第28話 まつは、京へ持っていくものと残すものを考える
建暦元年(1211年)、鎌倉。
「行くとは、まだ言っていません」
まつは、板敷に並んだ物を見た。
衣。櫛。針と糸。紙。筆。履物。
その端に、干した栗がある。
「あや」
「何?」
「どうして、栗まであるの」
「京で、お腹が空くかもしれないから」
「京にも食べ物はあるでしょう」
「でも、うちの木の栗はないよ」
まつは栗を見た。
少しだけ、困った。
言いたいことが、分からないわけではなかった。
これは荷造りではない。
朝、ちよが言ったのは、京へ行くことになったら何が要るのか、考えてみよう、ということだった。
「決めてから慌てるのも困るでしょう」
「まだ、返事をしていません」
「知っているわ。仮の支度よ」
母は、そう言っていた。
その横で、行嗣が紙を広げる。
「持っていく物と、置いていく物を分けます」
まつは弟を見た。
「なぜ、あなたが仕切るの」
「書き留めるよう、母上に頼まれました」
まつがちよを見る。
ちよは平然としていた。
「忘れたら、また並べ直すことになるでしょう」
まつはため息をついた。
◇
季成とは、文を交わし続けていた。
初めは、名前と家と年齢くらいしか知らなかった。
今では、考えてから答える人だと知っている。
分からないことは、分からないと書く。
まつにも問い返してくる。
少し冗談を書くこともある。
父の知成。母のよし。兄の信成と、その妻のかや。妹のあき。
文を読むうちに、その名前にも馴染みができた。
それでも、会ったことはない。
季成と話ができそうだと思うことと、その家で暮らせそうだと思うことは、まだ同じではなかった。
「姉上。衣は、どのくらい必要ですか」
行嗣の声で、まつは我に返った。
「それも、これから聞くの」
「季成殿に?」
「京の暮らしを知っている方に。季成殿にも、聞くけれど」
行嗣が、確認すること、と書いた。
まつが弟を見る。
「もう書いたの」
「まだ分からないことも、書いておかないと忘れます」
それは、もっともだった。
◇
宗直とふみが来た。
仮の支度だと聞くと、宗直は衣を見て言った。
「羽織るものは、多めがよいだろう。途中で雨に降られることもある」
行嗣が書く。
まつが止める。
「また増えました」
「必要だろう」
「それを運ぶ人も、考えてください」
「では、俺が――」
ふみが宗直を見る。
「京まで?」
宗直は止まった。
まつは笑った。
光成とおりんも来た。
光成が最初に見たのは、履物だった。
「旅に使うものは、これか」
「足りませんか」
「替えも必要だろう」
行嗣が書く。
今度は、おりんもうなずいた。
「途中で困るから。それは、用意しておきましょう」
まつは、行嗣の紙を見た。
物を並べてみると、遠くへ行くということが、急に手間のかかる話になった。
あやが栗を前へ出す。
「これも必要?」
「今は、端に置いておいて」
◇
そのあと、小太郎が実家の使いで訪ねてきた。
義時と結びつきの深い、北条一門の家の息子である。あやとは、幼いころから家同士の行き来で顔を合わせていた。
ちよへの用事を済ませると、あやに呼ばれた。
「何をしている?」
「姉上が、京へ持っていく物を考えているの」
まつが言った。
「仮よ」
小太郎はうなずき、並んだ荷を見た。
「先に、誰が運ぶか決まっているのですか」
宗直が口を開きかけた。
ふみが、その袖を引いた。
「あなたは、さっき答えたでしょう」
小太郎は事情が分からず、あやを見た。
「太郎兄上は、京まで持っていけないの」
あやが説明すると、小太郎も笑った。
あやは、その顔を見てから、栗を持ち上げた。
「これも、持っていってほしいの」
「全部か?」
「一つでもいい」
「さっきより減ったわね」
まつが言う。
小太郎は栗を見た。
「持っていくなら、包んだ方がいい。ほかの荷の間へ入ってしまう」
「では、布」
あやが手を伸ばすと、まつが止めた。
「まだ、持っていくと決まっていないでしょう」
小太郎は、あやへ伸ばしかけた手を戻した。
「では、決まってから」
「栗も、仮だね」
あやが言うと、小太郎は口元を緩めた。
◇
まつは、棚の端を見た。
父の椀がある。
縁の一か所が欠け、ほかの椀と重ねにくいので、いつも端へ置かれている。
「あれは駄目だよ」
あやが言った。
「持っていくとは言っていないでしょう」
「見ていたから」
「見るくらい、いいでしょう」
あやは椀を見てから、まつへ向き直った。
まつも、同じことを考えていた。
あの椀は、ここへ置いていく。
行嗣が尋ねた。
「姉上。必要な物は、少し分かりました」
「そうね」
「では、持っていきたい物はありますか」
まつは弟を見た。
「今、並べたでしょう」
「履物は、必要だから持つ物です。姉上が、持っていきたい物は何かと思って」
今度は、誰も口を挟まなかった。
