第27話 おりんは、人のために一生懸命な光成が好きだけど困っている
承元四年(1210年)、鎌倉。
雨が降っていた。
朝から降り続く細い雨は、昼を過ぎてもやまなかった。
おりんは、部屋の隅へ置いた椀を見た。
ぽつ、と水が落ちる。
椀を少し動かすと、今度はその横へ落ちた。
「……そちらもなのね」
もう一つ、椀を置いた。
与一が面白そうに見ている。
「母上。家の中に雨」
「そうね」
与一は嬉しそうだった。
おりんは嬉しくなかった。
梅の寝る場所を、もう少し奥へ移した。
前の雨でも、少し漏った。
そのとき、夫にも話した。
光成は屋根を見て、次に降ったときに水の来る場所を確かめる、と言った。
その次の雨が、今だった。
◇
夕方、光成が帰ってきた。
裾にも、足にも泥がついている。
「今日は、どこ?」
「東の田だ。水が抜けなくなっていた」
「雨の中で?」
「雨だから、どこへ寄るか分かる」
おりんは夫を見た。
その言い方には、覚えがあった。
光成が足を拭いて上がり、二歩進んだところで、水が落ちた。
夫が止まる。
天井を見る。
椀を見る。
二つ並んでいた。
「……漏っているのか」
「前にも、お話ししたわね」
光成は少し考えた。
おりんは待った。
やがて、夫の顔に記憶が戻った。
「ああ」
「思い出した?」
「悪い。後回しにした」
そう言うと、光成は水の落ちる場所へしゃがんだ。
「前も、ここか」
「もう少し向こう」
「風は?」
「昼から、西の方から少し」
光成は天井を見上げ、次に外を見た。
おりんは、その顔を知っていた。
田や水路を見るときの顔だった。
ようやく、自分の家にも向いた。
◇
光成は軒下へ出た。
屋根を見上げ、雨の流れと、室内で水の落ちる場所を確かめる。
おりんも戸口へ立った。
「今日、直せる?」
「今は濡れている。暗くもなるから、修繕は明日だ」
「では、今夜は?」
「寝る場所を寄せる。漏るところの下へは、物を置かない」
「梅は、もう移したわ」
光成が部屋の奥を見た。
「ありがとう」
「明日は、家の屋根を先にお願いね」
光成はおりんを見て、うなずいた。
「ああ」
そこへ、まつとあやが来た。
母から預かった干し物を届けに来たのだという。
あやは、すぐに椀へ気づいた。
「これ、雨?」
「そう」
「どのくらいで、いっぱいになるの?」
まつが妹を見る。
「まず、片づける方でしょう」
「でも、それで、どのくらい漏っているか分かるよ」
光成が振り向いた。
椀を見て、あやを見る。
「それは、そうだな」
おりんは二人を見た。
「数えるのは、修繕の相談が済んでからにしてね」
まつが笑った。
◇
翌朝、雨はやんだ。
光成は家人に手を借り、足場や屋根の具合を確かめてから、傷んだところを調べ始めた。
おりんは、下から屋根を見上げた。
「水が落ちたところと、少し違うのね」
「ああ。ここから入って、下の材を伝っていたらしい」
「では、椀を置いたところだけ見ても、分からないのね」
「そういうことだ」
田の水も、たまっている場所だけ見ていては分からない。
おりんにも、それは分かった。
ただ、屋根のどこが傷み、どのように直せるのかは、光成たちの方が詳しかった。
そこへ行嗣が来た。
「ちょうどよかった。そちらを押さえてくれ」
光成が声をかける。
行嗣が足を止めた。
「私ですか」
「ほかに誰がいる」
「家人の方が――」
「今、別のものを運んでいる」
行嗣は、おりんを見た。
おりんがうなずくと、ようやく手を添えた。
「もう少し、左」
光成が言った。
行嗣が動かす。
「そちらではない」
「兄上から見た左ですか。私から見た左ですか」
光成が止まった。
おりんは、笑いをこらえた。
「お前から見て、右だ」
「最初から、そう言ってください」
「悪い」
行嗣が位置を直す。
「そこだ。そのまま頼む」
「いつまでです?」
「少し」
行嗣は、おりんを見た。
おりんが答える。
「長くなるようなら、代わってもらうわ。お願いね」
「はい」
光成が上から言った。
「俺の返事では、不満だったのか」
おりんは笑うだけで、答えなかった。
◇
昼前には、修繕が済んだ。
光成が戻り、手についた汚れを落とした。
「直った?」
おりんが聞く。
「傷んだところは替えた。ただ、雨が降ったとき、もう一度見たい」
「また漏ったら?」
「直す」
「別のところだったら?」
「そこも見る」
「何度でも?」
「止まるまでだ」
おりんは、夫の顔を見た。
真面目だった。
取り繕っている顔ではない。
この人は、一度引き受ければ、本当に何度でも見る。
「そういうところは、頼りになるのよね」
光成が首をかしげた。
「屋根のことか」
「それも」
「ほかには?」
おりんは布を渡した。
「まず、拭いて」
光成は素直に受け取った。
そこへ、ちよが様子を見に来た。
おりんが経緯を話すと、ちよは屋根を見上げた。
「今夜は、椀を気にせず眠れるといいわね」
「次の雨で、もう一度確かめます」
光成が答えた。
ちよは息子を見た。
「そのときも、家の方を忘れないでね」
光成は少し困った顔をした。
「ああ」
おりんは、ちよと顔を見合わせて笑った。
◇
夕方、与一が修繕した屋根の下へ来た。
「今日は、雨がない」
「外でも降っていないからね」
おりんが答える。
「降ったら、ここも見る?」
「ああ」
戻ってきた光成が答えた。
「父上も、一緒に見る」
与一はうなずき、天井を見上げた。
おりんは、その隣に立つ夫を見た。
よその田が困れば、すぐに出かける。
水路が詰まったと聞けば、泥の中へ入る。
それで、自分の家のことを後回しにする。
困った人だと思う。
同時に、誰かが光成を頼る理由も、よく分かっていた。
だから、家へ戻ってきたら、こちらを見るように呼べばいい。
「光成」
「何だ」
「次の雨で漏らなかったら、褒めてあげる」
夫が眉を上げた。
「子ども扱いするな」
「嫌?」
光成は少し考えた。
「……嫌ではない」
おりんは笑った。
そういうところも、昔から好きだった。
* * *
【今回の夫婦】
光成とおりん
光成は土地や水を実際に確かめ、おりんは、その土地で暮らす人や家の生活へ目を向けます。おりん自身も、田や用水に身近な家で育ちました。二人は違う見方を持ちながら、暮らしを支え合っています。




