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二階堂一族、鎌倉時代を賑やかに生きる。――亡き父親は転移者!  作者: これってなんだろう
第三部 三郎の元服と、まつの縁談――承元四年〜建暦元年(1210〜1211年)
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第26話 ふみは、夫の疲れに気づいている

承元四年(1210年)、鎌倉。


宗直が帰ってきたのは、日が傾き始めたころだった。


「ただいま」


いつもと同じ声だった。


ふみは干していた布を取り込みながら振り向いた。


「おかえりなさい」


宗直は履物の土を落として上がり、持ち帰った紙を横へ置いた。


怪我はない。


ひどく顔色が悪いわけでもない。


それでも、湯の入った椀を受け取ったあと、しばらく動かなくなった。


ふみは布を畳みながら、その手元を見た。


今日は、疲れている。


「朝から土地のことで話があってな」


宗直が話し始めた。


「それが済んだと思ったら、別の家から人が来た」


「そちらも、あなたが行ったの?」


「ああ。俺が行かなくてもよかったんだが」


「行ったのね」


「行った」


ふみは、畳んだ布を重ねた。


宗直がこちらを見る。


「何か言いたそうだな」


「話を聞いているだけよ」


宗直は少し眉を上げたが、また今日の仕事を話し始めた。


 ◇


忠太がやってきた。


「父上。これ、見て」


宗直が立ち上がりかける。


ふみが先に言った。


「こちらへ持っておいで」


「父上に見せたい」


「父上も、ここにいるでしょう」


忠太は少し考え、持っていたものを宗直の前へ広げた。


宗直は座ったまま、息子の話を聞いた。


いつもなら、自分から手を出して確かめる。


今日は、うなずくまでに少し間がある。


ふみは湯を足し、火に近いところへ敷物を寄せた。


「こちらの方が暖かいわよ」


宗直が敷物を見る。


「俺に?」


「空いているから」


「そうか」


宗直は素直に座り直した。


ふみは背を向け、少し笑った。


昔から、こういう人だった。


休めと言えば、まだ大丈夫だと言う。


そのくせ、座る場所と温かい湯があれば、ようやく手を止めることもある。


庭から、たかに呼ばれた。


ふみが立つと、宗直も腰を浮かせた。


「俺が行こう」


「私も、すぐそこへ行けるわ」


「それは、そうだが」


「では、行ってくるね」


用事は、結んだ縄がほどけないということだった。


戻ってくると、宗直はまだ同じところに座っていた。


 ◇


小次郎が泣き始めた。


宗直が顔を上げる。


「今度は、俺が」


ふみは夫を見た。


「さっきから、お前ばかり動いている」


自分が疲れているときにも、こちらのことは気にする。


ふみは少し嬉しくなった。


「では、ここで抱いていてくれる?」


小次郎を連れてきて、宗直へ渡した。


宗直の大きな手が、子の背へ回る。


「どうした」


仕事の話をしていたときより、声が低く、静かだった。


ふみは夕餉の支度へ戻った。


包丁を置くたび、火の様子を見るたび、つい夫の方へ目が向く。


小次郎の泣き声は、やがて止まった。


宗直も話さなくなった。


父と子が、同じところでじっとしている。


ふみは、その様子をしばらく見ていた。


「寝た?」


「ああ」


「そろそろ寝かせましょうか」


宗直は腕の中を見た。


「置いたら起きないか」


「起きたら、また抱けばいいわ」


宗直は、ずいぶん慎重に小次郎を寝かせた。


ふみが笑う。


「上手になったね」


「何人目だと思っている」


「忠太のときは、そっと置いたつもりで、大きな音を立てたでしょう」


「覚えていない」


「私は覚えているわ」


「忘れてくれ」


「嫌」


宗直が顔を上げた。


「なぜだ」


「あなたが、一生懸命だったから」


宗直は何か言いかけて、やめた。


ふみは、その顔を見て、もう一度笑った。


 ◇


