幕間7 ちよは、夫の客が増える理由を知る
元暦元年(1184年)、鎌倉。
二階堂家の椀は増えた。
それでも、足りない日があった。
最初は、仕事の相談だった。
広元、康信、親能が紙を持ってくる。直成さんと話す。話が済むと、夕餉を食べて帰る。
そのうち、紙の代わりに魚や野菜を持ってくる日が増えた。
二人きりの朝、ちよは夫に聞いた。
「直成さん。今日は誰か来ます?」
「今のところ、聞いていません」
「では、今日は二人ですね」
「そうですね」
直成さんが笑う。
その顔を見て、ちよは夕餉を少し楽しみにした。
◇
夕方、直成さんは一人で帰ってきた。
ちよは戸口から外を見た。
誰もいない。
「何かありました?」
「いえ。後ろにも、誰もいないなと思って」
直成さんが笑いかけた、そのときだった。
戸を叩く音がした。
二人で戸を見る。
外に立っていたのは、北条時政と、その子の義時だった。
「近くまで来たのでな」
時政はそう言って、包みを持ち上げた。
「魚だ」
隣で義時が頭を下げる。
「突然うかがって、申し訳ありません」
ちよは二人を見比べた。
父はもう、家の中をのぞいている。
息子は、まだ戸口で待っている。
「どうぞ」
ちよが言うと、時政は笑った。
「そうか。では遠慮なく」
義時が小さく息をついた。
◇
時政は座ると、さっそく直成さんへ話しかけた。
初めは土地や人の話だった。
ちよには分からないことも多かったけれど、直成さんがすぐに答えないことだけは分かった。
「甲斐の者は、どうだ」
「どなたのことでしょう」
「大きく聞けば、そうなるか」
時政が笑う。
「直成殿は、うまい話を持っていっても、すぐには喜ばんからな」
「確かめずに喜んで、違っていたら困ります」
「そういうところだ」
時政は指を折った。
「聞いた話を、すぐ外でしゃべらん。分からんところは分からんと言う。最後には、婿殿が使える形にして返す」
婿殿というのは、娘の政子の夫である鎌倉殿のことらしい。
「自分のところで話を止めんのだ」
時政が直成さんを見る。
「使いやすい男だ」
「父上」
義時が口を挟んだ。
「言い方が」
「では、頼りになる」
「最初から、そう言えばよいでしょう」
ちよは思わず笑った。
直成さんは少し困った顔をしていたけれど、ちよはうれしかった。
家では紙の置き場所を気にし、戸を二度確かめる人だ。
外では、その細かさを頼りにされているらしい。
「それで、嫁を取ったと聞いてな」
時政がちよへ目を向けた。
「どんな奥方なのか、一度見てみたかった」
「そちらが用向きだったのですか」
「半分はな」
ちよが直成さんを見ると、夫もこちらを見ていた。
二人で困っていると、時政がますます面白そうに笑った。
◇
夕餉の間、義時はよく周りを見ていた。
時政の椀が空けば気づく。
直成さんが話し始めると、父へ向けていた顔を戻す。
ちよが料理を運ぶと、何も言わずに足を引いて道を空ける。
しばらくして、ちよは聞いた。
「義時殿。疲れませんか」
「何がでしょう」
「ずっと、皆さんを見ていらっしゃるので」
時政が大きく笑った。
「ほら、分かる者には分かる」
「父上が、先に動かれるからです」
「動かねば始まらん」
「そのあとを見ている者も必要でしょう」
父と息子は、ずいぶん違って見える。
けれど、このやり取りは慣れたものらしかった。
ちよは義時の前へ湯を置いた。
「おかわりでしたら、言ってくださいね」
「ありがとうございます」
「こちらが気づくまで、待たなくていいですから」
義時が顔を上げた。
ちよが笑うと、義時も少し笑った。
「では、もう少しいただいても」
「どうぞ」
時政が自分の椀も出した。
「わしもだ」
「父上は、言わなくても出されるでしょう」
結局、その日は二人とも長居した。
◇
それからは、北条親子だけではなくなった。
ある日は、和田義盛が大きな包みを抱えて来た。
「肉だ。皆で食おう」
後ろから三浦義澄が言った。
「人の家を、勝手に皆へ入れるな」
「叔父上も来たではないか」
「お前が誘ったのだろう」
さらに後ろには、梶原景時がいた。
こちらは紙を持っている。
ちよは少し安心した。
「景時殿は、お仕事ですか」
「そのつもりでした」
景時が義盛を見る。
「途中から、夕餉の話になりました」
義盛はもう包みを開けていた。
仕事が始まると、景時と直成さんはよく話した。
誰が見たのか。
いつ聞いたのか。
その話を、誰へ伝えるのか。
景時が尋ね、直成さんが紙を見直す。
