた。



誰も間違ってはいなかった。



ただ、帰れなかっただけだった。



ちよは、もう一度手紙を見る。



その下に書かれていた。



そして最後に、



「ちよさん、ありがとう」



と言ったそうです。



ちよは動かなかった。



一度読んだ。



もう一度読んだ。



「ちよさん、ありがとう」



そこだけ、まつの字ではないような気がした。



直成さんの声で聞こえた。



◇



ずっと昔。



まだ夫婦になったばかりのころ。


直成さんは、何かあるたびに謝っていた。



夕餉を待てば、


「すみません」



水を渡せば、


「すみません」



椀を寄せれば、


「すみません」



何度も言うから、ちよはとうとう言った。



――そういうときは、すみませんじゃなくて、ありがとうでいいですよ。



直成さんは真面目な顔で考えていた。



そして。



――ちよさん、ありがとう。



何度も言った。



言われるたびに、自分の方が照れた。



最後には。



――もう言わなくていいです!



そう言った。



直成さんは、少し笑っていた。



ちよも、笑った。



◇



「……覚えてたのね」



声が震えた。



笑ったつもりだった。



けれど、涙が一つ落ちた。



手紙の上に落ちそうになり、ちよは慌てて顔をそらした。



「もう……」



涙がまた出た。



それでも、ちよは笑っていた。



あの人らしいと思った。



最後まで仕事のことを気にして。


鎌倉へ帰ろうとして。



それでも最後に残ったのは、仕事のことではなく。



自分の名前だった。



しかも。



あの呼び方だった。



「ちよさん」



二人きりのときだけ。



誰にも聞かせなかった呼び方。



直成さんは最後に、それを口にした。



ちよは手紙を胸に置いた。



笑っているのに、涙が止まらなかった。



しばらく、そのままでいた。



外では、家族の声がする。



宗直が何かを言っている。


あやが笑っている。


光成の声も聞こえる。



直成さんが残していった家は、今日も騒がしい。



ちよは、ゆっくり左手を上げた。



薬指に触れる。



そこには、もう何もない。



けれど。



ずっと昔、この指に細い輪をはめてもらった。



あの日から、たくさんのことがあった。



子どもが生まれた。


家族が増えた。


喧嘩もした。


笑った。


困った。


何度も一緒に飯を食べた。



そして。



直成さんは、帰ってこなかった。



けれど。



直成さんが最後に残した言葉は。



三年かけて、まつの手を通って。



帰ってきた。



ちよはもう一度、手紙を開いた。



最後の言葉を見る。



「ちよさん、ありがとう」



涙の残った顔で、ちよは笑った。



左手の薬指に触れたまま。



「……はい」



そう返した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。