夕餉の前に、行嗣が紙を持ってきた。


「兄上。母上から、明日のことを」


「どうした、三郎」


行嗣の眉が動いた。


「行嗣です」


「ああ、そうだった」


ふみが笑った。


「今日も間違えたの?」


「生まれたときから三郎と呼んでいるんだ。すぐには直らん」


「姉上にも、同じことを言われました」


行嗣が答えた。


「ですが、覚えてください」


「ああ。行嗣」


「はい」


宗直が紙へ手を伸ばした。


ふみが尋ねる。


「急ぎ?」


行嗣は首を振った。


「明日の支度のことです」


「では、ここへ置いておいて。朝、確かめましょう」


行嗣は宗直を見た。


宗直も、ふみを見た。


「今、見ても構わないぞ」


「今、見ないと困るの?」


「……いや」


「では、明日」


行嗣は紙を棚の端へ置いた。


帰り際、ふみへ小さく頭を下げる。


「兄上のことを、よくご存じですね」


宗直が弟を見た。


「何の話だ」


「では、失礼します」


行嗣は、返事を聞く前に戻っていった。


 ◇


夕餉では、忠太とたかが交代で話した。


宗直の返事が少し遅れると、忠太が顔をのぞき込んだ。


「父上、聞いてる?」


「ああ」


「何の話だった?」


宗直が止まる。


「……縄の」


「違う。魚」


たかが笑った。


宗直も、困ったように笑う。


「すまん。途中から聞けていなかった」


忠太が、父の顔を見た。


ふみが口を開く前に、宗直が言った。


「明日、もう一度聞かせてくれ」


「忘れない?」


「忘れない」


忠太はうなずき、今度はふみへ続きを話し始めた。


宗直は、その声を聞きながら椀を持った。


少し肩が下がっていた。


ふみは、ようやく安心した。


 ◇


夜、子どもたちが静かになったあと、宗直は棚の紙へ手を伸ばしかけた。


途中で止める。


ふみは何も言わず、寝具を整えていた。


「明日にする」


宗直が言った。


「ええ」


「少し早く起きれば、間に合う」


「そうね」


宗直が、ふみを見る。


「お前、初めから、そのつもりだったのか」


「何が?」


「俺を休ませるつもりだっただろう」


ふみは手を止めた。


「休んで、と言ったら、何と答えた?」


宗直は少し考えた。


「まだ大丈夫だ、と」


「でしょう?」


宗直が小さく笑った。


「昔から、よく見ているな」


ふみも笑った。


「長い付き合いですから」


「俺より、俺の疲れに気づく」


「あなたが、自分のことを後回しにするからよ」


宗直は返事をしなかった。


ふみは掛物を広げた。


「何も言わずに見ているのも、案外大変なの」


「そうなのか」


「すぐに、手を出したくなるから」


「子ども扱いするな」


ふみは少し迷ってから、夫を見た。


「好きだから、放っておけないだけ」


宗直の手が止まった。


ふみも、自分で言ってから少し顔が熱くなった。


夫婦になって、子どもも三人いる。


それでも、ときどき、言う前より恥ずかしくなることがある。


「……何か言って」


「急に言うな」


「夫婦なのに?」


宗直は目をそらした。


それから、ふみの手を取った。


「俺もだ」


ふみは夫を見た。


「何が?」


「分かっているだろう」


「聞きたいの」


宗直は困った顔をしたが、手は離さなかった。


 ◇


しばらくすると、夫の返事がなくなった。


もう眠ったらしい。


ふみは、掛物を少し直した。


棚の端には、明日でよい紙が置いてある。


朝になれば、また仕事が始まる。子どもたちも起きてくる。


今夜は、その前に眠ってほしかった。


ふみは夫の寝顔を見てから、灯りを消した。


* * *


【今回の夫婦】


宗直とふみ


宗直とふみは、幼いころから互いを知る夫婦です。ふみは、宗直の抱え込みやすさを知り、本人が休めるように暮らしを整えます。二人の子どもは、忠太、たか、小次郎の三人です。

挿絵(By みてみん)

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