櫛も針箱も紙も使う。
けれど、何を持っていきたいのかと聞かれると、すぐには分からなかった。
あやが、栗を一つ手の中で転がした。
「うちの栗を、忘れないように」
まつは妹を見た。
それから、その栗を取った。
「あ」
「一つだけね」
「持っていくの?」
「まだ分からない。これも仮」
あやは満足したようにうなずいた。
小太郎は二人を見ていた。
やがて、脇へ置いてあった小さな布を、あやの手元へ寄せた。
◇
小太郎が帰るとき、あやは戸口までついていった。
「次に来たら、決まっているかもしれない」
「まつ殿が、京へ行くことか」
「栗を持っていくこと」
まつが振り向いた。
「まず、私が行くかどうかでしょう」
小太郎が笑った。
「では、次に伺います」
「決まっていなくても、聞いていいよ」
あやが言った。
「まだ決まっていないって、答えるから」
小太郎はうなずいた。
あやは見送ったあと、まつの手元へ目を戻した。
栗は、まだそこにあった。
◇
夕方、まつはちよと二人で物を片づけた。
衣を戻し、櫛を戻し、針と糸をしまう。
「母上」
「何?」
「父上のこと、全部知ってから夫婦になったの?」
ちよの手が止まった。
少し考えてから、首を振る。
「全部は、知らなかったわ」
「怖くなかった?」
「少しはね」
まつは母を見た。
ちよは、畳んだ衣を箱へ戻した。
「一緒に暮らしてから、初めて知ったこともたくさんあったわ。物を箱に分けて、札まで付けていたり」
「父上が?」
「紙。筆。仕事で使う物。家で使う物」
「そこまで分けていたの」
「ええ。寝るところから、仕事の紙が見えないようにしたこともあったわ」
「どうして?」
「見ると、考えてしまうからですって」
まつは笑った。
「自分で分かっていたのね」
「分かっていたことも、あったのよ」
「分かっていなかったことも?」
「たくさん」
二人で笑った。
まつは、母へ少し近づいた。
「知らないことが出てきても、大丈夫だったの?」
「聞けば、答えてくれたから」
「答えにくいことも?」
「そういうときは、答えにくいと言ったわ」
ちよは、まつを見た。
「これからも知らないことは出てくるでしょう。そのとき、その人と話せるかどうかは、大事だと思うの」
まつは、季成の文を思い出した。
答えにくい問いへ、無理に返事を書かなかったことがある。
次の文で、季成は別のことを尋ねてきた。
催促はしなかった。
「季成殿なら、大丈夫だと思う?」
ちよは少し考えた。
「あなたの話を聞いていると、互いに知ろうとしているのは分かるわ」
まつは母を見た。
「その先をどうするかは、まつが決めることね」
母は、そこを代わりに決めるつもりはないらしかった。
◇
片づけが終わりかけたころ、まつは尋ねた。
「父上は、母上を何と呼んでいたの?」
ちよが止まった。
「どうして?」
「今、気になったから」
「ちよ、と」
まつは母を見た。
「それだけ?」
ちよが黙る。
「何か、あるのね」
「まつ」
「何?」
母は、少し迷ってから、小さな声で言った。
「誰にも言わないでね」
まつは、思わず身を寄せた。
「行嗣にも、あやにもよ」
「言いません」
「二人きりのときは、私を『ちよさん』と呼んでいたの」
まつは目を丸くした。
「さん?」
「そう」
「父上が?」
ちよがうなずく。
まつは口元を押さえた。
「笑わないの」
「では、母上は?」
ちよが目をそらした。
「……直成さん」
まつは、とうとう笑った。
母まで、そんな呼び方をしていた。
「だから、話すのを迷ったのよ」
「でも、いいですね」
ちよが娘を見る。
「二人だけ、というのが」
ちよは少し黙った。
それから、小さくうなずいた。
まつも、笑うのをやめた。
「ほかにも、二人だけのものがあったの?」
母の指が、左手の薬指へ触れた。
ほんの一瞬だった。
「それは、また別の話」
「教えてくれないの?」
「夫婦には、子どもにも全部は話さないことがあるのよ」
まつは不満そうに母を見たが、それ以上は聞かなかった。
◇
夜、まつは季成の文を開いた。
鎌倉で使い慣れた物があれば、持ってくるとよい。
無理に京の暮らしへ合わせようとしなくてもよい。
そんなことが書かれていた。
顔は、まだ知らない。
声も知らない。
けれど、問いを送れば、季成は考えて返してきた。
こちらが答えれば、次の文で、そのことに触れてくれた。
まつは文を畳んだ。
その横へ、栗を一つ置いた。
明日、もう一度読もうと思った。
今度は、自分がどうしたいのかを考えるために。
* * *
【今回登場した人物】
北条小太郎
本作の創作人物です。義時と結びつきの深い北条傍流の家に生まれ、あやとは幼いころから顔を合わせています。家の用向きや荷の扱いには慣れていますが、あやの、身近な物を面白がる姿に心を引かれていきます。