直成さんが聞き返すと、景時も考える。
義盛が途中で口を挟んだ。
「まだ飯にならんのか」
「間違えた話を持っていくよりよい」
景時が答える。
直成さんもうなずいた。
義盛が義澄を見る。
「似た者同士だ」
「だから二人で確かめるのだろう」
義澄の短い言葉に、義盛は口を閉じた。
ただし、長くは続かなかった。
◇
畠山重忠は、戸口できちんと止まった。
「突然うかがって、申し訳ありません」
手には野菜があった。
「いただきものですが、よろしければ」
ちよが受け取ると、先に来ていた義盛が横から言った。
「固いな、お前は」
「人の家だ」
「俺も人の家だぞ」
「だから、少し遠慮しろ」
義盛がちよを見る。
「俺は遠慮していないか」
「初めてのときよりは」
重忠が口元を緩めた。
直成さんも笑った。
義盛は少し考え、それから自分でも笑い出した。
賑やかな人たちだった。
けれど、皆同じではない。
時政が先に話を動かせば、義時が周りを見る。
景時が言葉を問い直し、義澄が短く収める。
義盛はよく笑い、重いものがあれば先に手を出す。
重忠は、話の途中でも「それで困る者はいないか」と一度止める。
ちよは飯を運びながら、その違いを少しずつ覚えていった。
◇
ある晩、皆がそろった。
椀を置く場所を空けてもらいながら、ちよは、ふと気になったことを口にした。
「皆さんは、どうして鎌倉殿についていかれたのですか」
部屋が少し静かになった。
時政が先に笑う。
「奥方は、急に大きなことを聞くな」
「皆さん、考え方がずいぶん違うので」
同じ話をしていても、言い合いになる。
それなのに、同じ人のもとで働いている。
時政は手元の椀を置いた。
「わしは舅だからな」
「それだけですか」
時政の笑い方が、少し変わった。
「それだけなら、石橋山で終わっていたかもしれん」
ちよは黙った。
「外せば、家ごと潰れた。だが、あの人なら何かを変えるかもしれんと思った」
「分かっていたのですか」
「分からん。だから、賭けたのだ」
義澄が静かにうなずいた。
「我らも、初めから先が見えていたわけではない」
義盛が頭をかいた。
「俺は、そこまで難しく考えてはいなかったな」
「少しは考えろ」
義澄が言うと、笑いが戻った。
景時が口を開く。
「鎌倉殿は、自分と同じ考えの者だけを近くへ置く方ではありません」
時政が笑った。
「そうでなければ、わしと景時が同じところにはおらん」
「父上と姉上も、ずいぶん違います」
義時が言った。
「余計なことを言うな」
また、皆が笑った。
ちよは直成さんを見た。
「あなたも、そうなのですか」
直成さんは少し考えた。
「僕は、広元殿に仕事をいただきました。鎌倉殿にも、できることを任せていただいています」
「それで、こちらへ?」
「ええ。僕の知っていることが、役に立つかもしれないと思って」
大きなことを言う声ではなかった。
けれど、時政は何も笑わなかった。
景時も、黙って聞いていた。
ちよはもう一度、座敷を見回した。
よく食べ、よく笑い、くだらないことで言い合う人たちだ。
その人たちにも、先の分からないまま決めた日があったのだと、初めて思った。
◇
皆を送り出し、戸を閉める。
二人だけになってから、ちよは並んだ椀を見た。
「直成さん」
「うん」
「最初は、直成さんを見に来たのかもしれませんね」
「僕を?」
「どんな人なのか、信用してよいのか」
直成さんは少し考えた。
「そういうことも、あったかもしれません」
「それで分かったなら、来なくなると思うでしょう」
「……そうですね」
ちよが椀を指す。
「どうして増えるんでしょうね」
直成さんも椀を見た。
「居心地がよいのかもしれません」
「皆さんにとって?」
「ちよさんには?」
聞き返され、ちよは少し考えた。
「賑やかで、面白いです」
「それなら、よかった」
「でも、二人の日も欲しいです」
直成さんがうなずきかけた、そのときだった。
戸を叩く音がした。
二人の目が、同時に戸へ向く。
今度は、使いの者だった。
「鎌倉殿より。明日、お越しいただきたいとのことです」
「承知しました」
直成さんが答える。
使いはさらに続けた。
「奥方も、ご一緒に」
ちよは動かなかった。
使いが帰り、戸が閉まってから、夫を見る。
「直成さん。どうして私まで?」
直成さんは、本気で考え始めた。
その顔を見て、ちよは思った。
どうやら、家へ来る客の数だけを気にしていればよいわけでは、なくなったらしい。




